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血だ! どうしよう!
ホヅミとシュウは荒野を抜け、今度は打って変わって快適と言える程の森の中を歩いていた。というのも、途中には川もあって十分にホヅミの喉を潤してくれていて、更には道が平坦だ。いよいよ王都も近いのだろう。
「ねぇシュウさん? この後王都に着いたらどうするんです?」
シュウはうんともすんとも言わない。そして聞こえていないはずがない。だが先程からホヅミが語りかけても何も返答してはくれないのだ。
「シュウさん? 王都ってもうすぐ着くんですか?」
するとシュウは鋭い目つきでホヅミの方に振り返る。やっと何か言葉を返してくれる気になったのだろうかと期待した。だが向かってきた拳にホヅミは慌てて屈む。
「ピギャアア!?」
「ちっ、弱ぇやつばっか狙って何が楽しいんだよ。俺を狙いやがれ!」
その怒声に周りに潜む生き物達が尻尾を巻いて逃げていった……様な気がしなくもない。
「もう嫌だよこんなのぉ」
ホヅミは自身の後ろに散乱した肉片に、目に手を当てる。
「おい、ホヅミ」
とシュウが口を開くものでホヅミは二つ返事で耳を傾ける。
「熱い。お前扇風機になれ」
「うんうん……は?」
言葉の理解が追いつかないホヅミは唖然としていた。
「お前風魔法しか使えねぇんだろ? だから風魔法で扇風機やれ」
「は?…………は?…………は?」
言葉を失うホヅミにシュウは舌打ちしたかと思うと、ぐっとホヅミに詰め寄った。
「は? じゃねぇよ。てめぇ水魔法教えてやったのに何で語尾にワンついてねぇんだアンッ!!」
怒鳴り声で凄むシュウはホヅミの胸ぐらを掴んで離さない。その凄まじさに大した物言いでもなくて更に呆気にとられるホヅミだが、ならばと負けじと言い返す。
「そもそも使える魔法と使えない魔法の系統があるだなんて知らないもの!! 水魔法教えるって言ったんだから、水の系統の魔法が使えるかどうかも考えて、水魔法がちゃんと使える様になるまで監督するのが責ってものでしょ!! 何よ騙す様な事して!!」
「アンッ!? 何だてめぇ喧嘩売ってんのかコラァッ!!!」
「怒鳴ってれば言いなりになると思った? 大体何が語尾をワンよ! 子供なの? 悪趣味すぎ!」
「俺はもう十七だコルラァッ!!」
「まだ子供じゃないの!! 子供の癖して酒なんか飲んで気取ってたの? だっさ!! 未成年!!」
「グルルルル…………ふぅ……もうそろそろ着くぜ。着いたらすぐに賞金稼ぎ組合に行く。あそこには情報を金と引き換えに渡している情報屋がいる可能性が高い」
睨み合いはシュウが観念して試合終了。見事ホヅミに軍配が上がった。それどころかホヅミの質問をしっかり聞いていた様で今になって返してくれている。ということはつまり語尾にワンをつけなかったというたったそれだけの事で怒っていたのだろうか。
「それとも、この世界に来たばかりのお前に何か有益な情報でもあれば聞くが?」
何か言い足りなそうにしているホヅミを見て、あてつける様に問う。
「え? ……ない……です」
「けっ」
シュウは足を止める。巾着袋からカチャカチャと音を立てて何か取り出した様だ。鉄の輪っかに長い鎖が繋がっている。そしてもう一つ、何かの文字が掘られた手枷の様なものだ。
「あ、それ。何だっけ……す、す……」
「これは封魔錠だ。魔力を封じる手枷で、これをかけられた者は人だろうが魔族だろうが魔物だろうが魔法が使えなくなる」
「はぁ……」
封魔錠には聞き覚えがあった。リリィが連れ去られる時に、エピルカが兵士に向かって口にしていた。だがどうして突然こんなものを取り出したのだろうか。ホヅミはますますシュウの考えている事が分からなくなって混乱していた。
「で、こっちは…………ただの鉄で出来たリードだ」
「へぇ……で、それで何するわけ?」
「決まってんだろう?」
シュウはホヅミに寄って、首元に手をかける。手にしたリードの首輪部分を手際良くカチッと嵌めた。
「うんうん、似合ってるぞ」
とにこやかに微笑むシュウ。
「あ、ほんと? えへへーじゃなあああぁぁぁいい!!!!!! さっきの今で、まだこんな悪趣味な事させるんかああ!!!」
「は? 違ぇよ。作戦だよ作戦」
怒声に対して怒声で返すでもなく、先とは比べ物にならないくらい落ち着いた口調でシュウは答えた。むしろ優しささえ感じるその奇妙な声色に、ホヅミは疑心を抱いてしまう。
「作戦?」
「ほら、封魔錠もかけるぞ。両手出しな?」
「あ、はい」
これまたカチャリとすんなりホヅミの腕に封魔錠がかけられる。
「ほいじゃ、行くぜ」
そしてシュウはホヅミにかけたリードを引いて、ホヅミはその後をついていく。
「って……これ……作戦? ほんとに作戦なの? ……何の作戦?」
「ごちゃごちゃ言うな」
そうこう言い合ってるうちに、くねった道のない真っ直ぐな道に入る。道の先には大きな鉄の城門。両傍らには兵士の様な人影が見えた。
「あ! 見えた! あそこだよね! やっと着いたぁー!」
「ちっ、あーうるせぇいちいち騒いでんじゃねぇ! もっと静かにしてろ!」
見えたとは言ってもやはり多少なりとも歩かなければならなくて、着いたというにはまだ早かったのかもしれない。けれどホヅミとシュウは"無事"にハイシエンス王都に辿り着く事が出来た。そして城門前に到着すれば当然まず門番が反応する。
「何か身分を証明する物を」
「ほらよ」
シュウは腕を掲げた。その腕には綺麗な装飾を施された銀の腕輪が嵌められている。腕輪には黒い宝石の様な物が埋め込まれていた。
「そ、そそそ、それは!? アルストロメリア王国の紋章の入った腕輪! は、ははぁー」
兵士は地面に膝をついて頭を下げている。しかしそれに驚いたのは兵士だけではない。
「え? ちょっと待って? それ、ソウルリングだよね? 勇者だけが持ってるっていう」
「は? ソウルリング? 何言ってんだお前」
何の事だか分からない素振りにホヅミは開いた口が塞がらない。エルフの村の村長の言葉が頭の中で再生される。綺麗で高価そうな腕輪なものだから勝手にソウルリングだと決めつけてしまっていた。
「通っていいな?」
「はい! お止めするなど私には烏滸がましいぃ!」
呆然としているとシュウに急にリードを引かれたホヅミは咳き込む。
「お待ちを、あなた様でしたらお通し出来るのですが、こちらの……女子様は……」
「こいつは俺の奴隷だ」
(は!? は!? は!?)
