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椅子に座ると、机を挟んだ前に先生も座った。
先生は髪の長い、僕よりも若く見える女の人だった。
「先生、訊きたいんですけど。」
「どうした?」
「僕、今日は大家さんに言われて、屋根裏になんか動物がいるってことで相談に来たんですけど。」
「ええ、聞いてますよ。」
部屋の天井裏になにか小動物が住み着いたようで、
ネズミやイタチや野良猫だと困るなと思い、
夜中の足音も気になっていたので大家さんに相談すると、
先生に相談するといいと目の前の先生を紹介された。
「それで、先生がそーゆーことの専門家だって聞いたんですけど。」
「はい、まあ専門家と言っていいと思います。」
「それで天井裏の小動物をどうにかしたいんですけど。」
「はい。それで今その対処を始めてもらっているんですが。」
「いやだって、たい焼き食べるんですか?」
僕の前に置かれたお皿には、小さめのたい焼きが六つ綺麗に並んでのっていた。
「たい焼きはお嫌いでしょうか?」
「いえ、好きなんですけど。」
「ああ、よかった。ではどうぞ。左から餡子、クリーム、チョコとなっています。」
「餡子、クリーム、チョコの順番で食べるのが私としてはお勧めです。」
「はい、いただきます。」
左端のたい焼きを食べる。ほとんど一口で食べれる。
暖かくて、皮は結構もっちりしていて噛み応えもいい。
餡子もほどよく甘くて、もちもちした皮と合わさって美味しい。
「美味しいですか?」
「ええ、美味しいです。」
「ああ、よかったです。駅前のお店なんですけど、結構人気なんですよ。」
「これってその、天井裏の動物を追い出すことと関係ありますか?」
余計なことを言ったと、言ってる途中に気づいた。
ただ単に、お茶とお茶菓子をすすめてくれてるだけだろう。
「はい。事前の準備というか。いきなりやるのは中々難しいですから。」
「え、準備に関係あるんですか?食べてるだけですよ?」
自分で言ったくせに驚いてしまった。
「はい。」
先生は笑顔で答えた。
「あの、このたい焼きの匂いとかでおびき出すとか、そんなんですか?」
「いえいえ、おびき出す餌に使うのはもったいないですよ。」
我ながら頭の悪い質問をしてしまった。
まあ、急いで帰らないといけない用事もないからいいんだけども、
初対面の女性と面と向かってお茶をするというのはどうも落ち着かない。
大家さんの知り合いにあまり失礼なことはできないが、
最悪たい焼きを食べたら用事を思い出したフリをしてお暇しよう。そうしよう。
「ミヤタさんの天井裏、カサカサカサって足音のような音が聞こえるんでしょう?
それも夜中に。」
「ええ。大家さんからお聞きになったんですか?」
「そこまでは聞きました。あってるかどうかわかりませんが、
たまにその足音が、飛び跳ねるような感じに聞こえませんか?」
「え。」
驚いた。大家さんには言ってなかった、天井裏の足音の特徴を当てたからだ。
「どうしてわかったんですか?」
「いえ、いくつかあるうちのひとつを上げただけです。当たったならよかった。
あ、どうぞお茶もありますのでお召し上がりください。」
どういう理屈かわからないが、やっぱり専門家なんだろうか。。
もう少し様子を見てみようか。
食べ終わると、先生はたい焼きが入っていた袋を片付けて、すぐに戻ってきた。
ようやく話の本題に入れる。
「じゃあリラックスして座ってください。」
「はい。」
「お腹の中に魚がいるイメージをしてください。」
「はい?」
「さっき食べたような小さな鯛でもいいですし、金魚でもいいです。」
「あの、先生。」
「はい。」
「なぜ魚がいるイメージをせねばならないのでしょうか。」
「ええ、魚に調べてもらう方が、今回は多分いいと思いますので。」
沈黙が流れた。どのくらいだろう。質問の意味を頭でリピートして理解しようとしていたので、
