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シュウ=トサカ
ホヅミは宿の部屋に着いていた。
この世界での通貨は、安いものから順に、石貨、銅貨、銀貨、金貨、白金貨が流通している。石貨十枚分が銅貨一枚、銅貨十枚分が、銀貨一枚と、桁が上がる事に通貨の価値も上がるのだと、シュウには教えられていた。手元には銅貨二枚。宿代は銅貨八枚で支払った事となる。残りはシュウの雇用費だ。ホヅミはベッドに寝転んで、じっと銅貨を手に見つめていた。
「これから……生きていけるのかな…私」
ホヅミは先行きに不安を感じる。恐らくエルフに渡されたお金は、エルフの村の少ない財から搾り出したものだろう。元々人との関わりが少ない上に、一度村を襲われているのだ。お金が少ないと感じてしまうのも仕方がない。もしこれで失敗すれば、エルフの期待を裏切るだけでなく、リリィや自身の不幸を招いてしまうだろう。
「あのシュウって人、本当に勇者なの? あんなに乱暴な勇者なんて聞いた事もないよ」
勇者であるかはともかく、日本人という点においては幸いだ。だがシュウの態度を見る限り、あまり人との関わりを好んでいないようで、助け合う事の出来る人間かも分からない。せっかく同じ日本出身なのにと、ホヅミは残念な気持ちである。もしかすれば、異世界での暮らしに困窮してホヅミを騙そうとしている可能性もない事はない。
「はぁ〜、不安だよ」
ホヅミは目を瞑って、日本にいた頃を思い描いた。どれもが嫌な思い出ばかりだ。好きで女の子の格好をしたりしただけなのに、可愛いものを家に飾ったりしただけなのに、没収される。男と言われる度に嫌な感じがしていた。股についた物もいつか自然となくなるのだろうと思っていた時期もあった。そう考えた時、ふとホヅミは自分の体が今、リリィのものであることに気がついた。
「そういえば……今はリリィの体なんだっけ」
太もも閉じて擦り合わせる。そこには前まであったものがなくなっていて、ホヅミは安心という名の感覚に浸ることとなる。
「これが……私の望んだあたり前……これが……私の普通」
リリィには悪いが、ホヅミは少し良い気分に口元を緩ませる。そしてにやにやが止まらないホヅミの耳に、突如声が聞こえる。
「何にやにやしてんだよ、お前」
「っ!?」
驚いて声も出なかった。目を開けると、そこにはシュウの顔があったのだ。
「ちょっと話があってきた」
それからホヅミはこの世界に来た経緯について聞かれた。ベッドに座り、入れ替わりについては触れずに訥々と語る。シュウは腕と足を組んで偉そうにベッドに腰をかけて、ホヅミの話を聞いていた。
「なるほどな……俺と似てるな」
「あの……良かったらシュウくんのも、聞かせてよ」
せっかく自身から交流を図りに来てくれたシュウの機嫌を損ねないよう、棘がない様に訊ねる。
「あ? 何で俺がお前に教えるんだ?」
こちらの思惑など一切気にせずに、荒々しい態度でいちいち睨みをきかせるシュウ。やはり仲良くは無理だと、ホヅミは肩を窄めた。
「…………俺は」
憎まれ口を叩いたかと思うと、シュウはすんなり自身の過去を語りだした。その様子にホヅミは少し疑問に思ったが、黙ってシュウの話に耳を傾ける。
シュウは橋川中学校に通う中学三年生で、喧嘩の滅法強いと自称している。ただの喧嘩好きで、本人曰くヤンキーではないそうだが、売られた喧嘩は買い、喧嘩を売ることもしばしばあったそうな。しかしある日シュウはある男に、追われていると言われ、その男を庇って追ってきた黒服達と喧嘩をしたという。喧嘩では圧倒していたが、行く手を阻むシュウに痺れを切らせて銃で撃ってきたのだ。シュウは撃たれてそのまま意識を失った。気がつけばシュウはこの異世界の荒地に倒れていたという。辺りには何もなく、一人で徘徊していた。すると荒地の先に影を見る。人だと思いシュウは駆けた。だがそれは異様な姿をした怪物で、シュウに襲いかかってきたそうだ。けれどシュウは俄然乗り気で、喧嘩をする感覚でいとも簡単に倒してしまったのだという。自分が勇者であると気づいたのは、町に到着してから。賞金稼ぎ組合の組合員に登録した際に、自らの能力や称号が参照され、勇者の称号がそこに記されていたのだという。