これがシュウの言った作戦だろう。確かにホヅミには身分を証明する物がない。そういった意味ではシュウの作戦は手っ取り早く分かりやすいものだった。その上ソウルリングを持っていないシュウが勇者でない可能性も出てきてさすがにホヅミは黙ってはいられない。
「シュウさん? ちょっと待ってシュウさん?」
「あ? 何?」
面倒臭そうにシュウは聞き返す。
「ちょっと、聞いてないよ。色々……聞いてないよ?」
シュウがやれやれといった表情でため息をついた。
「あの、ごめん。私やっぱり帰らせてくれますか? ソウルリング持ってないのに勇者って、私を騙してたんですか? こんな恥ずかしい格好までさせて……もしかして私を奴隷として売り飛ばすつもりじゃないでしょうね?」
いくら出身が同じ日本だとしても、この突然連れてこられた世界で生きていくために奴隷売買に手を染めたとしてもおかしくはない。もし奴隷として売り飛ばす口実に勇者だと嘘をついていたのだとしたら。奴隷を募るためにそうしていたのだとしたら。今まで道中自分を守ってくれたのも、商品を守るためだとしたら。
ホヅミは考えれば考えるほどにシュウの事を疑わしく思えてきた。
「ちっ」
シュウは面白くなさそうにそっぽを向いている。ホヅミはシュウのその態度でやはりそうなのだと確信した。今なら兵士に頼めば助けて貰えるかもしれない。ホヅミは助けを求めようとした瞬間
「ああそうだよ。これも勇者稼業ってやつだよ。バレちゃ仕方ねぇな」
「やっぱりそうだったのね! 兵士さん、助けてください!」
とそのやり取りに狼狽える兵士。
「あ、あの、私は……俺はどうしたら!?」
シュウはわざと兵士に腕輪を見せつける素振りをする。
「兵士さんお願い! 私を助けて!」
「お前、俺を止めることすら烏滸がましいんだよなぁ?」
兵士は二人に圧倒されて、今にも泣きそうになっていた。
「この卑怯者! こんな事をして、同じ日本人として恥ずかしい! 有り得ない! 悪魔!」
「アアン?」
シュウは鬼の様な形相でホヅミを睨み返した。
「ちっ、めんどくせぇな。いい加減黙れや」
「ひっ!…むっ……んっ」
その行動にホヅミはまた開いた口が塞がらないでいた。シュウの顔が離れる際に、シュウが何かを言った気がする。ぐでぐでに地面にへたりこんだ兵士を置き去りにして、何が何だか分からないままシュウに連れられて詰所に寄った。
「あ、聞こえましたよ? そいつ奴隷なんですってね。しかも人間の。僕にもちょっと触らせてくださいよ」
「俺の所有物だ。触れるだけでも命がないと思え」
「へ……へい、わ、分かってますよ。ほんの冗談ですってば」
首のリードを引かれるがままで抵抗する力が湧いてこない。このまま我を失ったままでいれば奴隷にされてしまう。早く何か、何か反抗しなければ。
「目を覚ませ!!」
ぱっと正気に戻ったホヅミ。どうやら人目のない狭い路地にいるようだった。
「何だおめぇ、泣いてんのか? まさかほんとうに奴隷にされると思ってたのか? 馬鹿なやつだ」
シュウがてきぱきとリードの首輪や封魔錠を解除して、巾着袋にしまっていった。
「まああんまり騒ぐからよ、ほんとうに奴隷にしちまおうと思ったぜ」
バチン。
無意識だった。ホヅミの目の前には、赤い手形を頬につけて驚くシュウの顔があった。シュウはビンタの勢いで顔が逸れたまま戻そうとしない。
「………………………」
「………………………」
二人はお互いに何も言葉を出せなくなって、しんとした空気に包まれていた。路地の外はガヤガヤと騒がしい。さすが王都。人が多いせいだろう。
「えっと……その……昔、似たような事があって……その……」
シュウは顔を合わせる事はなかった。それどころか、背を向けて路地の外へと歩き出した。
「今から賞金稼ぎ組合に向かう。友達を助けてぇんだろ? 行くぞ」
「え? うん……」
そして路地を出る前にシュウは足を止めた。
「悪かった」
呟いた。ホヅミは思い出していた。シュウはあの高橋とは違う。
『いいから俺を信じろ。これは演技だ、お前の友達を助けに行くための』
門の前、放心する中で聞いていたシュウの言葉を心に、ホヅミはシュウの後についていく。
茜色に染まる整然された町並み。初めて都会に来たような、おどおどとした様子で辺りをキョロキョロするホヅミ。石造りの建物が軒を並べていて、道までもが石造りで舗装されている。その他にも、例えば井戸の様な木製の建造物も見受けられる。ニト町よりも人の手で一層開拓された様でだだっ広い下町。ずっと先に高く聳えるのは、夕日を背に大きく構えた立派なロマネスク建築のお城だ。そしてそれら全体を何十メートルとある高さの石壁が囲んでいる様だ。
「色んなお店があるね」
露店だけでなく、一軒家で店を構えているところがいくつもある様だ。そしてリリィはある事に気づいた。
「あれ? 何語の文字か分からないのに読めるよ! 何で?」
「それは俺も分からねぇ。この世界に勝手な招待ぶっこいた奴が、勝手なサービスお見舞いしてくれたんだろーよ」
看板を見れば、花、レストランマエストロ、雑貨、武器、防具、薬、果物、野菜、理容、肌、化粧、などなど、一通り見回すだけでも様々なお店が建てられていた。その様子にホヅミはどこか日本に似た雰囲気を思い出していた。そして日本よりは空気が良い。科学でなく魔法に頼る世界は空気を汚さないのかもしれない。
「あれ、あの子何であんなにボロボロな服着てるの?」
「あれは奴隷だ。この世界では普通なんだとよ」
「あんな小さい子が?」
シュウは首を横に振る。
「小さいからだ。親が魔物に殺されただ野盗に襲われただで孤児になったり、どこかから誘拐されたり、特に力も知識もない子供は抵抗も出来ないし、しても大人には勝てない。言う事を聞かせやすいんだとよ」
