6.弟子への餞別

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 翌朝の天気は快晴で、長距離移動には絶好の日和と言えた。  朝食を済ませて荷物をまとめた忌一は、明水と三善を伴って事務所の門前で最後の挨拶を交わす。 「最後までよく頑張ったね、忌一君」 「いえ、俺何もしてないですから……」  そんな忌一に明水は意地悪そうな顔をして、「またまた。結構な手土産を持ってるじゃないか」と嫌味を言う。 「あ、子島さんのことですよね!? すみません!!」  慌ててパーカーのフードから桜爺を取り出す。忌一の手の平に乗った桜爺は暫く明水を見つめたが、特に言葉を交わそうという意思は感じられなかった。 「何か話すことがあれば……俺、席外しますけど」 「いや、彼はもう君の式神だ。僕に話すことはないよ」  動揺していたとは言え、彼は『子島』であることより『桜爺』を望んだのだ。それは恐らく彼の本心だった。「式神には好きや嫌いなど無く、主の命に従うだけ」……そうは言うが、式神と言えど言葉を交わす以上いつ情が湧いてもおかしくはない。冷静であったなら、理性では子島でいることを選んだかもしれないが、動揺で本心が晒されたのもそれはそれで運命と言えた。  桜爺となった瞬間から、忌一から供給される霊力で彼の式神となっている。子島であったなら明水に報告しなければならないこともあるだろうが、今の桜爺にはその責務は無い。主である忌一の(めい)のみを遂行するだけだ。  子島であった頃の記憶はあるが、契約から解き放たれた瞬間に式神は新しい主への忠実な(しもべ)となる。その辺はかなりドライなのだ。  明水は「それより……」と言って、胸元から名刺を一枚取り出した。 「万が一何か起こったら、僕に知らせてくれ。三善でもいいけど」 「何かとは?」 「あぁ……君の出生に関わることとか、君の体の中に封印してる同居人のこととか? 何かわかったら教えてくれ。あと、君の式神に何かあった時もね」  封印はそう簡単には解けないと自負しているが、常に万が一の可能性は考えなければならない。だがそれを明水の口から直接言うのは(はばか)られた。 「わかりました。ではそろそろ行きますね」  忌一はそう言って深々と礼をすると、最寄りのバス停まで歩き出した。その後ろ姿を暫くの間、二人は静かに見送る。 「子島を式神に迎えた彼ならもう、陰陽師としては三善より上かもな」 「え!?」 「冗談だよ。コーヒーを淹れる腕が君に敵うわけないだろ」 「それ陰陽師と関係無いのでは?」  どこまでが本気なのか、七年も師事していながら三善は未だに掴めていない。が、嘘だったはずの“陰陽師の修行”は、明水の式神を得たことで真実となってしまったようだ。  その証拠に、明水の発言は忌一を弟子だと認めているようにとれる。 「次会う時は、僕も無事では済まないかもしれないな……」  ボソリと小さな呟きが聞こえ、どういうことなのかと三善が振り向いた時には既に師の姿はそこに無く、代わりに事務所への階段を淡々と上る足音が聞こえていた。  彼の想像する未来にはどんな光景が映っているのか、知りたいような、知るのが恐ろしいような。  もしかしたら自分が忌一と初対面した時のように、明水が使役する式神全てを使い、総力戦で闇黒童子と雌雄を決する時が来るのかもしれない。そうなった場合、子島だった桜爺は闇黒童子側に付いてしまうのか。  そして明水が闇黒童子を祓えたとして、忌一は無事でいられるのか……。  そんな恐ろしい未来をいくら想像したとしても、今はどうすることもできない。三善に出来ることは、そんな未来が来ないよう祈りながら、師の後を必死に追うことだけだった―― <完>
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