やたらと長く感じた。
「魚に調べてもらうんですか。」
「はい。ですのでお腹に小さな魚のいるイメージを持ってください。」
先生は相変わらず笑顔のままで優しく言った。
これは想像以上にまずいところに来てしまったのかもしれない。
目の前に座る笑顔の美人は、どうやらオカルトなのかオーラなのかうさんくさい宗教なのか
超能力なのか、
その手のことを妄信している方のようだ。
まずいまずい、美人で釣って勧誘するなんてのは常套手段じゃないか。
引っ越し先のアパートが大家も含めて怪しい宗教とグルなんてのは、
ネットの噂話じゃ見たことあったが、まさか自分が実際に引っかかるとは思っていなかった。
さてどうしよう。ここで騒ぎ立てると逆上されて何をされるかわからない。
最悪アパートを引っ越すとしても、まずはこの部屋から穏便に帰宅することが先決だ。
とりあえずは相手を刺激しないように、静かに大人しく相手の話を聞こう。
先生は必要性を説明した。
「えっと、魚に調べてもらうってのがわからないんですが。」
「あ、すいません。そうですね。いきなり言われてもわかりませんよね。」
先生は申し訳なさそうに、恥ずかしそうに笑った。
「えっとですね、多分今までの実例から推測すると、ミヤタさんのお部屋の天井裏にいるのは
ネズミの妖怪の可能性が高いんですよ。」
うわー、すごい強烈なワードが飛んできたなー。
「それでですね、本当はネコがいいんですけど、ネコは中々初心者の方だと難しいので、
先ほどのたい焼きの食べっぷりも見て、サカナがいいんじゃないかと思いまして。」
「え、サカナはどうやって調べてくれるんですか?」
「天井に向ければ潜っていって調べてくれます。」
「そのサカナはどうやって連れていくんですか?」
「ミヤタさんに出してもらえれば大丈夫です。」
さっきからずっと大丈夫じゃないんだけどな。
「サカナを出すというのが、あの、すいません、今まで一度もサカナを出したことがありませんので。」
「あ、もちろんです。全然大丈夫です。とりあえず呼吸からやっていただいて、
試してみましょ。それでだめでしたらそれからまた別の方法を取りますから。」
「まずはサカナで試した方がいいんでしょうか?」
「別の方法だとどうしても経費がかかりますんで、まずはミヤタさんご自身で可能な限り
やっていただけると、お金もかからなくていいと思うんですけども。」
経費。お金のことを言われると弱い。正直予期せぬトラブルだから出費は抑えたい。
そうだ、先生の言うとおりにやって、それがダメだったら紹介してくれた大家さんに責任を丸投げしよう。
大家なんだから、最終的にはなんとかしてくれるはずだ。
「わかりました。出来るだけやってみます。」
「ありがとうございます。では、まずはサカナの呼吸からやってみましょう。」
それからしばらくパクパクと鯉のような呼吸をしたり、ヨガのようにストレッチをしながら呼吸をしたり、
瞑想をしたりした。ちょっと宗教の匂いが漂ってきたので、先ほど感じた不安が再び強くなってきたが、
先生がそれではこれで終了します、と言ったのでほっとした。
お腹の底から不安が息になって吐き出されたような気がした。
「お疲れ様でした。」
「いえ、ありがとうございました。」
「それじゃこれをどうぞ。」
「なんですかこれ?」
「麩菓子です。美味しいですよ。」
「麩菓子は知ってるんですが、これをどうするんですか。」
「もちろん食べるんです。お腹の魚のための餌です。」
えぇ、と心で言ってしまったが、小腹も空いていたし、麩菓子は結構好きなので
いただくことにした。
おばあちゃんの家に行った時のことを思い出す。
「ではいよいよ組手になります。」
「ちょっと待ってください、ちょっと待ってください。」
もう帰れると思ってたのに、帰れないどころが組手とかはじまりそうになっている。
「先生、ちょっとわからないんですけど。」
「いいですね、考えるな、感じろというやつです。」