やけに詳しいシュウに対して訝しげな視線を向ける。それにはシュウも軽蔑の目を向けられている様な気がして焦る。
「これは聞いた話だ。勘違いすんじゃねえ」
この異世界では空気は良い。でもそれはあくまで成分的なもので、雰囲気という面では空気は日本と変わらないか、それ以下だろう。日本と似た息苦しさを感受できるのは、そういった理由もあるからかもしれない。
「分かってて助けないの? あれだけ力があるのに? どっかの王国の紋章が入ったご立派な腕輪だって持ってるくせにぃ? 勇者だって名乗ってるのに」
「うるせぇ!俺だってな…………とにかく、治外法権だ。目立った真似は出来ねぇ」
それを聞いてホヅミは大凡の見当がつく。
「ふーん。アルストロメリア王国だっけ? 迷惑をかけられないから、治外法権の場所では問題を起こしたくないのね。あ、分かった! 統治する王様が女王様で、惚れちゃってるんでしょ?!」
「ぶふぅーっ!!!?」
図星なのか突拍子もない事に驚いているだけなのか、シュウは思い切り吹き出していた。
「てめぇ、な…何でそこまで言い切れるんだ!アン!?」
「別に言い切ってないわ。勘を言ってみただけ」
「な!?」
シュウは頬を染めて、更には目が泳いでいた。どうやら図星の様っただ。ニト町からこの王都までの道のりでは散々上手に回って言いたい放題のシュウだったので、狼狽えるシュウにはホヅミも少し驚いている。
「とにかくだ……女王がどうだのは関係ねぇ。王国の紋章が入った腕輪、こいつを身につけるって事は、少しの問題でも戦争に繋がり兼ねないって事だ」
「へぇー…………女王様なんだ」
「んはっ!?」
吹き出す空気もなく、代わりに内蔵が飛び出そうになるシュウ。
「てめぇいい加減にしろよ……?」
「良いじゃん別に。恋の相談乗るよ?」
「このっ…………はぁーー」
大きくため息をついたシュウは諦めた様に前へ向き直る。
二人は下町の広場にドンと構える賞金稼ぎ組合に到着した。王都経営とはいえ、周りの建物と比べ外観が一際立派だ。入口がやけに大きいが、二、三メートルはあるかと思われる巨体の筋肉が入っていくところを見ると、それも納得出来る。
「ちょっとシュウさん! あの上半身裸の人、今私達を見て鼻で笑いましたよ?! 良いんですか! 小馬鹿にされてますよ!」
「うるせぇ無視しとけ」
詰め寄るホヅミをあしらって、とっとと賞金稼ぎ組合の入り口を潜る。
「わぁ」
ホヅミは思わず口が開く。真正面奥には正装をした受付嬢と思われる三人がカウンター越しに立っている。手前には四かける四の配置で十六台もテーブルが並べられていて、幾人もが集い話し合いをしている様だ。左奥には二階に通ずる階段もあり、フロアの広さは教室六個分はあるだろう。そしてそれよりもホヅミはこの場にいる人間達に驚いていた。ここには先程の図体の極端に大きい筋肉。怪しげな外套に身を包み、ハットからギロリと目を覗かせる者。大きな水晶玉を先端に嵌め込んだ杖をつき、ローブを纏う者。人前で堂々と刃渡り六十センチ以上の長剣を満ち足りた表情で眺める甲冑剣士。ホヅミにとってはファンタジーで登場する様な人物像そのものだった。
するとホヅミの初々しいに態度に、粗暴に会話をしていた三人組が鋭い視線をぶつける。
「こういう所、あんまり得意じゃないかも……」
身構え怯えるホヅミに目もくれず、シュウはじっくりと見渡す。そしてある箇所に目線を定めると、そそくさと屋内を突っ切っていく。
「あ、待ってよぉ」
ホヅミは慌ててシュウの後を追う。シュウの向かう先は右奥。壁際に丸椅子がいくつか並んでおり、内一つに男が座っていた。男は太っていて腹が出ている。武器は腰の短剣以外何も身につけている様子もなく、賞金稼ぎにしてはあまりに似つかわしくない。
「おいツキジ、お前に訊ねたい事がある」
酒に酔っている様で、火照った顔に据わった目でシュウを見上げた。
「おやおや……ひっく……見知った顔じゃねぇか…っく」
無精髭がだらしなく、ますます場違い感が酷い。このツキジというのがシュウの探していた情報屋なのだろうが、持っている情報すらもホヅミには胡散臭く思えてしまう程だ。
「この王都にいる、エピルカという貴族について聞きたい」
「ひっく……エピルカ……ああ、エピルカ=シエンス伯爵ね……っく」
ツキジは腕をふらふらと持ち上げて、三本指を立てた。
「三枚だ」
「銅貨か?」
「っく……銀貨だ」
シュウは不満気にツキジを見下ろす。
「高いんじゃないのか?」
「ひっく……何を言ってんだ……貴族様の情報は高ぇんだぞぉ? っく、銀貨三枚くらい当然だろぉ?」
ホヅミは思い出していた。シュウをの雇用費は銀貨四枚だ。さすがに雇い主のために、報酬のほとんどやそれを超えて別の誰かに支払ってしまうはずもない。
「…………今出せるのは銀貨一枚だ。後払いする。急ぎだ、必ず払う」
「ぬぁにぃ?…っく、さすがにあのアルストロメリアのシュウさんといえど、それはいけねぇ」
「頼む、時間がない。待ってくれるなら、銀貨五枚、いや八枚出そう」
ツキジは両の掌を上げてやれやれと言ったように首を振る。
「いーや、今出してくれ。でないと情報は渡さねぇ」
「……ちっ」
ふとツキジはホヅミの方に目が移る。
「ん? そいつぁ、あんたの連れかい?」
まじまじと下から上まで見詰められて、ホヅミは少し恥ずかしい気持ちになる。
「ど……どうも」
「まあ……どうしてもってぇなら……そうだなぁ……ぱふぱふさせてくれたら……銀貨一枚でもいいんだがなぁ……いけるかい? 嬢ちゃん」
唐突なセクハラ発言にホヅミは引き攣り笑い。だがこのままではツキジは情報を渡してくれそうもないし、シュウに無理をさせるのも良くない。しかしこの体はホヅミだけのものではないのはホヅミ自身がよく分かっている。