「私も、何か能力があるのかな」
「さあな。あっても俺よか強くねぇだろ」
「へぇー、じゃあシュウくんはどんな能力があったの?」
聞かれたシュウは待ってましたと言わんばかりに、自慢気な表情で胸を張る。
「俺の能力は、スーパーパワーだ」
「スーパー……何その分かりやすいネーミング」
「あんっ?! なんか文句あんのか?」
シュウは馬鹿にされたような気がしてホヅミに突っかかる。
「いえ、ないです」
誤魔化す様に苦笑いで答えるホヅミ。
起点はどうあれ、ホヅミは同じ日本出身のシュウと出会えて良かったと感じていた。言葉遣いは酷いがちゃんと話せる人間で、しばらく日本の話題で盛り上がっていた。聞けばシュウも同じ宿に泊まっているそうな。途中宿主が割り込んで食事の支度か出来たとの報せが為される。それを聞いたシュウは会話を打ち切り立ち上がった。それを見たホヅミはシュウに、一緒に食事へ行かないかと誘うが、嫌だねと素っ気なくきっぱり断られてしまう。それにはホヅミも顰めっ面。
(何よ、可愛気ない)
シュウは部屋を出ると、それを追いかけるようにホヅミも部屋を出た。良い香りが漂ってくる。自身の部屋に戻るシュウと分かれてホヅミは下の階へと向かう。
「おい、ちょっと待て」
「何ですか?」
少し他人ぶった素振りで振り返ると、頬を指でかきながら照れ臭そうにシュウが横顔を向けている。その様子をホヅミは怪訝に思う。
「…まえ」
「……?」
ボソッと小さく言うものだから聞き取れず、ホヅミは更に怪訝に表情を変える。
「なまえ! お前のなまえ、教えろ」
「何だ名前か……私はホヅミ」
「それ苗字だろ」
「良いじゃない? 可愛くて」
にこりホヅミは笑うと下の階へ向かう。シュウはそれをじっと見つめて鼻を鳴らすと、自分の部屋へと戻っていった。
リリィはまず魔力の回復をしなくてはと、ある物を探していた。上階へと一つ登ったところには人の気配がなく、先まで聞いていた悲鳴は更に上の階から聞こえてきていたものだろう。今いるフロアには部屋が三つ左沿いに存在しており、リリィはちょうど二つ目の部屋を探索していた。
「ない! ここにも! そこにも! んぁあーっ!」
リリィの探しているのは、魔力を回復するための魔注射だ。また、傷を治癒するための血注射というものが存在している。
リリィは書斎の机から棚の上、タンスの中まで隅々に探すがお目当ての物は出てこなかった。
「くそっ、次の部屋行こ」
リリィは二つ目の部屋を後にして、三つ目の部屋に向かう。薄暗い部屋。魔法のランプに魔力を込めると灯る。照らされ視界に映ったのは、白い粉で床に大きく描かれた真新しい魔法陣。赤やら緑やら紫やらと色々な液体の入ったフラスコが机には並べられ、一冊の本がその隣で開かれている。木で出来た不気味な彫像が壁にずらりと並べられ、リリィを出迎えていた。今にも動き出しそうな勢いで、リリィより少し上の目線から部屋を見下ろしているものもあれば、苦しんで今にも叫び声を上げそうなものから邪悪に笑う像までもが置かれている。
「何? ここ」
リリィは色々なフラスコの置かれた机の引き出しを開けた。するとそこには、魔注射や、血注射までもが用意されていた。やっと見つけたと、リリィは魔注射を手に取ってキャップを外し、その尖った切っ先を自分の肩に突き刺す。シリンジを押し出して液体を注入すると、魔力の高まりがはっきりと感じられる。
「よしっ……早くこんな薄気味悪いとこ出よう」
リリィは魔注射を持てるだけ持って部屋を出ようとする。しかし時が遅く、それはやってきた。
「ちっ! 使えない玩具だな。いったい私がいくら払って買ってやったと思っているんだ!」
怒りに任せて毒づく男の声。忘れもしない。リリィは慌ててランプの灯りを消して、彫像の後ろへと身を隠す。
「ん? 扉が開けっ放しではないか ……まあいい」
