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エピルカ=シエンス
二人はエピルカ=シエンス邸に向かっていた。昨日ツキジから受け取った王都の地図を見ながら、丸印が記された箇所を目指してシュウが先導する。
その間、ホヅミは一人考え込んでいた。先程賞金稼ぎ組合に行ってから浮かない顔だが、それもそのはず。リリィは魔物と人間のハーフで、そのリリィは家を勘当されたと言っていた。それにはホヅミも、何か深い事情がある様に思えてならなかった。おまけにユーナラ町にリリィの体が入れなかった事をリリィ自身は心当たりがあった様で、あの日あの時、涙を流したリリィの姿をホヅミはこの目で見ていたのだ。
「リリィ」
他にも疑問が残る。まず自身の本体の能力についてだ。入れ替わりの能力自体はそもそもどうやって使用するのだろうか。この世界に来た時、リリィと頭を激突させた。それが条件なのだろうか。また、リリィの体では全魔法が使用出来るのに、シュウに水魔法の使い方を教えてもらっても、リリィの体のホヅミが使えなかったのはなぜか。風魔法は使える。もしかすると、元の体で使える魔法しか使えないのかもしれない。そもそも、体はただの媒介で、魔法の根源は精神や魂にあるのやも。
「おい、おい!」
「えっ!?」
あれやこれやと考えていたホヅミははっとする。
「ぼーっとするな!もうすぐ着く、気を引き締めろ」
心ここにあらずだったホヅミはシュウの呼び掛けに気づくのが遅れてしまっていた。
シュウは地図を握り締めて、ピリピリとした緊迫感を放っている。王都北東。住宅街より外れ、人通りのない一本道。両側では高い木々が不気味に風に靡いている。先に見えるのは大きな屋敷。同時に広めの庭があり、黒い鉄柵が周りを囲んでいる。門には二人の兵士が棒立ちしていた。
「こっちへ来い」
シュウは茂みに入って手招きしていた。
「結局こっそり侵入するの?」
「んな事したらバレちまうだろ。大抵貴族の屋敷には魔法の壁が張られている。ガラスみてぇなもんだ。割れば音で気づかれる」
シュウは巾着袋から何かを取り出していた。チャリチャリと音を立てて出てきたのは鎖。先には鉄の輪っかがついている。もう一つは文字入りの手枷。ここまでくると何をするかは予想はついた。
「ねぇ、待って。それは嫌」
「じゃあおめぇはどうやって中に入るんだ?」
言われて考えてはみても、身分証を持たないとなるとホヅミには何も思いつかない。こんな事ならばシュウに作戦を任せっ切りにしなければ良かったと悔やむ。
「いや………だから、他にないの?」「ねぇ」
即答。呆然とするホヅミの両手にさっさと封魔錠や首には鉄鎖のリードをカチリと嵌めていくシュウ。
「それじゃ、ここで少し待ってろ」
その言葉に我に返るホヅミ。シュウは一人茂みの中へと潜り込んでいった。
「どこ行くの?」
「ちょっと裏面工作をな。すぐ戻ってくる」
言われて、ホヅミは茂みに隠れる様にしてシュウを待った。この様な状況を誰かに見つかってしまっては何をされるかも分かりはしない。早く帰ってきてと何度も心に願ってしばらくが過ぎた頃、シュウは戻ってきた。
「あぁー、すげぇ疲れた。じゃあ行くぜ」
額に汗をかいているところを見ると、何かをしてきたのだろう。シュウを先導に、一行は邸の門へと向かった。近くまで来ると、鎖を引きずる音に門番が気づいたようだ。門番の前までくると、門番は互いに槍を混じらわせてクロスの形を作っている。
「何者だ!」
「どうもお初にお目にかかります。私はこういうものでして、どうか彼のエピルカ伯爵様に直接ご商談をと参った次第でございます」
(うわっ、人変わり過ぎでしょ。何あの笑顔初めて見たんだけど)
シュウはにこやかに、巾着袋から手形の様なものを取り出して見せると、門番はそれを手に取って吟味し始めた。
「なるほど、行商手形か。悪いが奴隷なら間に合っている」
「いえいえ、そんな粗末なものよりももっと素晴らしいものを手に入れましてね」
(粗末ぅ〜?? シュウめぇ〜)