「だ、だめだよ。絶対、だめだからね! ほ、ほら、これ借り物だから、絶対だめ!」
「は?」
ホヅミの失言に、ツキジは鳩が豆鉄砲を食らったように言葉が出ない。そしてシュウはホヅミを庇う様に腕を前に出し、まなじりを裂いてツキジを見下ろしていた。
「よし分かった今決めた。無理矢理にでもお前から情報を引き出してやる全身の骨ずたずたにされる準備は出来てんだろうなアアンッ?!!」
「わ、分かった……分かりました……シュウさん。銀貨一枚で……一枚で大丈夫ですってば」
シュウの凄まじい剣幕にツキジは折れたようだ。そのツキジの態度に、シュウはやや疑いを残した目を向けながらも、掴んでいた胸ぐらから手を離した。
「ほっ…………それじゃあ先払いで銀貨一枚いただきますよ」
言われてシュウはポケットから銀貨を一枚取り出してツキジに手渡す。ツキジは先ので酔いが覚めたのか、しゃっくりも引っ込んでしまったようだ。
「へへっ……確かに。伯爵について何が知りたいんですか?」
「そいつの家と、趣味趣向……もし知っているなら、商取引の履歴を教えろ」
「ほほぅ、金品をせびるおつもりで?」
ツキジはシュウの発言に興味を示して、にやにやとしている。それを「とっとと話せ」とシュウは強引に急かす。
「近頃の伯爵の様子からすると、何やら怪しげな魔道具や魔本に物資の調達、奴隷の買い取りとかでしょうかね……なかでも魔族のエルフを何体も買い取っているそうです」
それを聞いたホヅミはそのエルフの多くがエルフの村の者ではないかと考える。そうだとすれば、リリィ共々に助けられる可能性が出てくる。
「ああそうそう、噂話なんですがね。魔物を一体邸に捕らえているだとか」
「魔物を?」
シュウはしばらく考え込んでいた。
「どうにもきな臭ぇ……ホヅミ、お前だけの問題じゃねぇかもな」
「え?」
ホヅミに見向きもせずに、顎に手を添え眉を顰めるシュウ。そんな姿を少しかっこいいと思ってしまう自分がいて、ホヅミは慌てて王都までのシュウの事を思い出し、妙な雑念を振り払おうとする。
「どんな魔道具か魔本かは分からないか?」
「目撃した者が言うには、怪しげなものらしいです……そうだ、怪しげな実験をしているってぇ噂も」
騒がしいフロアで一人静かに思考を巡らすシュウ。何かを決断したかのように顔を前に戻した。
「助かった。また来るぜ」
「あ、待ってよシュウさん」
踵を返してそそくさとまた、来た方向を後戻りしていく。ホヅミも慌ててその後についていった。
シュウが向かったのは宿屋だった。夕焼け色の空は今日の旅路の終わりを告げているようだ。やがて闇がやってきて、次に光り輝く時までに魔法の力を蓄えているかのように。
「あーすっかり暗くなっちゃったね」
「お前、今日泊まるところあんのか?」
「え?」
聞かれて、ホヅミは今使えるのは銅貨二枚だけである事を思い出した。
「ちなみにこの王都の下町で、銀貨一枚でやっと一泊だ」
「あーあはは……そうなんだ……」
これは野宿するしかないだろうかとホヅミは辺りをキョロキョロする。どこか小道で壁に寄りかかって眠る事も視野に入れていた。
「お前、ここがどこだか分かってんのか? こんな所で野宿なんてしようもんなら真っ先に人攫いの餌食だぜ」
「えっ!? そ、そんな」
驚くホヅミの様子を見てシュウはため息をつく。
「まあお前に死なれちゃ、助けたお前の友達に恨まれそうだからな。俺の部屋に泊まりな」
「えっ!? そ……それは……それで……」
ホヅミは人差し指同士を突き合わせて羞じらう様に躊躇する。もじもじとじれったいその様子に我慢ならずシュウは問う。
「何だ、嫌なのか? はっきりしろ!」
「だ、だから……へ、変な事しない?」
ホヅミは思わず声が小さくなってボソボソと篭もり声で言う。
「は? んな事しねぇよ。てめぇふざけてんのか?」
その返しにはホヅミも堪らなかった。ふざけているつもりはない。至って真剣に言っていた。
ホヅミは小学生の頃に出来た男子の友達がいた。しかしその男子とつるんでいく内に、ホヅミは自身の本心を打ち明けてしまう。それを誤解されて、ベッドの上に無理矢理押し倒された経験があった。無理に足掻けば暴力を振るわれて、手も足も出ず。不意に男子が体勢を崩してその隙にホヅミは逃げる事が出来た。だがそれを皮切りに学校のクラス中にバラされて、私への虐めは始まったのだ。
「ふざけてない……約束して? 何もしないって」
ホヅミにとっては同じ年頃の男子と同室というのはトラウマを刺激する恐怖の一つでしかない。それを分かってか分からずか、ホヅミの様子を察したシュウが、頬を指で掻きながら目線を逸らす。
「何も……しねぇよ。俺は何もしねぇ」
それ以上シュウが何も言う事はなく、二人は宿屋に到着する。宿屋の中は賞金稼ぎ組合よりは狭い屋内ではあったが、よく手入れされている分多少清潔感はあった。
「いらっしゃい。お二人さんかい? ごめんね、生憎今ほとんど部屋が埋まっちゃってて、一部屋しか空いてないんだよ」
「その一部屋を借りたい……お前はそれでいいか?」
「え? う、うん」
少し不安がりながらも相槌を返す。
「一人分の代金で良いよ。銀貨一枚ね」
「よろしく頼む」
シュウは部屋の札を受け取り階段を上がっていく。
「あ、あのぉ……厠ってどこですか?」
「あっちだよ」
シュウとは反対方向にホヅミは行く。扉を開けるとそこはぼっとん便所。便器がなく、中央にポカンと穴が空いているのみだ。
「ふぅ〜」
用を足し、傍に折りたたまれた紙を使って汚れた箇所を拭く。すると不意に下腹部に痛みが走る。
「何? えっ、血、血?」
(ど、どうしよ私……死ぬの?)