バタン。男が床に何かを放った。ランプに火を灯すと、浮かび上がるのは忘れもしないあの顔。エピルカだった。エピルカは辺りを見渡すと、机に視線を合わせる。床に放られた、ボロボロの布キレ一枚を着せられ衰弱しきった女エルフの背中を踏みつけ、視線の方へと向かっていく。
「ふっ、貴様など……我が力の糧としてやるだけありがたいと思え」
エピルカは机に置かれたフラスコに入った液体を、赤、黄色、緑の順で一つの試験管に調合する。女エルフの元に寄って屈み、その口元に調合された液体の入った試験管を添えた。
「ほら、飲め」
言われても反応を示さない女エルフにイラつき、無理やり口の中に試験管をねじ込む。女エルフが液体を飲み込んだ事を確認すると、試験管を机に戻した。
「エイビョウイヤァーサーシンビョウイヤァーサー……」
訳の分からない呪文をエピルカが口にすると、床に敷かれた魔法陣が眩い光を放つと、エルフの体に異変が起きる。
「ぬ、ぬおおおおお!!」
驚く事に、エルフの体は溶ける様に少しずつエピルカの体と融合していっているのだ。このままでは女エルフが死んでしまう。リリィはその場に出てエピルカの魔法を妨げようと思ったが、リリィの体は竦む。声を出そうとも、喉がつかえる。気づけば胸の動悸が激しく、息をすることにすら苦しみを覚えていた。やがてエルフの姿は跡形もなくなってしまう。
「ふははは……力が漲る! これだから止められんのだ! 禁呪法は!」
大きく身振りを交えて笑う様は、悪魔のようにも見えた。
「さて、リリィといったか。あの新しい玩具で楽しむとしよう……じゅる」
凍りつくほどの恐ろしい笑みを見たリリィの頬には冷たい汗と生温い涙が伝い気持ちが悪い。いつの間にか唇は噛み切れて、鉄の味が口の中に広がる。
魔物は横暴で邪悪で卑劣。故郷のトト村の塾で散々と教えられてきた言葉が自身の脳裏に浮かぶ。エピルカはまさに魔物のそれと同じ。もしかすれば、エピルカは魔物化した人なのではないだろうか。もしくは魔物が人の姿に化けているのではないか。ふと以前トト村で出会ったカラナという魔物を思い出した。カラナは肌の色が青白く、明らかに魔物と区別は出来たがエピルカは違う。見た目だけならば何もかもが人と酷似している。禁呪法による魔族との融合は初めて知ったが、それが原因なのだろうか。何にせよ狂気の沙汰は魔物そのものだ。
そうこう考えているうちに、エピルカは部屋を出ていった。すると足の震えが治まってきてほっとするリリィ。だが少し考えて、まずい状況にいる事を改めて知る。今のエピルカの様子だと、恐らくエピルカは牢屋に向かうのだろう。新しい玩具と口にしていたので、恐らく自分の事だ。もし自分がいない事をエピルカが知ったら、慌てて自分を探し回るだろう。それに逆上して、他に囚われたエルフや人間の子供に手を出しかねない。
「どうする、どうする」
エルフとの融合を果たしたエピルカは力が漲ると言っていた。予想するに以前戦った時よりも強さが増しているに違いない。
「あぁ…元のボクの体があれば」
リリィは自身本来の体でない事を嘆いた。
明朝。シュウとの約束を守り、ホヅミは早起きをする。ぐっすりと快眠をしたようで、体が軽い。早めに寝ておいて正解だったようだ。日がまだ顔を出していないので、冷たい空気が肌を刺す。ホヅミは着替えがなく、宿主に自身の着ていた服を洗濯してもらう代わりに寝巻きを用意してもらっていた。鏡の前に立つと見慣れぬ異世界の寝巻きに、見慣れぬ寝惚けた面、寝癖が跳ねたブロンドセミロング。まるでゲームの世界で、ゲームキャラを選んでそれに自身が入って動かしているような、そんな気さえしてくる。
「えっと、こうするんだっけ」
ホヅミは蛇口に意識を集中させる。すると魔力が強すぎたようで勢いよく水が噴射する。
「わわっ」
慌ててイメージを"滴る水滴"まで整え直すと、水はなだらかに蛇口から流れ出る。ホヅミは両手で水を掬うと、顔にかけて洗う。冷たい刺激がしゃきりと顔の表情を引き締めた。備え付きの布で濡れた顔を拭いて、横のバスケットに目を移す。そこには昨晩宿主に渡しておいた洗濯物が綺麗に畳まれて置いてあった。