「そうではなくて、僕はアパートの自分の部屋の天井裏にいる
何かの動物が夜中にうろちょろしてうるさいのをどうにかしたいだけなんですよ。」
「ええ、大丈夫です。そこまできつい組手ではないですし、
どちらかというとスパーリングですね。」
「組手とスパーリングのちがいってなんですか。」
「明確なちがいはわからないですけど、私がミットをつけますので、
ミヤタさんは一方的に打ってきてください。」
「先生、この方法で本当に天井裏のやつは解決するんですか?」
「大丈夫です。ミヤタさんはかなり筋がいいですから。」
なんの筋なんだかわからない。わからないものを褒められるのは不安でしかない。
「わかりました。お願いします。」
ここまで来たらさっさと終わらせて帰ろう。
僕の思考は早く終わらせることを優先するようになっていた。
待てよ、こういう思考になっているのが危険なのかもな。
疲れてまともな判断力がなくなったところで
勧誘だの販売だの契約書だのにサインをさせる手段かもしれない。
最後まで油断せずにいよう。
家に帰るまで安心はできない。
格闘技の経験もないので、言われるままに掌をミットに当てるだけだった。
「グローブがありませんので、拳だと手を痛めますから、手のひらでやってください。
掌底突きと呼ばれる奴です。」
どのくらいスパーリングをしてたんだろう。だんだんミットに当てる音が良くなってきた気がして
そろそろ腕が疲れてきたなってころにそれでは以上です、と言われた。
「あの先生、今日はこれで終わりでしょうか?」
まだ何かあるんじゃないか心配になって聞いた。
「はい。これで終了です。お疲れさまでした。」
「ありがとうございました。」
お辞儀をしてお礼を述べた。たしかに疲れたけど、何に疲れたんだろう。
そしてなにをしてたんだろう今日は。
「それでは失礼します。」
先生の部屋を出てまっすぐ駅に向かい、ちょうど来た電車に乗って家に帰った。
手を洗ってベッドに横になる。
身体は疲れていたが、興奮しているのか困惑しているのか、
変に頭が回転して色々考えてしまう。
あの先生は結局何を教えてくれたんだろうか。
まあ、明日にでも大家さんに相談するか。
そう考えて今日は早めに寝ようかと思っていたら、
天井裏からまた足音が聞こえてきた。
カサカサカサ、カリカリカリ、カサッ、カササッ、
歩いているような、とはいえ動きがよくわからない。
サカナが調べてくれるか。
まだ盛り塩か数珠でも渡される方がよかっただろうか?
どっちにしろよくはないな。
疲れと今日の出来事のわけのわからなさとで
少しだけ苛立ち、天井に向けて、右の掌を打ち付けるように突き出した。
掌から青白い魚が飛び出すと、天井に当たって波紋を浮かべて消えていった。
ガササッ、ガタッ、バタッ、
さっきとちがう、明らかに大きな激しい音が、野良猫同士が喧嘩してるような音が聞こえ、
すぐに止んだ。
天井からさっきの青白いサカナが落ちてきた。
サカナの口には、焼け焦げたように真っ黒の大きなネズミのようなものが咥えられていた。
一瞬見たサカナは鯉のように見えた。一瞬見たネズミの顔は人の顔に見えた。
サカナは床に背びれと泳ぐ波を見せて、飛び上がってネズミを床に吐き出し、
そのまま僕の右足に潜ってしまった。
ベッドに腰かけたまま、猛烈に眠たくなってきた。
変な訓練をさせられたが、
それで変なことが出来てしまうと迷惑この上ない。
床の上で白目を向いて動かなくなっている人の顔のようなネズミを見て、
どうしようかと思ったけど、そのまま寝ることにした。
流石に電気は点けておくことにした。
明日にしよう、明日にしよう、明日先生にネズミを持って聞きに行こう。
この日を境に人生がろくでもないことになりそうな予感がしたが、
睡魔の力で強引に考えないことにした。
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