ホヅミの顔から血の気が引けていく。救急車を呼んでと言ってもこの世界では通用しない。そもそも救急車など存在しない。病院に行こうにもお金がない。場所も分からない。
ホヅミは折りたたみの紙をごっそりと下着の中に詰め込んだ。
「おばさん、ありがとう!」
「どうしたんだい慌てて」
「何でもないです!」
ホヅミは急いで今日泊まる部屋へと向かう。該当の部屋番号を見つけてホヅミは勢いよく扉を開け放った。
「な、何だお前! 何慌ててる!」
「どうしよう……私……私……死にたくない」
「ああ??」
ホヅミは厠で自身の体の出来事について語った。それを聞いていたシュウは顔を赤くして怒っているようにも恥ずかしがっているようにも取れたため、ホヅミはとかく不安になる。
「おいてめぇ……マジで言ってんのか?」
その言葉にホヅミは見当外れな面持ち。
「お前、生理って知ってるか?」
言われてホヅミはぽかんとするが、次第に顔を赤くしてあわあわと口を閉ざす事が出来ない。
「あわわわわ」
「何で女のお前が分からねぇで男の俺の方が分かるんだよ!」
「ひゃあっ!? ご、ごめん」
シュウは大きくため息をついた。
「まあいいや、俺はとりあえず汗流してくる」
呆れたシュウは更衣室へと向かった。更衣室の扉がガチャンと閉まる音で、ホヅミははっとする。
「ま、待ってシュウさん! ど、どうしよう! どうしたらいいの私!」
と浴室の扉を開けるとシュウが着替えをしている途中で上半身裸に下着一枚だった。
「てめぇ入ってくんじゃねぇっ!!」
「ひゃいぃーっ!?」
シュウは勢いよくガタンッと浴室の扉を閉める。
「ねぇ! どうしたらいいの!」
「知るか! とりあえず紙でも詰めとけ!」
ホヅミはとりあえず言われた通りに辺りの紙を探した。
二人は丸いテーブルを挟んで椅子に腰かけていた。
「ったくよぉ、てめぇ何年女やってんだよ」
「ご……ごめん」
女の体を手に入れてからまだ数日しか経っていないだなんてシュウには言えない。そもそも入れ替わりの事は言ってはいけないタブーとしていつの間にかホヅミの中に浸透していた。
「ちっ、まあいい……そういえば、賞金稼ぎ組合で自分の能力照会はしたのか?」
「あ、ううん。まだ……ていうか忘れてた」
「今日はさっきの通り人が多い。明日明るくなってからまた行くぞ。もし今回の奪還に役に立ちそうな能力なら利用出来るしな。俺も知っておきたい」
ホヅミはシュウのスーパーパワーを思い出していた。ホヅミからすればあまり乱暴な能力は欲しくはないが、リリィを助けられるなら何でも良かった。エルフのサーラと魔法の修行も頑張ってはいたが、あれだけではリリィを連れ去ったエピルカに一矢報いる事も難しいだろう。
トントン、ノック音がして扉は開かれる。
「夕食を持ってきたよ。あんたら旅人だろう? たんとお食べ」
持ち込まれたのはバスケットに詰め込まれた焼きたてのパン、陶器には温かい出来たての木苺のジャム、温かいミルクポット。白いティーカップが二つ。明らかに二人分用意されている。宿主が気を利かせてくれたのだろう。ミルクを白いティーカップに注いで、両手を合わせる。
「いただきます!」
ホヅミは挨拶をする。しかしシュウは何も言わずに食事に手をつけていた。
「シュウさん? ちゃんといただきます言わなきゃ」
「んあ? くだらねぇ。んな事するかよ」
その様子にムッとするホヅミ。
「ちゃんと挨拶しなさいよ。じゃなきゃ作ってくれた人にも食べ物にも失礼よ」
「んあ? ……ちっ……うっせぇな」
毒づきながらもシュウは渋々持っていたパンを置いた。
「いただきます!……」
それを見てホヅミは満足。シュウも再度パンを手に取って口に運ぶ。
二人は存分に食べ終えると、一息ついた。
「ごちそうさまでした」
「……ご、ごちそうさまでした!」
言い慣れないながらもちゃんと言う事を聞いてくれた。初め出会った時はとんでもない野蛮で危ない人だと思っていたが、案外そうでもないらしい。そうホヅミは考えていた。
「そういやお前……友達を助けたら、エルフの村で暮らすのか?」
「え? たぶんそうなると思うけど……」
言われてみれば、そもそもユーナラ町という所に入れなかったから野宿する羽目になって、エルフの村でお世話になる事になったのだ。だがリリィが連れ去られてからはどうだ。ホヅミは平然とニト町やこの王都に入る事が出来ている。ならばわざわざエルフの村でなくとも、人間であるならばニト町で暮らす事も可能ではないのだろうか。
「そういう腹積もりなら何も言わねぇ」
ユーナラ町に何かがあるのかもしれない。
「俺も何だかんだでこの世界の方が住みやすい様だからな。喧嘩だってし放題だし」
と、にかっと笑うシュウ。それは魔物を相手にという事だろう。魔物が不憫でならない。
「元の世界なんかつまらねぇ。お前もそうだろ?」
「え? うん」
元の世界になんて戻りたくもないホヅミだが、結局世界なんてどこに行っても変わらないのではないか、本当の私を知ればエルフの皆も毛嫌いするのではないか、と今も心配は募るばかりである。
「シュウくんは本当に私の友達を助けるだけなの?」
「あ? どういう意味だ?」
「同じ日本人でしょ? 一緒に行動しようよ」
シュウはミルクを一杯注いで口に運ぶ。一口飲むとティーカップをテーブルにゆっくりと置いた。
「俺は弱い奴を仲間にしない」
「なっ! ……別に良いじゃん! 弱かったらいけないわけ?! それにリリィなら強いと思うよ!」
「それならその友達だけを仲間にするだけだ」
その発言には怒りを通り越して何も言い返せなかった。
「今日ここに来るまで、お前は何度狙われた?」
言われてきょとんとするホヅミ。
「大抵の魔物は弱い奴から狙ってくるんだよ。つまらねぇ。マジでつまらねぇ。おめぇが後ろに入れば俺は存分に戦えねぇんだよ」
「な、何それ! あれだけ強いんだから別に守ってくれたって良いじゃん!」
「んあっ!? 舐めてんのかてめぇ!!」
