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不倫タンポポ事件 ⑥
伊座薙教授の研究室は、意外と物が少なくすっきりとした部屋だった。
大浦先生、沙門さん、そして僕はソファーに座った。
伊座薙教授は、自分のデスクの椅子に座ってノートに何か書いていた。
僕らは、教授にあのタンポポを見つけた事の顛末を話した。
僕らの話を一通り聞いた伊座薙教授は今度は自分から語りだした。
「そうか、大体のことはわかった。じゃあ今度は、なぜあのタンポポが不倫タンポポなんて呼ばれているか、話すとするか。
僕の専門は、心理学で植物学ではないんだが、不倫タンポポの話は、薬学部でずっと昔から伝説的に伝わって来ている話でね。その真偽は分からないが……、そうだな都市伝説みたいなものかな」
さらに伊座薙教授は話を続けた。
「この大学は創立は明治35年と古く、大正、昭和になり戦後急速に発展し平成を経て日本の屈指の総合大学として今に至っている」
「へえ。こんなに大きく近代的な大学が、そんなに古くからあったんですか」
僕も同じ地域に住んでいながら歴史的なことは、知らなかった。
「そう。そんなに古くからね。その長い歴史のなかで、不倫タンポポ事件は、『薬学部』の研究室で起こったことなんだ。」
「え? ということは、この大学で何か事件が起こったんですね 」
長い歴史を持つ大学だいろいろなことがあったんだろう。
「大正の9年頃の話になるんだが、当時の薬学部研究室に赤芝誠一郎という研究員がいた」
「伝説にしては結構、具体的な話ですね」
僕は言った。
「ああ。この話はメモだが記録も残っているんだ。
赤芝誠一郎は、主に植物から薬効成分を発見し抽出する研究をしていた。
ある時、この大学の探検部の学生が、外国のジャングルで見つけた植物を持ち帰った。 ジャングルの住民の間では、花の花粉に毒のある花として恐れられていたものを、大胆にも赤芝の土産にと持ち帰ったんだ。
それは赤いマリーゴールドのような花だった。
赤芝誠一郎は、さっそく花を調べた。毒だからこそなんらかの薬効があるからだ。
まあ、薬と言うのは、本を正せば毒物だからね。
赤芝誠一郎は、動物実験などをしてその花の花粉に、強いアレルギー反応を起こさせる物質があることを突き止めた。それも症状がきわめて激しく現れるアレルギーを起こさせるものだった。
ただちに役に立つ薬に使えるものではなかったんだ。
だが、いつか役に立つ薬として使えるかもしれないと考えた赤芝は、ノートにその植物の研究をまとめた。
それは『赤芝研究文書』として保管された」
「え?先生は、その毒花はマリーゴールドのような花って言ってませんでした。タンポポではないじゃないですか」
沙門さんが突っ込んだ。
「うん。ここからが、不倫タンポポと言う名前に関係してくる話になるんだが。
当時薬学部の研究室に、何人かの研究助手がいたんだが、その中に水菜清美という若い女性の助手がいた。赤芝誠一郎は、この水菜清美と恋仲になり、いつしか逢瀬を重ねていた」
逢瀬とはまたややこしい表現をするなあ伊座薙教授は。つまり男女が隠れながら会うことなんだよね。でここで、女性の登場か。何となく不倫と言う言葉に近づいてきたような感じだね。僕は身を乗り出して続きを聞いた。
「赤芝誠一郎は独身だったが、水菜清美には、若くして夫と子供がいた。 彼は、ある日そのことを知ってしまった」
伊座薙教授は、すっくと立ち上がって話し出した。
「そこね! 不倫ってのは! 」
すぐさま沙門さんが反応した。
「そう! 赤芝誠一郎は水菜清美に夫と子どもがいることなど全く知らなかった。
水菜清美は独身だと思っていたんだ。
いつかは彼女との結婚を考えていた。それゆえショックは大きかった。
その時の彼の気持ちが『赤芝研究文書』の裏表紙に書かれていたよ。
【あなたには旦那様とお子様がいらっしゃるなどと一言も僕に、言ってくださいませんでしたね。もしそれを知っていたら、僕はあなたに横恋慕することなどなかった。あなたの旦那様とお子様に何と言って詫びたらいいのか】
と言うメモ書きだった。
赤芝は何も知らなかったので何も詫びることなどないのだが、でもそれは、夫と子供がいると分かった上で水菜清美と逢瀬を重ねたい、と言うことだったのかもしれない」
「いずれにしても、不倫ね! 」
沙門さんは腕組みをして言った。
つづく
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