ホヅミはブラシを使って髪の毛を整える。歯ブラシを使って歯磨き。昨日、宿主に記憶を無くしたとかで濁して、異世界について何も知らない旨を話すと、一通り説明をしてくれたのだ。電気水道、それらに中るものは全て魔法の術式によって補われている。昨日に行った湯浴みも、さすが日本とは違い新鮮な気持ちで楽しめていた。そんなホヅミは何とか異世界の勝手に慣れてきたようだ。ホヅミは着替えると、ベッドの横の台に置いた短剣に目線を移す。
「忘れないように…ね」
ホヅミはぎゅっと短剣を抱きしめて祈りを込める。
「サーラさん、どうか私とリリィを守ってください」
ホヅミは部屋を後にする。集合場所は町の入り口ではあったが、その前に挨拶をと思いシュウの泊まっていた部屋へ向かった。
トントン。
ノックをするが反応がない。すると誰かが階段から上がってくる音がした。
「あら、あんた…勇者様ならささっと支度して出ていったよ」
宿主の言葉にホヅミは慌てて宿から出ようとする。
「あ、待って! お弁当用意したんだよ。朝早いからって聞いてたからね」
「ありがとうございます」
宿主から巾着袋を受け取ると、宿を後にする。町の入り口までは走っても十分はかかるだろう。早起きをしたつもりがシュウに後を越されてしまっていて、少し悔しく思いながら急いで町の入り口に向かう。そしてその姿が見えた頃には、日は昇り始めていた。腰に両手を据えていかにもといったようにイライラを剥き出しに待ち構えるシュウに、ホヅミは焦りを抱きながらシュウの元へと到着する。
「はぁ、はぁ、ごめんなさい…はぁ、まさか、こんな早く来てるなんて」
「ふんっ」
「あ、はぁ、待ってよ…はぁ」
ホヅミの言葉を気にもかけずにそそくさと歩くシュウの後に、息を切らしながらついていくホヅミ。
しばらく歩くうちに日が昇り、温かい日差しが二人の頭に麗らかに注ぐ。
「ねぇ」
ホヅミはシュウに声をかける。しかしシュウは見向きもせずにずんずんと先を行く。
「…ねぇ」
まるで聞こえていないかのように反応を示すことがなく。
「ねぇ!」
するとシュウは動いた。手を腰に巻いた巾着袋に回して、その中から竹筒を取り出すと、キャップを外してゴクリと水分補給。ホヅミの思っていた行動とは違っていた。さすがのホヅミもイラつき、シュウに駆け寄ってその肩に手を伸ばす。
「ねぇっわわっ!」
宙を一回転。ホヅミは背負い投げをされてしまう。そして地面に叩きつけられる瞬間、腕を引っ張り上げられてシュウの前で着地する。何とか無事で済んだホヅミ。けれど突然の事にさすがのホヅミも怒り心頭。振り向いてシュウを睨みつける。
「何すんの!!」
「何じゃねぇよ! いきなり俺の肩に触れんじゃねぇ魔物かと思ったろうが!」
シュウもホヅミに張り合うように睨みをきかせて言い返す。だがホヅミも負けじとシュウに張り合う。
「へー、魔物か人間かも区別がつかないんだぁー。勇者の名も形無しだねー」
「んだとてめぇ! あ゛! もういっぺん言ってみろよコラあ!」
「何度でも言ったげるわ勇者の名も形無し! このチビ助勇者!」
シュウの目付きが鋭いものへと変わった。地雷を踏んでしまったのだろうか、ホヅミは動揺。シュウは腕を曲げ拳を握ると、それはホヅミ目掛けて放たれる。
「え? うそ? 冗談だって!」
ホヅミは頭を抱え縮こまった。
ドゴォン。
「グギャアアアアア!!」
後ろで何かの悲鳴が聞こえる。自身には何も起こらないのでちらっと片目でその方を見ると、胴体のちぎれとんだ大きなニワトリの様な魔物が叫びの表情をして、数メートル先にまで吹っ飛んでいた。下半身は手前に残し、そこからは青黒い血が噴き出しており、驚いたホヅミは慌ててシュウに抱きつく。
「抱きついてんじゃねぇよコラ」
「…ごめん」
それからホヅミを体から離したシュウはしばらく考え事をしていた。先ほどのホヅミとのやり取りが腑に落ちないでいる。
(あいつに触れられた時、急に魔物の気配が現れてすぐに消えた……あれは俺がさっき倒した魔物とは違う……もっとものすげぇ……感じた事のねぇ気配だ……)
倒した魔物は鶏の頭に蛇の尻尾を持ったコカトリスという魔物。シュウに言わせればたかがBクラスの魔物だった。
(なんなんだ……この違和感は……勘違いなのか?)