膨れっ面なホヅミにがんを飛ばすシュウ。
「賑やかな所申し訳ありません」
声がした。
それはいつどこから入ってきたのかシュウでさえ読めてはいなかった。緑色の鳥の羽がついた漆黒のベレー帽に漆黒の外套を身に纏う者。肌の色は真っ青で、ホヅミにさえ瞬時に人間でないと認識が出来た。奥には開け放たれた木製の両開きの窓扉。外から入って来たのだとしたら、ここは二階だ、只者ではない。
「てめぇ! どうやって入ってきやがった!」
「御覧の通り、窓からですよ」
「違ぇっ! 俺の聞いてんのは、結界を破らずにどうやって王都に入ってきたんだって事だ!」
結界とはエルフのサーラが言っていた、魔族や魔物を弾くものだろう。
「ふふふ、それは答えられませんねぇ」
「…ちっ」(ちくしょう!今の今まで気づきもしなかった。魔の粒子を感じられない。つまり結界は作動している)
ホヅミは足が竦んでいた。ふとその魔物はホヅミの方を見やる。
「リリィ王女、失礼ながらあなたの不安定な力が一番弱っている今を狙うのをお許しください」
「へ? へ? 王女? リリィが?」
「あ? 何言ってる?」
ホヅミとシュウの二人は魔物の言葉に何が何だか分からない様子。
「おや? これはまた滑稽な芝居ですね。その様な未熟な言い逃れがこの私に通用するとでも?」
魔物はホヅミの元へ歩いていく。それを遮る様にシュウは立ちはだかった。
「何だか分からねぇが、人違いじゃねぇのか? おめぇさっきリリィ王女とか言ってたろ? こいつの名前はホヅミだ。リリィなんて名前じゃねぇ!!」
「ふっ、ふははは! リリィ王女、まさか自身の正体を隠すためにこの様な駒まで用意したのですか? 何と浅はかだ! 次代のパンプキン王国の王が何と情けがない…………………………少しお仕置きが必要ですね」
「いい加減にしやがれぇ!!」
シュウは魔物に殴りかかる。しかし魔物の目つきがおぞましいものへと変貌した瞬間、シュウの体はものすごい勢いで石壁へと叩きつけられる。
「がはっ!?!?」
魔物の手はゆっくりとホヅミへと伸びていく。ホヅミはあれほど強いシュウが容易く圧倒されてしまった事や、リリィを狙っている魔物がいる事に肝が潰れる思いだった。
「おや? 何だか様子が変ですね。まさか本当に? 少し過去の記憶を覗いてみましょう」
魔物はホヅミの頭をがしりと掴む。その手は人間とさほど変わらない大きさで、肌の色が真っ青な所以外は同年代程の人間だ。
「あ、ああ、あ、あああ、ああ、ああああああああぁぁぁあああ……」
魔物が手を退けるとホヅミは我を取り戻す。
「おかしい……これは本当に勘違いの様だ。それにしても今の光景は……まあ良いでしょう。とんだ徒労でした」
魔物は振り返ると窓の方に向かっていく。窓扉の枠に足をかけると、すっと姿を消した。
「な、何だったの?」
呆然と床に座り込むホヅミ。興奮冷めやらぬといった様で腰を抜かしたまま立ち上がる事も出来ないでいる。
「うぐっ……くっ……」
「し、シュウくん? シュウくん!」
シュウの姿を見てようやく足が反射的に動いた様だ。駆け寄って石壁に叩きつけられた彼をそっとベッドの上に寝かせる。
「ど、どうしよ! 口から血が、血がぁ!」
「騒ぐな! 俺の巾着袋に注射のキットが入ってる。血注射だ。俺の肩に注入してくれ。それで怪我が治る」
それを聞いてホヅミは慌ててシュウの巾着袋を漁ると、謎の赤い液体が入っている注射が五本入った小箱があり、それを一つ取り出してシュウの肩に突き刺す。シリンジを押し出していくとシュウの体は蒸気を上げながらみるみるうちに綺麗な体へと戻っていく。変な方向を向いていた腕も元通りに治っていた。
「……ちっ……何なんだあいつは。何で結界の中に入ってこれたんだ! 何で俺は気づかなかったんだ! くそっ! くそっ! くそっ!」
ベッドを力いっぱいに殴るシュウ。羽毛とはいえベッドがギシギシと鳴いている。
「私も驚いたよ。シュウくんよりも強い魔物がいるんだね」
「んあっ!! 何だてめぇ喧嘩売ってんのか!」
「ち、違うよ落ち着いて」
ホヅミは違和感を覚えていた。先程シュウが魔物に容易く吹き飛ばされていた。シュウとの旅の最中、ホヅミはよくシュウの戦いっぷりを見ていた。そのどれもが魔物をパンチ一撃で粉砕する程だ。攻撃を受けたとしても腕で軽く受け流していた。
「んな事よりおめぇ、あいつの口にしていたリリィっておめぇの友達だろ?」
「え? ……うん……そう」
「なぜあの魔物がお前とお前の友達を間違える? 容姿が似てるのか?」
似ているなんて言えば、シュウはリリィを助けてはくれないだろう。詰め寄るシュウにホヅミもこれ以上は隠しきれないと観念する。
「実は……ね……」
ホヅミはこの異世界にいたリリィとの入れ替わりについてシュウに話した。
「てめぇ何で隠してやがった?」
「だってややこしいじゃん。てゆうか信じてくれるの?」
「今更誰が疑うかよ」
入れ替わりを話さずとも、シュウはホヅミの友達を助ける仕事を引き受けていただろう。入れ替わりの事実は言わずとも何も不都合などない。むしろややこしい事実に混乱を招く可能性が多少でもあった。ホヅミの判断は間違ってはいない。シュウはそう思い至ると、呼吸を整えた。
「お前の……お前の友達の? 力が弱まっている今を狙うだとかも言っていた。お前の友達はいったい何者だ? 」
「分からない……あ、でも魔法が上手みたい」
というのも、ホヅミから見たリリィの言われようだった。魔物にも驚愕されて、エルフにも持て囃されている。そんなリリィはきっと凄い魔法の才を持っているのだろうと。
「まあ何であれ入れ替わってるのが幸いしたって事か……ちっ……こんな結界さえなけりゃ」
「え? 結界?」
「何でもねぇ!とりあえずもうあいつは来ねぇだろ!」
シュウは言うと手に黒いグローブを嵌めて、巾着袋を肩にかける。
「俺はちょっと外の風に当たってくる」
「え!? ちょっと、さっきの奴来たらどうすんの!」