門番から手形を受け取ると巾着袋に仕舞う。代わりばんこに出てきたのは、何とアルストロメリア王国の腕輪だった。
「こ、これは!?」
ホヅミもそれには驚いていた。邸に潜入するがためとはいえ、自身の仕える国の誇りを取引道具として用いるシュウの気が知れない。
「私もエピルカ様のお手伝いがしたい。そんな思いでこれを今回の取引の目玉にさせていただこうかと」
門番はゴクリと喉を鳴らす。
「……分かった。通れ」
「ありがとうございます」
こうしてシュウとホヅミはすんなり門を通る事が出来た。
「ねぇシュウくん。私、この格好する意味あった?」
シュウは前を向いて黙ったままだ。
「シュウくん? おーい、シュウさん? ほんとはこういうの好きなだけで、つけたかっただけなんじゃないですか? シュウさん?」
「奴隷が口きくな」
「なっ!? ……ぐぬぬ」
その冷たい反応にホヅミは顔を真っ赤にして睨みを利かせるホヅミ。騒げば後ろの門番が面倒になるので、堪えて大人しくする事にした。
「どの様なご要件でしょうか?」
出迎えたのは目つきの鋭いメイド。眼鏡の下の突き刺す様な視線は、道端で水を求めて苦しんでいる人間を平然と踏み殺してしまうほどに冷たいものの様に感じられる。
「商談をお持ちした次第でございます。こちらを御覧ください」
シュウは巾着袋から腕輪を取り出すと、メイドはぴくり眉を動かして、眼鏡の位置を指で整える。
「なるほど。ではこちらへ、待合室へご案内致します」
一行はエピルカ邸のメイドに連れられて邸内を進む。邸内は清掃が行き届いており、一言で綺麗と言い表せるほどだった。だがしかし警備の兵士は前のメイドと似たように、心做しか冷たい雰囲気を醸し出しているようにホヅミには思えて、居心地の良いとは言えない場所だった。
「こちらが待合室にございます。どうぞお入りください」
とある個室の扉を開けて、冷ややかな表情で中へと促されるシュウとホヅミ。部屋の中央には光沢感のある長方形の木製のテーブルが置かれていて、豪快なソファがそれを挟む様に位置する。天井にはシャンデリアの様に細かな装飾品が、煌びやかに明かりを部屋に注いでいる。それは紛れもない光で、この世界にも電気は通っているのかとホヅミは気に留めるが、これも魔法の類なのだろう。
「ではこちらでお待ちください。伯爵様をお呼びして参ります」
メイドは扉を閉めようとした。するとシュウはメイドに飛びかかる。腕を締め上げてメイドの体を床に叩きつけた。そのまま寝技を決め込み、じたばたするメイドを無理矢理押さえ込むシュウ。
「おっと声を上げるんじゃねぇ、妙な真似をしようものならお前の首をへし折るぜ」
「ふっ……ずいぶんと……人が…変わった様ですがああっ」
「生憎、こっちが本性なものでね……おいホヅミ! 扉閉めろ!」
ホヅミはその様子にあたふたとしていたが、言われて咄嗟に扉を締め切った。
「そろそろいいな……発動、時限の黒穴!」
バリィンッ! バリバリバリバリ。
大きく分厚いガラスが割れる音をはじめに、更に続けてガラスが割れていく音がした。
「何事だ!!」
「侵入者! 侵入者!」
「出合え出合え!!」
バタバタと待合室の外から何人もの駆け足が聞こえてくる。
「な……にをした?」
「この邸に張られていた魔法壁にちょっとした細工をした。外に出てった奴は今頃足止めくらってるだろうよ」
外。
「何者かが魔法壁を壊したぞ!」
「あそこだ! ゆくぞ!」
門番も混ざって幾人もの兵士たちが魔法壁の崩壊点に向かって走る。
「わっ!? な、何だ体が浮いて……わぁーっ!?!?」
「お、俺も…うわぁああ!!」
それは空間に突如出現した大きな黒穴。凄まじい吸引力が、近くに来た兵士達を丸呑みにしていく。
「くそ! 何なんだあれは!」
「これ以上近づくな! 罠に違いない!わ、わああっ!?」
外に出た兵士達は次々と大きな黒穴に呑み込まれ、残りの兵士はその場で腰を抜かしてしまっていた。
やがてその黒穴が消えると、後にリリィ達がそちらの方角へと脱出していく。兵士の数も少なくなって、魔法壁が既に割られてしまっている事にも気づかずに、滞りなく邸からの脱出に成功する。
