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1.代償
「ぎゃああああああ!!!」
断末魔の叫び声が響いた。誰もいない夜の袋小路、白目を向いた男が血の泡を吹き、地面の水たまりへと倒れる。
「完了」
たったいま仕事を終えた男がつぶやいた。彼は暗殺を生業とするプロの殺し屋。今回は華僑の秘密結社のボスからの依頼で、組織の金を持ち逃げした男を始末してくれ、というものだった。
客の注文はいろいろある。今回の条件は『とにかく苦痛を与えて殺して欲しい』だった。殺し屋にはそれに応える技術があった。
点穴――医術でも使われるツボ。その裏の効能を知り尽くした彼は、その手で人の気の流れを断ち、一瞬にして生命を奪うことができた。
その加減によっては、標的を眠るように殺すこともできるし、激痛のうちに絶命させることも可能だ。
成功率の高さと客の要望への細やかな対応が、彼の殺し屋としての地位を格段に引き上げていた。
仕事を終えた殺し屋が帰る場所は、貧民街のボロアパート。なかでも人が住んでいるとは思えない一室を根城にしていた。
外見とは裏腹に、部屋の中の設備はびっくりするほど近代的だった。
仕事着を脱いだ彼は、タオルを手にシャワールームに向かった。温水のスイッチは入れず、冷水を頭から一気に浴びる。
「ぐおぉぉぉぉぉぉ!!」
殺し屋は叫んだ。歯ぎしりして耐えるが、どうしても声が出てしまう。体に走ったのはそれぐらいの激痛だった。
彼はこの痛みが来ることを知っていた。そして同時にそれが避けられないということも。
5年前のことだった。彼は仕事でひとりの高名な占い師を暗殺する依頼を引き受けた。占い師は、殺し屋のお得意様である華僑のボスの未来を占ったらしく、その結果が相手を激怒させたのだ。殺し屋にとってはどうでもいい、つまらない理由だった。
占い師は高齢でひとり暮らし。仕事は実に楽なものだと思えた。
「我が死を契機とし、汝が犯した罪において、未来永劫おなじ苦しみを味わうがよい」
倒れた占い師は最後に殺し屋をにらんで、呪詛の言葉を吐いた。ただの戯言だと気にもしなかった言葉だ。
しかしそれが始まりだった。その日の夜、殺し屋は体に激痛を感じ、朝までのたうち回った。
占い師の残した言葉に嘘はなかった。それからというもの、殺し屋の仕事は激痛の一夜とセットになった。
ツボを吟味し、苦しみを与えて殺せば殺すほど、その晩の苦しみは強く、そして長く続いた。
殺し屋はバスタブにうずくまり、次々と襲いかかる苦痛に耐えるため、歯を食いしばった。
「今日の標的は苦しみ抜いて死ぬよう、特別のツボを打った。そのぶん俺の痛みは、朝まで続くに違いない」
殺し屋は皮肉な笑みを浮かべた。その晩、アパートから男の叫び声が途絶えることはなかった。
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