二人が歩く道のりは、草原、森と越え、荒地。ホヅミが今までに歩いてきた道よりは、遥かに楽な道のりではあった。だが辺りには何も無い。川の水も流れてはいない。ホヅミは喉が渇いていた。そして異世界について何も知らないホヅミは水筒も持ち合わせていなかった。疲弊も重なりそろそろ休憩をと言いたいところだが、シュウは何も提案してはくれない。
「ねぇ、シュウくん。そろそろ休憩にしませんかぁー?」
「まだだめだ」
返答はしてくれるようになったところ、遅刻した事についてはもう怒ってはいないらしい。
「ねぇ、シュウくん。私もう喉が渇いたよぉ」
「あ? だったら自分の小便でも飲んでろ」
と冷たい一言が返る。
「シュウくんって…冷たいよね」
「あ? ……ちっ」
するとシュウは巾着袋から水筒を取り出すと、ホヅミに差し出す。
「え? くれるの? 私に? やったぁーって、え?」
ホヅミが水筒に手を伸ばすと、シュウは避けて水筒を頭上に振りかざす。
「この水筒が欲しいか?」
「うん、欲しい」
「三回廻ってワンだ」
「え?」
ホヅミは聞き慣れない言葉にもう一度聞き返す。
「三回廻ってワンと言え。出来たらこの水筒をお前にくれてやるよ」
「な、何それ! 意味わかんない!」
「ほぅ、じゃあいらないんだな?」
「そ……それは」
ホヅミはしばらく考え込む。喉はカラカラで声も掠れているほどだ。しかしどうしてもプライドが許せない。
「や……やるわけないじゃん」
「そうか……ならばやらん」
向き直って歩を進めるシュウ。ホヅミは膨れっ面でその後に続く。
しばらく経っても景色も全く変わらず何も無い荒野続き。脳みそまで乾いてしまいそうなほどだ。どうもシュウが言うには自分達のいる場所は乾燥帯らしい。通りで草木が枯れ辺り一面荒野な訳だ。そんな納得をする頃には、ホヅミの渇きは一層増していた。ふとシュウは振り返る。
「この辺りで休憩にしよう」
シュウは岩に腰掛けると、巾着袋からお弁当を取り出した。ホヅミも反対の岩に腰掛けてお弁当を取り出したが、渇きが酷く食事も喉を通りそうになかった。
「どうした? 食わねぇのか?」
「は? べ、別に」
喉がカラカラで声も上手く出ない。そんなホヅミを知ってか知らずか水筒を取り出して水を飲みかけるシュウ。
「あああぁ」
水を飲もうとするシュウを見てホヅミはつい声が漏れてしまう。
「…水、欲しいのか?」
ホヅミは首を全力で縦に振る。
「三回廻ってワンだ」
言われてホヅミは下唇を噛んだ。私にだってプライドはあると我慢を選ぶ自分と、プライドなどどうなってもいいと言いなりになるのを勧める自分がいた。渇きは益々増しており、ホヅミは強まる葛藤に苦しめられていた。そして更なる追い討ち。シュウは見せつけるようにして水筒を口に添える。
「分かった、やればいいんでしょ? やれば」
ホヅミはぐっと恥を堪えて決意を固める。そして、一回、二回、三回とその場で廻ると
「ワン!」
パチパチパチ。その姿にシュウは笑顔で拍手をする。
「よく出来ました。じゃあやるよ」
シュウは放る様にホヅミに水筒を渡す。ホヅミは恥という苦難を乗り越え手にした水筒のフタを開けて、待ってましたと言わんばかりぐいぐいと水を飲み干す。
「どうだ? 美味しいか?」
「ぷはーっ! 生き返るぅー!」
「そうかそうか、俺が今までに何度も口を添えたその水筒に入った水がそんなに美味しいか。そんなに俺との間接キスを喜んでくれる奴を見るのは初めてだよ」
その言葉に思わず吹き出してしまうホヅミ。
「は? ふざけないでよ! アンタの間接キスなんか喜んでないし!」
「下位水魔法!」
シュウの頭上で水の塊が浮遊する。
「まあ、こうすれば良かったんじゃない?」
シュウは竹で出来た細筒を水の塊に挿してストローの様にして、ゴクゴクと水を飲んでいた。
「私……風魔法しか……使えないもん」
「教えて欲しいならこれから語尾をワンにすること」
「嫌よ! もう絶対嫌だから!」
「ちなみにこれから先、ずっと乾燥帯で…喉が渇くと思うんだけどなぁ」
「…………」
恥をかかされる身にもなってみろと言いたいところだが、シュウの言う通り水が飲めないのは困る。ホヅミはゴクリ唾を飲み込むと、拳を握る。
「教えてください……ワン」