「おいホヅミ! 袋ん中に封魔錠の鍵が入ってる。そいつを解錠してこっちへ渡せ!」
ホヅミは言われるがままにシュウの巾着袋を探ると鍵の様なものを手に取った。それを鍵穴に差して回すと、カチャリ。封魔錠が床に落ちる。自由になった手でそれを拾うと急いでシュウに手渡した。
シュウは封魔錠をメイドの背中で施す。メイドは両腕を後ろで固定されて自由な身動きが取れなくなってしまった。
「それじゃあ案内してもらおうかああっ!?!?」
シュウはお腹を踵で蹴り上げられたショックでたくさんの体液を口から吐き出した。
「ったく……世話のかかる」
手を使わずに起き上がったメイドは、出会った時と変わらず冷たい目でホヅミを見下ろすと、見えない早さで一発の蹴りがホヅミのお腹にめり込む。
「がはっ!!」
「あまりメイドを舐めないでもらえますか?」
メイドは靴と靴下を脱ぐと、器用にホヅミの落とした鍵を足の指で挟んで、背中の両腕にかけられた封魔錠に差し込み回す。封魔錠は床に落ちて、自由になった両腕の体操を始めた。
そして意識をいち早く持ち直したシュウはその隙を狙って蹴りを入れる。するとメイドは見向きもせずにその蹴りを躱して見せた。
「雑な蹴り。見え見えですね。蹴りというものは、こうするのですよ」
読めない動きから、目で追えない早さで飛んでくる鋭い蹴りに、シュウは無意識下で腕を前に出していた。
「ほう、受け止めましたか。ですがあなたには見えていない」
「そうか分かった。こうなりゃ仕方ねぇ。お前をボコボコにして無理矢理案内させるだけだ」
シュウとメイドの攻防が始まった。メイドは蹴りを得意としている様で、連続した鋭い蹴りをシュウに向けて繰り出している。対しシュウは防戦一方。飛んでくる蹴りに対して、腕で受け止めるのが精一杯の様だ。
「くっ」
「どうしました? 攻撃はしないのですか?」
「るっせぇ!」
何とか隙を探ろうとするが見つからない。そもそもシュウ自身、喧嘩が得意なだけであってちゃんとした格闘技の経験は一度もない。誰から教えてもらう事も教わる事もなかったのだ。メイドの繰り出す蹴りは格闘技のそれだろう。シュウは下唇を噛む思いだ。
(くそっ、このままじゃやべぇ)
平和な時代の日本で育ち、二年この世界で過ごしたシュウと、魔物との命の奪い合いによる死を生まれた頃から常に隣に置いて生きてきたこの世界での人間とでは、格が違う。結界さえなければシュウは力のごり押しで勝つ事は出来るだろう。だがそれはどうにもならない。
「どうしようどうしよう」
意識を取り戻したホヅミは押されるシュウを見てまごついていた。何か自分に出来る事はないかと辺りを見回していると、手に触れる鎖。ホヅミはこれだと直感が働いた。シュウの巾着袋を拾って中を漁ると、先のとは別の鍵を取り出した。鍵を首の後ろにある鍵穴に差し込んで回すと鉄の輪っか部分が外れる。ホヅミは鎖を握ると、頭の上でブンブンと振り回して、戦闘中のメイドに投げつけた。
「小癪な!」
(ここだ!!)
メイドが鉄の輪っかを弾き飛ばした刹那。シュウはそこに出来た隙を逃さなかった。
「くらいやがれぇ!!」
シュウは中指を少し突き立てた拳で、メイドの鳩尾目掛けて腕を振り抜く。見事拳はメイドの鳩尾に命中し、メイドはあんぐりと口を開けては白目を剥いていた。
「あ、あ、はぁっ」
バタリ。メイドは床に倒れる。どうやら気絶したようだ。
「はぁっはぁっ、はぁっ……やったぜ」
シュウは相当に疲労したようで大の字に床へと寝転がる。
「大丈夫?」
恐る恐る寄ってきたホヅミにシュウは微笑む。
「助かった。お前のおかげだ、ありがとう」
礼を言われて顔を赤らめるホヅミ。冷や冷やはしたもののこうして二人無事でいられることに安心していた。
「全く、良い奴隷を持ったものだ」
感激のシーンはその発言で台無しとなってしまう。
「は? 誰がいつあなたの奴隷になったんですか? いい加減にしてよね!」
「ふっ」
ドガアァン!!!!!