「言ったろ! 来ねぇよ。いや、今はそれどころじゃねぇ」
言うとシュウは扉を開けて部屋を出ていってしまった。
「それどころって……私はどうなってもいいの?」
小言を呟くと、再び扉が開く。
「ベッドは使っていい」
「いいの? やったぁ!」
バタン。言い残すと、それからもう戻ってくる気配はなかった。一つしかないベッドを譲ってくれるあたりは良い所なのかもしれない。しかしシュウにも言われたが、やはり先の魔物がまた襲ってくるかもしれない不安はあった。そのせいか眠りにつくのが随分と遅れたが、歩き疲れていたのもあって無事に眠る。
真夜中。
ホヅミは夢うつつ。そんな中聞こえる話し声に、少しだけ意識を傾けていた。
「ああそうだ。結界を破らずに結界の中に入ってきやがった。全体の壁も見て回ったが、何も異常はなかった。門番も俺達以外は誰も通していないとさ」
「俺達? シュウよ、仲間が出来たのか?」
「は? ち、違ぇ。勘違いすんな。依頼を引き受けただけだ」
「ふ〜む、依頼のぉ、むふふ」
一つはシュウの声、もう一つは女の人の声だった。
「それでだ、この王都でエピルカという貴族がエルフの奴隷をたくさん買い込んでいるらしい。他にも正体不明な魔道具や魔本もだ」
「ほぅ、それは興味深いの。エピルカ……確か侯爵家の」
「伯爵だ」
「え?、ああそうじゃったそうじゃった」
気さくな笑い声に、シュウは舌打ちをする。
「これ、舌打ちするでない! 妾(わらわ)も人間故、忘れる事くらいあるのじゃ!」
「あー分かった分かった。でだ、今引き受けている依頼でその貴族と一悶着を起こす。同時に色々と探るつもりだ」
「あまり目立つでないぞ? これは極秘、なのじゃからな? それにお主、結界の中ではあの怪力は使えないのじゃろう?」
結界の中では怪力が使えない?それはシュウのスーパーパワーの事だろうか。とすれば、今日出会った魔物に一撃で倒されてしまったのはそのせいなのだろうか。
「迷惑をかけるつもりはない。腕輪は外していく」
「そうかそうか。さすがじゃのぅ、妾はそんなそなたにフォーリン、フォーリンらぶじゃ! きゅんきゅん」
「切るぞ」
「ま、待て、悪かった。だからもう少し話さんか? 妾も城で退屈しておるのじゃ」
「そうかお互い言うべき事は伝えたんだなじゃあな」
テレビの音が消えたかのように、空間には静寂が広がる。そのせいかシュウの吐息がまるで近くに感じられた。
「お前、起きてるだろ」
「わぁっ!?」
「やっぱり起きてたか」
すぐ近くで声が聞こえたかと思うと、シュウの顔が目の前にあって、ホヅミの鼓動は激しい。
「さっき聞いた事は全部忘れろ」
「女王様の事でしょ? 結界の中で怪力が使えないってどういう」
「いいから忘れろ」
言うとシュウは宿屋のおばさんに借りた敷き布団を床に、体を預ける。しばらく経つとすやすやと吐息を立て始めた。どうやら眠りについたらしい。
(忘れろって言ったって……忘れられないよ……あの力が使えないって、じゃあシュウはどうやってリリィを助けるつもりなんだろう?)
ホヅミは掛け布団を顔半分にまで持ってくる。
(それにシュウと女王様って……相思相愛?)
不安や知欲に目が冴えて、ホヅミはなかなか眠れないでいた。
窓の傍では小鳥達が声を揃えて合唱している。薄目を開くと、窓ガラスからは眩い朝日が差し込んでいた。
「ふんんーっ」
ホヅミは上半身だけ起こして背伸びをすると、左を見る。床に敷いた布団の上ではまだシュウが眠っているようだった。
「あれ?」
ふとホヅミは掛け布団の中から除く赤い何かに気づく。捲っていくと、白い布団は鮮血に染まっていた。
「あが、あがが」
思えば下腹部の痛みが昨晩よりも強い。足を掛け布団から出すと太ももの裾が真っ赤っか。
「ど、どうしよ……あ、宿屋のおばさんなら何か分かるかも!」
ホヅミはベッドから起き上がると立ちくらみ。思わずくらりとそのまま床に倒れてしまう。
「あ、あれ?」
「何だよ……るっせぇ……んあ? 血の臭い?」
シュウは飛び起きる。倒れたホヅミと鮮血に染まったベッドに目を丸くした。
「お、おい! 大丈夫かよお前!何だよ、こんなにひでぇのかよ!……おい! ホヅミ!」
「ああ……シュウくん……もう大丈夫。ちょっと立ちくらみがしたみたい」
ホヅミはゆったりと体を起こした。
「私おばさんの所に行ってくるね」
「ふらふらじゃねぇか。いったい何しに行くんだよ」
「せ、生理なら……どうしたらいいか聞いてこなきゃ」
シュウはホヅミを止めて、その体を抱き抱える。そのままベッドの方へと逆戻りした。
「そういうの昨日にしとけよな……時間あったんだからよ」
目を逸らしながら頬を染めるシュウは、ホヅミをベッドに下ろすと部屋の外へと向かっていった。
それからしばらくするとシュウが何かの束を持って帰ってくる。
「これ」
「あ、どうも」
シュウが渡してくれたのは、着替えのワンピースや下着と、束になった何かの布だった。色は深緑。
「それは吸血樹っていう樹木を素材にして作られたものだってよ。人間の血を吸う樹木らしい」
「あ、ありがとう」
ホヅミは浴室へと向かう。
「それからその服洗濯しといてやるから、浴室のバスケットに入れて外に出しとけ」
「うん、分かった。ありがとう」
シュウは目も合わせずに指す。どうやらおばさんに生理について聞くのがとても堪えたらしい。
ホヅミが着替えを終えてシャワーから帰ってくると、シュウは洗濯の途中だった様だ。だが驚いたのはその異様な光景。この世界には洗濯機の様なものはない。そんな中シュウは床に胡座をかいて、魔法で洗濯を行っている様で、宙に浮かぶ水の中で衣服達が螺旋している。
「初めて見るか? 水魔法の使える人間にしか出来ねぇけどな」
シュウは傍にあった洗浄粉を水の塊にふりかける。すると水は泡立っていき、洗剤の匂いがホヅミの鼻を掠める。それから一分も経ったか経たないかで、濁った液体と衣服を分離した。