「良いだろう」
「これしかない」
リリィの隠れている部屋はエピルカの書斎か何かだろう。見た事もない怪しげな魔法術式の書物や実験道具、高価そうな装飾品など、エピルカが大事にしていそうなものがわんさかとある。恐らく不気味な像達も、エピルカにとっては大事なもののはずだ。
「下位盾魔法!」
リリィは換気口と思しき場所に盾魔法を施した。よってこの部屋は密閉状態。
「下位火炎魔法! 下位火炎魔法! 下位火炎魔法!」
手当り次第に燃えやすい物に向かって下位火炎魔法を唱えるリリィ。あっという間に書斎は燃え広がった。リリィは魔法の詠唱を一旦止め、自身まで焼かれてしまわないように早々に部屋を退出。その間際に更にもう一発下位火炎魔法を唱えて扉を締め切る。
「準備完了」
リリィの作戦では、上手くいったとしてもエピルカの足止めくらいかもしれない。しかしエピルカとの魔法合戦で呆気なく敗北を喫してしまったリリィにとっては、最善とも言える。
「……そろそろいいでしょ」
リリィは呪文を唱える準備をした。この呪文を唱えた途端に、エピルカはこちらに向かってくる。ドキドキと胸の鼓動が激しく波打ち、リリィの口を躊躇わせる。
「さん……に……いち……下位爆発呪文!」
これといって何もない通路で、空気は熱を伴い爆発した。その大きな爆発音は広い通路の隅々まで響き渡る。リリィは爆音に紛れて急ぎ階段付近の部屋に隠れた。そしてあたりはしんと静まり返る。すると、コツコツと足早に階段の方から聞こえてきた。
「なんだなんだ、何が起きたんだ?」
足音はリリィの隠れたドアの前を通り過ぎる。
「あの部屋から煙が……まさか!? あそこには私の貴重な魔道具が!!」
足音は駆ける。
ガチャ。扉のノブは回されて、爆音や空気の揺れを感じ取れた。
「ぐあああぁぁぁ!!」
その悲鳴を聞くと、リリィは扉を開け放って階段へと向かう。一気に駆け下りて、自身が先ほどまでに捕らえられていた牢屋の階に着いた。
「皆! 助けに来たよ!」
淀んだ空気がどよめいていく。リリィはさっそく一つ目の牢に向けて手を翳す。牢の向こうには先ほど助けると約束を交わした人間の子供が期待の目をこちらに向ける。
「いくよ! 上位熱魔法!!」
みるみるうちに牢の鉄格子が溶けていく。
「さ、行こう!」
怯んで目を閉じたが、すぐに子供はすっと目を開ける。子供には封魔錠がかけられていなかった。よれよれとした動きでリリィの元に寄る。リリィはその子供の頭を優しく撫でた。
「助けに来たよ」
こくりと頷く子供。そしてリリィは二つ目の牢、三つ目の牢と、次々に鉄格子を魔法で溶かしていった。しかしホヅミの体では、魔力消費の激しい上位魔法は二発が限度だった。
「お姉ちゃん、痛くない?」
「え? あ、あはは……無理やり突き指させられるよりは平気だよ」
リリィはエピルカの書斎でくすねた魔注射を繰り返し腕に突き刺して、魔力回復を行っていた。
それから十五の牢を解放しただろうかと思う所で、とある牢に辿り着いた。
「リリィさん、それはラストラビットという魔物です。放っておきましょう」
と、助けた女エルフが言う。
ラストラビットは片目を開いてギロりとリリィを見上げる。その赤い瞳は苦痛に歪んでいる様にもリリィには見えた。
「リリィさん!」
後ろについている女エルフが、リリィがあらぬ気を起こさない様にと呼びかける。しかしリリィはラストラビットから目を離さない。リリィはその牢に両手を翳した。
「上位熱魔法!!」
「リリィさん!?」
「放っておけない。この子だって、同じようにあいつに苦しめられただろうから」
リリィはラストラビットの元に寄り、両腕にかけられた封魔錠の錠穴に手を乗せる。
「……下位熱魔法!」
リリィは皆に施した方法と同じように、封魔錠の鍵穴へ魔法を加える。
「下位氷魔法!」
封魔錠からカチリと音がした。錠穴に亀裂が入っている。ラストラビットはそれを床に叩きつけると、パキンと音を立てて封魔錠が砕ける。
それからリリィは、下位回復魔法でラストラビットの傷を治癒していく。
「良いのか? 俺を助けても。俺は魔物だぞ?」
その愛らしい姿には似つかない程の低い爽やかな声にリリィは少し目を丸くしてしまう。
「魔物とかそんなの今は関係ないよ。それにあいつの方がよっぽど危ないよ」