突然と耳に入る爆音。この場からは離れた所からだ。ホヅミは、またシュウの仕掛けた何かだろうと高を括っていたが、シュウの綻んだ顔が難しいものへと変わっていて怪訝な面持ちだ。
「ちっ……何が起きてんだよ」
シュウは起き上がると、封魔錠を拾って伸びたメイドに再びかける。そして傍に落ちていた鉄鎖のリードの鎖部分で、メイドの足をきつく縛り上げた。
「下位水魔法!」
水の塊をメイドの顔に被せる。
「ごほっ! ごほっごほっごほっ……ふっ、さすがにこれでは、動けませんね」
「さあ、案内しやがれクソ女」
シュウはメイドをお姫様抱っこすると、部屋の入口に向かう。そしてホヅミには指示を出して扉を開けさせた。
「まあ、大胆なお方」
「殺されてぇのかてめぇ」
「あら怖い」
部屋の外には誰もいなかった。シュウの起こした最初の騒ぎで、邸にいた警備兵がほとんど出払ってしまったらしい。そしてその外も、窓から覗いた様子では誰の姿も見えなかった。
「シュウくん、兵士の人達ってどうなっちゃったの?」
「あ? ああ、今頃どこか高い所で惚けてんだろうよ」
それは生きているという意味なのだろうか。死んでから行くどこかの事だろうかと追及したい所だが、知らぬが花という言葉を思い出して止める。その会話の様子を見ていたメイドがクスリと笑うと、それがシュウの癪に障ったようだ。
「何笑ってやがんだてめぇ」
「あなた、奴隷と仲良しなのね」
ホヅミは危うく転びそうになる。
「違う! 違うから! 私奴隷じゃありませんから!」
「あら、そうなの?」
そうこう話しているうちに、とある通路に辿り着いた。その先の中央には大きな火炎が燃え盛っていて、更にその先の壁には風通しのいい大穴が空いている。
「あらあら、ずいぶんとやらかしたのね。これは後でお掃除ね」
ホヅミは大きな火炎を見て、どこか見覚えのある様な懐かしい感じを覚えていた。炎なんてものから感じるはずもないのかもしれないが、今この時ホヅミには"何か"を感じられていたのだ。
「おい! どこなんだ奴隷の収容場所は」
「あそこよ、あの煙の上がってる所」
見ると床に空いた穴から煙が上がっていた。近くに寄って穴を覗いてみるとそこには階段があり、煙が床下に蔓延している事がよく分かる。これでは床下には向かえない。
「ちっ……ん?」
床をよく見ると、薄ら素足の跡がいくつも先の大穴まで続いているようだった。
「逃げたのか? 奴隷が」
「そのようねうわぁっ!?」
シュウはもう用はないと言ったようにメイドの体を通路沿いに放り投げた。
「ホヅミ! 奴隷達は逃げたのかもしれねぇ。さっきの大きな音も、恐らく奴隷達の仕業だ」
シュウの指した床に、たくさんの足跡をホヅミは見る。
「シュウくん!」
二人は互いに首を縦に振って、先の壁に空いた大穴に向かって駆けていく。
そこは王都北東のエピルカ邸より、更に東に位置する場所。ラストラビットのゼロはリリィを抱えて辺りを飛び回り、リリィは火炎魔法を打つ準備を。リリィとゼロは、ちょび髭を生やした貴族の大男から何とか立ち回ろうとしている。
「ええぃちょこまかと! うさぎの分際で!! 旋風の砲弾!」
エピルカの魔法は見えない風圧を砲弾の様に繰り出すもので、当たれば文字通りどうなるか分かったものではない。少なくともそれは樹木に当たれば、大きく円形にその部位だけ削り飛んでしまうようだった。
「リリィさん!」
「うん! 下位火炎魔法! 下位火炎魔法! 増幅魔法!」
エピルカは後ろを取られて咄嗟に風魔法で身を翻す。大きな火炎は惜しくもエピルカを捉えずに空中で燃え盛る。
「おのれ小賢しい! 旋風の爆砲!連弾!」
エピルカはめちゃくちゃな方向に魔法を連続して打ち始めた。空気の歪みでしか視認する事が出来ない砲丸サイズの風圧の塊を、辺りに散りばめている様だ。
「旋風の砲弾!!」