「まあ、入れ替わってるなら、元のお前の体で水魔法を使える可能性は十分にある」
衣服は一箇所に落下した。ホヅミは一つ手に取ると、先程まではかなり薄汚れていたと思えるほどに綺麗になっている。水気もなく、とても良い匂いがしていた。
「そうやって洗濯するんだ」
「ずいぶん前に宿屋の人間に聞いたんだよ。本来なら宿屋の人間に任せるんだが、俺はそれがどうも落ち着かねぇ」
シュウは立ち上がると、掌に濁った水を抱えながら浴室に向かっていく。ジャボンと音がしたかと思うと、空手のシュウが戻ってきた。
「洗濯終わったから、またそれに着替えな。食事を済ませたらすぐ出発だ」
衣服を拾い集めたホヅミがまず、先に浴室で着替えを済ませて、次にシュウが浴室で着替えを済ます。しかしシュウの様子に何か足りないものを感じていたホヅミは、シュウが腕輪をつけていない事に気づいた。
「腕輪は外していくの?」
「言ったろ。あの腕輪は外していくって」
ノックが鳴って、シュウは扉を開ける。宿屋のおばさんが食事を運び込んできた。
「おばさん、さっきはありがとうございます。助かりました」
「あら良いのよ。困った時はお互い様、助け合っていきましょう?」
朝食はシチューだった。ホヅミにとっては見た事のない野菜やお肉の入った美味しいシチュー。二人のお腹を温かく満たした。
二人は宿屋を後に、昨日寄った賞金稼ぎ組合へと赴く。気のいい宿主に門出を見送られてホヅミは上機嫌。シュウはというと、何やら度々視線をホヅミに送り、歩調を合わせているようにも見えなくない。
「何? どうしたの? さっきから」
「な、何でもねぇ」
そんなシュウの様子を不思議がるホヅミ。不意に下腹部がズキりとした強烈な痛みに襲われた。
「うっ……」
「おい大丈夫か!」
心配そうな表情のシュウがすぐ横にあった。
「うん、ちょっとズキッてしただけ」
「そうか」
やや綻ぶシュウの顔を見ては新鮮な思いだ。
「か、勘違いすんな。これからお前の友達を助けにいくのにお前は必要だからな」
とそっぽを向くシュウを見て、ホヅミはクスリと笑う。
「あ、そういえば。今から行く賞金稼ぎ組合じゃ、元の私の能力は見られないよね、入れ替わってるから。リリィのを勝手に見ちゃうの、何だか悪いな」
「何でもいい。使える能力なら使うだけだ」
二人は賞金稼ぎ組合を入口を潜った。まだ朝早いからなのか、閑散としている。それでも受付嬢は昨日と変わりなくカウンター越しに参列していた。シュウは三人いる内の左の受付嬢の元に向かう。
「おはようございます。本日は依頼をお探しですか?」
「いいや、こいつの能力を見たいんだが」
「左様でございますか。ではそちらのお嬢様、こちらへどうぞ」
畏まった態度で出迎えられて、思わず背筋が伸びるホヅミ。
「髪の毛を一本いただきます」
さっと素早い動きで受付嬢はホヅミの髪の毛を一本抜いてみせた。避ける間もない程の速度で、笑顔の下に潜むのは、もしかするととんでもない猛者なのかもしれないとホヅミは戦く。
「うふっ、ではこの髪の毛をお手に」
ホヅミの出した掌に乗せられる髪の毛。そのやり取りにますます懸念が募るホヅミ。受付嬢が手を翳すと、痛い思いはしたくないと目を瞑る。
「……下位分析魔法! 目を開けて御覧になってください」
そう受付嬢が優しく促すと、ホヅミはゆっくりと目を開ける。
「わぁっ!? 髪の毛から何か浮かび上がってる」
「この魔法は分析系統の魔法の一つです。対象のDNAを含んだ物を媒介にして発動する魔法です。媒介に触れている者に、対象の能力や適性などを見せられます。この魔法なかなか使える人が少ないんですよ?」
受付嬢はウインクして見せる。が目の前の能力表示に目を奪われているホヅミには届かず、受付嬢はがくりと肩を落とす。
ホヅミの能力は……リリィの体の能力はというと、まず使用可能魔法系統があり、そこには全魔法と記されていた。
続いて固有魔法は分析、蘇生、天√※§°*、増幅魔法と記されている。
固有能力は魔力供給、※◎>▽°#∽√と文字化けしていた。
「あ、ああ、ああああ」
称号:魔物と人間のハーフ、†≧<√◎*
ホヅミは開いた口が塞がらなかった。
「何だ、どんな能力だったんだ? まあ所詮俺よりかはしょぼいだろ?」
と自信満々に聞くシュウ。ふと下の方に、本・固有能力入れ替わり作動中とあった。本・固有能力とはつまり、ホヅミの本体の能力が入れ替わりの能力という意味だろうか。
「どうしたんだ? 何て書いてあるんだ。俺にも見せ」
ホヅミは咄嗟に髪の毛を飲み込んだ。
「何してやがるおめぇ!」
「や、やだなぁシュウくん。女の子のものを覗き見しようだなんて、はしたないですよ?」
「あ゛あ゛っ!? 何寝惚けてやがんだ!たかが能力だろうがコラ!」
ホヅミは友達の衝撃の事実に狼狽していた。つまり今までリリィは隠し事をしていたのだ。そんな予感はしていた。ユーナラ町でこの体が弾かれるのは、結界がこの体を拒んだのだろう。そしてニト町や王都に入る事が出来たのは、昨夜の魔物の言葉に答えがある。力が弱った今を狙ったとあの魔物は言ったのだ。魔物と人間のハーフというだけに、力が不安定。そう考えると、つじつまが合った。
「とりあえずもう行こう? 受付嬢さんありがとうございました!」
「あん!!押すなコラ!お前の能力見ねぇと先進まねぇだろうが!!」
ホヅミはシュウの背中を入口に向かって押していく。
「あら、元々私の能力なんか宛にしなくても友達を助けられるだけの算段じゃないの?」
「は? いやいや、お前の能力が利用出来そうなら利用するって話だろうが! おい!」
「いいからいいから。知られたら恥ずかしい女の子の秘密も書いてあったの!」
それにはシュウも言葉が引っ込んだ。
「ちっ、何なんだよそれ」
二人は賞金稼ぎ組合を後にした。
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