リリィの後ろで困惑するエルフや人間達。すくっとラストラビットは立ち上がると、一層にざわめく。その背丈はリリィの目線よりも高かった。耳を含めれば、この場にいる誰よりも高いだろう。
「どこのどなたかは存じないが、ありがとう。俺の名前はゼロ。これで妹の元に帰る事が出来る」
「妹?」
魔物にも家族がいるのかと考えてすぐに、自分は魔物と人間から生まれた子なのだと思い出す。今まで魔物の事に関しては、ただ恐ろしい存在だと、倒すべき存在なのだと教えられてきた。リリィはもしかするととてもひどい偏見の目を魔物達に向けてしまっているのかもしれないと、自身の今までの行いや、人や魔族に対しての疑心や恐怖が湧いてきていた。もし、もし魔物が悪い存在でないのなら、なぜ人や魔族は魔物を嫌うのだろう。魔物は倒すべき、魔物は人や魔族を襲う生き物。しかしそれは魔物が人や魔族に対して、正当な理由があっての事ではないのだろうか。先に仕掛けたのは、人や魔族の方ではないのか。
魔物の全てを知ったわけではない……リリィはそれを胸に留めた。湧き出してくる疑心や恐怖を抑え、今いる邸を脱出する事に焦点を置く。
「これで全員だよね」
リリィを含め十二の人間と四のエルフ、そしてラストラビットのゼロが集まった。リリィは皆を率いて前を歩く。恐らくエピルカは倒した訳ではない。けれどここに連れて来られる前の様子からして、エピルカは回復魔法を使えないのだろう。恐らく黒焦げになって息絶え絶えで床に這いつくばっているはず。エピルカの仲間がくれば回復魔法でエピルカは復活するが、この地下は深め。さきの爆発呪文を音で気がついたのはエピルカのみだろう。目につくだけの血注射も回収したので、いきなり回復したエピルカが現れる可能性も低い。だが時間は惜しい。急がなければ、階段から立ち上る煙で気がつかれてしまう。
「皆、息を止めて……一気に行くよ」
リリィの起こした爆発により、エピルカのいる階より上は煙が立ち込めている。リリィはエピルカが倒れているだろう所に顔を覗かせる。思った通りエピルカと思われる黒焦げが床に寝そべっている。動かないところを見ると、気絶しているのだろう。
「……よかった……」
リリィは胸を撫で下ろすと、まず自分が階段を駆け上がり、次にゼロ、そしてエルフ達がそれに続く。
「くそっ!何事だ!」
「下の階から煙が上がっている! 奴隷が何かしでかしたのか!?」
上階からする声を聞いて、リリィは魔法の準備をする。まず片手に下位火炎魔法、もう片手にも下位火炎魔法。
「増幅魔法!」
「何だお前ぬわああああ!!」
「うわああぁぁぁ!!」
大きな火炎に包まれて悶える兵を避けて、リリィ達は先を急ぐ。
「凄いですねリリィさん。人間なのに、その歳で増幅魔法を使う事が出来るなんて」
「え? まあね、ボクってて・ん・さ・いだから!」
細かく言えば、ホヅミの体を用いても、だ。
前からは次の兵士が現れる。
「お前ら! この邸から逃げ出せると思うなよ!」
リリィ達の前に槍を突きつけて立ちはだかる兵士。リリィがまた魔法の準備をすると、それを見たゼロが横から遮って前に出た。
「次は俺の番です」
「ま、魔物か」
ぐっと槍を握り直す兵士。それに対し、先程までの優しい目つきとは違って目を尖らせるゼロ。
「魔法! 上位強化魔法」
ゼロは野生のうさぎの様に足に力を込める。
「舞え、迅速の剛拳!!」
「ぐはっああ!?!?」
消えた様に見えたゼロの姿はいつの間にか兵士の元に、そしてその兵士もいつの間にか消えていて、瓦礫が砕ける様な音がしたかと思うと、向こうの壁には大きな穴が開いていた。
「兵士もやっつけて出口も出来て、一石二鳥ですね」
返される屈託ないゼロの笑顔に、エルフ達やリリィは引き攣り笑いをする他なかった。
「それはそうと、俺は魔物です。エルフの方々も魔族。魔の力が強い者は王都の結界に弾かれる。おまけに王都は高い壁で囲まれています。いったいどうやって脱出を?」
「そこはボクに任せてよ」
以前ホヅミがリリィの体で、町の結界に弾かれた事があった。それからリリィはずっと考えていた。どうやってリリィの体で町に入れば良いのか。瞳の色が緑に戻った時は魔力が著しく弱まる。その時結界に弾かれる事はなくなるが、瞳の色を制御する事は出来ない。