ゼロは避けた。だが先程散りばめたエピルカの旋風の爆砲に被弾。リリィはゼロが反射的に放り投げたお陰で助かったが、体中がボロボロになったゼロ。特に被弾した足は向いてはいけない方に向いていて、傷だらけで骨肉が剥き出しになっている。
「ゼロ!!」
「ふっ、これでちょこまか動けまい!」
赤紫色の血に塗れた足を抑えながら悶え苦しんでいるゼロの元にリリィは急いで駆け寄った。
「今回復魔法かけるから! 下位回復魔法、下位回復魔法! 増幅魔法!」
ゼロに緑色の癒しの光が注がれる。
「おかしい……最初の上位レベルの魔法といい、中位レベルの魔法の多用、これは人間の域を超えている」
ゼロの言葉にリリィはふと記憶が蘇る。それはエピルカの書斎に侵入した際に見た出来事だ。この目で見るまでは信じ難い程に鮮烈な光景。それはエピルカとエルフの融合。あまりに異様で、残酷な場面だった。
「あいつ……エルフと融合してる」
「何だって!? エルフと融合?! くっ!」
ゼロの足の状態はあまりに深刻で、さすがのリリィの魔法でも短時間ではなかなか治らない。その様子にエピルカは邪悪そのものの笑みを浮かべた。両手をリリィ達に翳して、歯を剥き出しにする。
「リリィさん!俺の事は放っておいて!」
ゼロを回復しきる事は出来なかった。リリィはやむ無く、放たれるだろうエピルカの魔法に備える。
「来ますよ、リリィさん」
「もうあの魔法しかない……どうなっちゃうか分かんないけど」
リリィはすっと目を閉じて集中。パッと目を開いて、自身の両手に精力を注ぎ込む。
「中位火炎魔法! 中位火炎魔法! 増幅魔法!!…… うあっちぃ!!」
二十メートル直径はあるだろう凄まじい巨大な火炎が出現する。
「痛っ……くっ……でも、食らえ!!」
「特位魔法、嘆きの暴風!!」
エピルカは特位魔法を発動させた。それは最初に打った竜巻の弔砲よりも規模が大きく、辺りの木々を巻き込む程の風力で離れているゼロの皮膚でさえ傷つける。まさにサイクロン。それを圧縮したものを人間が主導権を握っている様なものだ。
「死んでくれるなよ、リリィ! お前は私の玩具だからな?」
「皆の痛みを思い知れ!! 天に召されろぉっ!!」
互いの魔法が鬩ぎ合う。巨大な嵐と巨大な火炎のぶつかり合いは熾烈を極め、リリィの魔法が揺らぎ始める。
「リリィさん、腕が?!」
「くっ……く」
リリィの腕はみるみるうちに真っ赤に焼け焦げていく。リリィは今まさに腕を炎に焼かれている状態だった。その激しい火傷の痛みは、リリィの魔法の心根を大きく乱す。
「ハッハッハ! 弱い弱い! 実に軟弱だ! だから捨てたのだよ! 人間の体を!!」
「くぅっ!!……」
押されるリリィの魔法。このままではリリィの傍にいるゼロまでもが巻き込まれてしまうだろう。
「くそっ! 動け! 動け俺の足!」
ゼロは無理に立ち上がろうとするが、痛みで力をまともに入れることが出来ず、バランスを崩して転んでしまう。
「ゼロ、あなただけでも逃げて」
苦悶の表情を浮かべるリリィ。
「そんな、リリィさんだけ置いて逃げるなんて」
「あなたには妹が待ってるんでしょう? それなら、生きて帰らなきゃ」
一瞬、うさぎに戻って目をうるうるとさせるゼロ。顔を横に振って、決意を目に宿す。
「逃げませんよ、俺。リリィさんのお陰で、生きて日の目を見られたんです。逃げるなんて真似、ラストラビットの誇りにかけてしません。それにこの足じゃ、逃げても逃げ切れません。ちゃんとリリィさんに治してもらうつもりですから」
言うとゼロはふらふらとした足で立ち上がる。
「絶対に治してくださいね……上位強化魔法!」
ゼロは切れた魔法を再度かけ直す。ゼロは典型的な近距離戦型の魔物だ。そんなゼロの出来る事はただ一つ。身を滅ぼしてでも肉弾戦を貫き通すこと。
(動け! 俺の足! こんなの痛くない! 壊れてもいい! 壊れてもリリィさんに治してもらえばいいんだ!)