「つまり、強い魔の力を結界が感知するんでしょ? なら弱々しい微弱な魔法壁を体の周りに張り巡らせれば良いだけだよ」
「なるほど! 確かにそうすれば、私たちエルフでも通れそうですね。凄いですリリィさん」
「えへへ」
リリィは後頭部を掻きながら照れている。
「賢いですねリリィさん。俺も思いつきませんでした。いえ、思いついても実行不可能。微弱な魔法制御は、恐らく元々魔の力が色濃くない人間だけが可能でしょうから」
エピルカ邸は王都の東。最短距離で更に東へ進んで壁を目指す。
「どうしたんですか?」
リリィは耳を抑えて苦悶の表情を浮かべる女エルフAの姿を見る。
「はぁああっ!」
「ご、ごめんなさい。この子、エルフの中でも特段耳がいいんです」
と、別の女エルフが女エルフAの背中を摩ってあげている。
「鞭……鞭で打たれてるっ……叫び声が聞こえる……きっとエルフよ……はぁあっ」
リリィは思い出していた。自身のいたエルフの村ではエルフ攫いが出ている。エピルカはエルフの村の情報とエルフルートを手にしていた。その提供者は貴族か貴族へ情報を売る者であると考えるのが妥当だろうか。だとすれば連れ去られたエルフ達が王都にいる可能性は高い。
「とりあえず、立ち往生していたらいつあいつが復活してボクらを捕まえにくるか分からない……辛いけど急ごう」
リリィと他の者は東へ向かって進んだ。道無き道を掻い潜り、壁の方に抜け出ることが出来た。幸い、ここまで誰とも遭遇する事はなかった。先ほどから苦悶を浮かべる女エルフAも、耳を抑えるのを止めていた。
「エルフの方々、力を貸してください。あなた達とボクの風魔法で一人一人を壁の向こう側に移します」
エルフ達は顔を見合わせて頷く。
「リリィさんは休んで。飛翔の魔法は上位魔法。人間のあなたでは二回が限度でしょう? 魔注射も多用すれば、副作用であなたの身が持たないわ」
リリィはその言葉に甘んじて、この役割はエルフ達だけに任せる事にした。エルフ達は揃って人間達に両手を翳す。
「上位魔法! 飛翔の極意!」
人間達は皆次々と壁の向こうへと飛ばされていく。そして残ったのはエルフとリリィとゼロ。
「俺は魔法壁さえ張って貰えれば、壁を駆け上がっていけますから」
自信のある態度でゼロは言うと、リリィは微弱な魔法壁をゼロの周りに張り巡らせた。
「下位魔鎧魔法・微」
ゼロはというと見事に高い壁を駆け上っていき、壁の上から手を振って見下ろしている。皆驚いていたが、一エルフは驚くよりもぺらぺらというおかしなネーミングにぷっと吹き出す。でもリリィは気にせずエルフ全員にぺらぺらな魔法壁を施した。
「ぺらぺらとは、ずいぶんなネーミングだなぁ」
その一言にリリィやエルフ達は凍りついた。
「いやぁ見事見事。先の爆発は効いたねぇ。リリィ、ますます気に入った!」
パチパチパチ。拍手でやって来たのはエピルカだった。ぴんぴんとしている所見るに、回復魔法による治療がもう済んだらしい。
「皆! 早く飛んで! 下位火炎魔法」
「させるか。鋭利な旋風」「下位火炎魔法! 増幅魔法!」「「「「飛翔の極意!」」」」
大きな炎の竜巻が現れる。同時に四エルフは空へと飛び立っていった。
「ちっ……まあ良い。他は飽きた。私は君が欲しいのだよ……リリィ! 竜巻の弔砲!!」
巨大な炎の竜巻は一瞬で掻き消えた。そして向かってくる、圧縮された風の大砲。当たれば間違いなくただでは済まない。恐らく上位魔法。しかし特位魔法に匹敵するほどの迫力を持っている様にも見受けられる。
「中位風魔法! なっ!?」
リリィは多少無理にでも身を交わそうと風魔法を唱えた。だがそれによって生まれた旋風は、エピルカの放った竜巻の弔砲に飲み込まれてしまったのだ。
「まずい、やられ」
ドゴォン。凄まじい轟音に、王都の分厚い石壁には大きなクレーターが出来てしまった。 あともう一発、二発同じ魔法を繰り出せば大穴が空いてしまう程に。
「大丈夫ですか? 俺の事分かりますか?」
「……ゼロ?」
リリィは間一髪の所でゼロに抱えられて、無事に生きていた。
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