「ぬおおおおぉぉぉぉ!!!……迅速の」
「当たりやがれぇぇぇええっ!!!!!」
その時、どこかから声が聞こえた。ゴンと鈍い音が響いたかと思うと、エピルカの魔法は霧散する。リリィも限界がきていたようで、倒れたエピルカに魔法が届く前に霧散してしまった。
「な、何が」
ゼロは拍子抜けして、その場にへたり込んでしまう。リリィも膝から崩れ落ちて、ぐったりとしていた。
「リリィ!」
左を見る。こちらに向かって駆けてきたのはブロンドセミロングで緑色の瞳をした女の子。
「リリィ!!」
「ほ……ホヅミんぶわぁっ!」
ホヅミはリリィを抱きしめた。その様子にいまいち頭がついていかないゼロ。リリィは疲労で瞼が閉じかかってはいるが、ホヅミの登場に驚き困惑していた。
「さっすが俺のピッチングだぜ。見事にヒットしてやがらぁ!」「リリィぃ会いたかったよぉ!」
奥で大きな声を吐き散らす男の子を差し置いて、ホヅミはワンワンと泣きじゃくる。そんなホヅミの背中を優しく叩いてあげたいが、リリィは火傷でもう腕を動かす事もままならない。
「あれ? どうしたのこの腕! やだ! そんな! リリィ! どうしてこんな目にぃ! うわぁーん!!」
更に泣き喚くホヅミに大丈夫大丈夫と言い聞かせて少し落ち着きを取り戻させると、早速リリィはまともに動かない腕に魔力を集中させる。互いの手を向き合わせて、下位回復魔法・倍を施した。
「んがああっ!? いっつぁー」
みるみるうちに傷は治っていくが、治す過程でも尋常でない痛みが発生し、思わず奇声を上げてしまうリリィ。ホヅミが心配そうに見守る中、その背後から男の子シュウがやって来た。
「へぇー、初めて見たぜ。増幅魔法か……でだ」
シュウはゼロの元に寄ると、いきなり胸ぐらを掴んでメンチを切る。そのシュウの形相にうさぎに戻って怯えるゼロ。
「ホヅミに言われなきゃこっちに向かって岩ぶん投げてたんだが、何で結界の中にてめぇみてぇなうさぎ、もとい魔物がいんだアンッ!?」
「きゅいんっ」
俺は何も悪くないよと言わんばかりに首と手を横に振るゼロ。
「待って! その子もボクと同じ様に奴隷にされてただけなの! それにあいつを倒すのに協力してくれたとっても良い魔物なの!」
「へぇー、へぇー、へぇえー?」
疑り深いの模範を表した様な目で、ゼロに顔を近づけるシュウ。
「よしっ! 治った。次はゼロの番」
リリィは綺麗に治った両掌をゼロの足に翳す。それを面白くなさそうにシュウは睨んでいるが、無事にゼロの足は治り、嬉しい気持ちのゼロはうさぎの様にその場をぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「さてと、あとはあいつだな」
シュウは歩いて仰向けに倒れるエピルカの元に寄る。巾着袋からまた何かを取り出したと思いきや、封魔錠だった。頭に大きなたんこぶをつけて気絶しているエピルカの体を起こして両腕を後ろに回し、そこで封魔錠をかける。そしてメイドの時と同じ様なミスをしないために、エピルカのズボンを脱がし、ロープ代わりにして足を縛り上げた。
「下位水魔法!」
大きな水の塊をエピルカの顔にぶちまけると、エピルカは目を覚ます。先程の闘争に駆られた様な恐ろしい目つきとは打って変わり、惚けた顔でシュウを見上げた。
「お前、エピルカだな? お前が集めていた魔道具や魔本とは一体なんだ? 何故エルフばかりを奴隷にする? 答えろ」
「えと……ああ……れ?」
まだ寝惚けている様で、それならばとシュウはエピルカのすぐ頭上を素通りして、樹木に拳を埋める。
「答えろ」
「ひぃっ!?」
小さな悲鳴を上げるエピルカ。
「わ、私は古より伝わる禁呪法に興味があるだけでしてぇ! 人間が魔物と同じかそれ以上の体を得られると言われる禁呪法をたまたま見つけて実験していたんです!!」
「ほぅ……ならその禁呪法とやらはどうやって知った?」
「とある遺跡にあったと言われる魔本から」
「どこの遺跡だ!」
「カナリア遺跡でふ!!」
シュウの迫力に押されて、エピルカは思わず語尾を噛んでしまう。
「魔本はどこにある?」
「へ!? そ、それは……」
「どこだ!?」
困り顔でエピルカは目線を逸らす。
「あのリリィという者に燃やされました」
「え!? ボク?!」
後ろで聞いていたリリィが自身を指してゼロやホヅミに確認を求めるが、どちらも当然知らないようで。不意にリリィはエピルカの書斎で火炎魔法を連発して色々燃やしてしまった事を思い出していた。
「魔道具も何もかもです」
シュウは振り返ってぎろりと憤怒の相でリリィを睨む。
「あはは、やっちゃったね!」
笑い飛ばすリリィを見てクスリと笑うゼロ、苦笑いのホヅミ。シュウは顔を引き攣らせて、エピルカに向き直る。
「魔物を捕らえていたのは何故だ? 拷問か?」
「いえ……最後に魔物と融合する事で、あの禁呪法は完成します。そのための材料です」
「そうか分かった。ありがとよおっさん」
シュウはエピルカの腹に目掛けて思い切り蹴りをお見舞いした。エピルカは再び気絶して動かなくなる。それからシュウはホヅミ達の元へと戻った。
「俺の用はもう済んだ。あとはあいつを煮るなり焼くなりお前らの好きにしろ」
言うとシュウはここには用はないといったようにこの場から立ち去ってしまう。
「待ってよシュウ!」
堪らずホヅミが呼び止める。ホヅミはシュウの元に駆け寄ってその腕を掴んだ。
「私達と一緒に行こうよ!」
「あー言ってなかったけど、俺今任務中なんだわ。わりぃな」
とシュウは掌を見せて軽く返す。
「そう……残念だけど。それじゃあこれ、受け取って」
ホヅミはポケットから銀貨四枚を取り出してシュウに渡した。
「ああそうだったな。忘れるとこだったよ」
シュウは銀貨を受け取ると、背中をホヅミに向けた。
「じゃあな。またどこかで会うかもな」
片手を空に上げて別れのポーズを取るシュウ。
「はぁ」
ホヅミはため息をついて肩を落とした。シュウに背中を向けてリリィの元へととぼとぼと戻っていく。
「ホヅミん。あの人何てーの?」
下を向くホヅミの顔をしゃがみ込んで下から見上げるリリィ。
「シュウって言うの。私と同じ日本から来たんだ」
「ふーん」
「でね、リリィを助けるためにここまで手伝ってもらったんだ。お金を払ってね」
それを聞いたリリィははっとなり、目を潤ませる。
「ホヅミん……迷惑かけたねぇ……ごめんねぇ」
泣きつくようにホヅミを抱きしめるリリィ。困るホヅミの制服はだんだんと湿っていく。
「り、リリィっ、謝らなくていいよっ」
「じゃあありがとう」
そうしているとやがて、シュウの姿は茂みの中へと消えていった。
「さて、そろそろ俺も行きます。リリィさん、またあの結界避けお願いしていいですか?」
「任せて! 下位魔鎧魔法・微!」
「ぺらぺら?」
こうしてゼロの体には薄い魔法癖が張られる。
「それじゃあ!」
ゼロは物凄い速度で高い壁のてっぺんにまで一気に駆け上がってしまった。
「すごーい」
ホヅミは感心しながら見上げている。
「あっ、リリィ。これからどうする?」
「んーどうしよっか?」
リリィは腕を組んで眉に皺を寄せる。
「とにかく他のエルフを助けたいんだよね……」
「それいい! そうしよう!」
「でもホヅミん、無理しなくて良いからね? 何なら宿屋で待ってても」
ホヅミが魔法を知らない世界から来た人間である事を懸念してのリリィの思案だ。
「大丈夫。足でまといって言われたら仕方ないけどね……あ、そうだ! 私も魔法使える様になったんだよ?」
ホヅミは壁に向かって片手を翳した。
「……風の弾丸!」
シュッと空気を切り、掌の方向へ風圧の塊が小鳥を追い越す速度で飛んでいく。当たった壁は小さく削り飛んでおり、それにはリリィも驚いて喜ぶ。
「凄いよホヅミん! 完璧じゃん! それにそれ、応用魔法だよね! 凄い凄い!」
「え? そ、そんなにすごい? あはは」
「うん! 普通じゃ魔法を初めてから数日足らずで応用まで出来る人なんていないんだよ!?」
リリィがあまりに喜ぶもので、ついホヅミも顔が赤くなってしまう。リリィには遠く及ばないだろうけど、少しでも力になれるならそれでいいと考えるホヅミ。
「よしっ! これならエルフの皆だけじゃなくて、この王都にいる奴隷全員助けられるよ!」
「えっ!? ぜ、全員!? それはさすがに無理じゃ」
「まずは片っ端からそれっぽいとこ殴り込みね!」
意気込むリリィは本気のようだった。ホヅミはこの世界についてはあまり知らないが、エピルカという一人間にでさえ、リリィは痛めつけられていたのだ。そう上手くいくとは思えない。
「ねぇリリィ、やっぱり私達二人だけじゃたぶん無理じゃないかな?」
「何言ってんの! 今にも泣いて苦しんで助けを求めてるんだから!」
「でも、あのエピルカって人だけでもあれだけ強かったんだよ? いくらリリィが強くたって、体が持たないよ 」
あんな酷い目にあってほしくないという思いで何とかリリィを説得しようするホヅミ。だがそんな話し合いの最中、空から何かが降ってきて二人は気を取られてしまう。
「ゼロ? どうしたの? 何で戻ってきたの?」
舞い戻ってきたラストラビットのゼロ。見るからにその表情は青ざめていた。
「大変ですリリィさん! 魔物の大軍が王都に迫ってきています!」
「「何だってぇ!?」」
一刻前。ハイシエンス王都、王の間にて。
「陛下! 大変にございます! 北に魔物の軍勢が迫ってきています!」
中央奥に座しているのは白髪の老人はハイシエンスの王。鼻下と顎下の白い髭は整えられている。高貴で盛大な重々しい衣装に身を包み、台座の肘掛に肘を乗せて顎をついていた。平面よりも高く位置しているその台座に座った者には、周りものが全て低く見える仕組みだ。王は目先で膝をついて深々と頭を下げる兵士を見下していた。
「ならば全兵を挙げて迎え撃て」
「はは!」
兵士は立ち上がると歩いて王の間から去ろうとする。
「待て!」
「はっ!」
兵士は振り向いて直立する。
「何故歩く」
「はっ! 申し訳ありません!」
王はその返答にイラついた。
「違う、何故だと聞いている」
「はっ! 僭越ながら陛下の座すこの間に埃を立ててはなるまいと思った次第であります!」
「そうか、ならばよい。ではお前も例の作戦の一人となれ」
広い赤いカーペットに沿ってズラリと並ぶ何人もの兵士たちがどよめく。
「お、お言葉ですが陛下。私は陛下のためを思って」
「余のため? ふふふふふ、そうだ。だから申しておる。お前はよほど忠誠心がある様だ。ならば薬など使わずとも、お前の意思で命を捨てるその覚悟を余に見せるのだ」
王は極めて柔らかい言動で淡々と話していた。その笑顔の裏に恐ろしいものを見た兵士は体を小刻みに震わせている。ガタガタと鎧の音が鳴っており周囲の兵士達にもはっきりとその兵士の恐怖が伝わっていた。
「では行って参れ」
「は、はっ!」
これからあの兵士は死ぬのだと、王の付き兵士達は青白い顔で見送っていた。そして王の近くにいれば近くにいるほど、次は自分の番かもしれないという恐怖に慄く兵士達。
「走る爆弾……ふっふっふ、我ながら良い名だ。使うのもどこぞで拾ってきたゴミに過ぎん」
王は高らかに笑う。その笑い声は王の間の高い天井からカーペットの先にまでおぞましく響き渡る。
「魔物共、貴様らも年貢の納め時だ」
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