きみに伝えたかったこと

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 パーティも終わりに近づき、この後どうしよう、などという話題が出てきた頃だった。ようやく朝陽くんが1人でいるところを見かけた。すかさず話しかけに行こうと近づいて、ふとあることに気がついた。 「ボタン、ほしいって子いたんじゃない?」  きっちり着込まれた学生服をみて、思わず聞いてしまった。本当はアルバムの話を切り出したかったのに、だ。見渡すと、あらかたのボタンがなくなっている人もちらほらといるし、朝陽くんもちょくちょく呼び出されていたので意外だなあと思ったのだ。 「ん?ああ。だけど、あんまり知らない子に言われてもなって」 「まあ、その気持ちはわかるかも」  答えは実に朝陽くんらしいもので、何故か少し安心してしまった。でも、続いた言葉は少なからず意外なもので。やっぱり今日みたいな特別な日は、いつも落ち着いている朝陽くんでも浮き足立っているのだろうか。 「でしょ。宮田さんみたいな人になら、あげてもいいけどさー」 「それは光栄だなあ。あーほんと、このクラスで良かった!」  動揺せずに返せていただろうか。ちらり、と様子を伺うと、朝陽くんはにこやかにうんうん、と頷いている。 「だね、間違いない」 「朝陽、二次会だってよ!行くよなー?」  矢本くんががしっと朝陽くんの肩を捕まえて連行していった。朝陽くんは返事をしていなかったけれど、抵抗していないということは参加するのだろう。時刻は19時過ぎだ。もう少しだけ、みんなと一緒に居たかった。  一体誰がどこから調達してきたのだろうか、パーティーがお開きになると、二次会と称して海岸に繰り出した面々で花火大会が始まった。早春の夜はまだ冷え込む。コートを着込んで、さらにマフラーをきっちりと巻いた状態で花火をするのはなんだか新鮮な感じがする。 「お、いい感じだね」 「あっ」  海から風が吹いてきて、かなり条件が悪いからだろう、みんなが手をつけないでいた線香花火に火をつけてじっとしていたところだった。咲良ちゃんも一緒にいたけれど、早々に線香花火に飽きて、「なにか威勢の良さそうなのを探してくる」と言ってお出かけ中だ。近くにいても、声を掛けられてようやく誰かが分かるような暗さだ。てっきり、咲良ちゃんが帰ってきたものと思っていたから、朝陽くんに声をかけられて手元が狂いそうになってしまった。別に動かなければ話しても大丈夫だろうけれど、花火を持っていない方の手で口を押さえたままじっとしていることにした。慎重に深呼吸を2つして、再び花火に注意を戻す。朝陽くんもそのまま何をいうでもなく隣にしゃがみ込んでじっと花火の散る様を見つめていた。 しゅん、と光が消えた。  ほんの少しの明かりだけれど、なくなると周りが一層暗く感じるから不思議だ。  背の高い朝陽くんは、しゃがんでいてもわたしからは見上げる形になる。 「話しかけてくれたのに、ごめんね」 「ううん。こっちこそ、集中してたところごめん。花火が無事で良かった」  朝陽くんは花火1つでもここまで律儀な言葉をくれる人なのだ。なんだか微笑ましくなってふふ、と笑ってしまった。隣で朝陽くんが砂浜に座り込んだのを見て、わたしも倣って座ってしまうことにする。  周囲は相当な大騒ぎになっているけれど、歓声は目の前に広がる大きくて暗い海に吸い込まれている。代わりに返ってくるのは荒々しい波の音だ。なんとなく、続ける言葉が見当たらなくて少しの間ふたりとも黙って波の音に耳をすませていた。  しばらくしてふと思いついた、というような軽やかさで朝陽くんが話し始めた。 「やっぱりさ、これ、宮田さんに受け取ってほしいと思って」  そう言って手を差し出されたけれど、朝陽くんの手は握られて中身は分からない。両手を差し出すと、ころん、と軽い物が手のひらに落ちてきた。制服のボタンだった。朝陽くんの顔を見上げて、そして視線を下ろす。彼の学生服の第2ボタンのあったはずの場所が空いている。  かーっと頬に血がのぼるのを感じた。 「なんか、ごめん。さっきの話、ほしいアピールみたいになっちゃったかな」 「ううん。そんなんじゃなくて。俺が渡したかったんだ」 「そう?」 「うん。だから、宮田さんにあげる。じゃあ、俺そろそろ帰らなきゃだから」  朝陽くんはじゃあ、と手を挙げて背を向けた。今日が最後なのだから、言わなくては。後悔のないように。背中に向かって声を上げる。 「朝陽くん!」 「ありがとうね。嬉しいよ!」  近くで火力の強い花火が点けられて、振り向いた朝陽くんがホッとしたような笑みを浮かべたのが分かった。手の中のボタンをぎゅっと握りしめる。アルバムの分、ボタンをもらったってバチは当たらないよね?  家に着く頃には、疲れて頭がボーッとしていた。寝る前にボタンを無くさないようにしまわなくては。机の引き出しから小物入れを取り出して、その中に入れておくことにする。部屋の控えめな照明の光を受けてボタンは鈍く光っていた。3年間身につけていたものだから、ところどころくすみがかって…いや、明らかに黒くなっているところがある。部屋の明かりを強くした。ボタンを手にとってよく光に当ててみる。糸を通す部分のある裏面に小さな小さな文字が書いてあった。 ありがとう  一次会で話した後に書いてくれたのだろうか。もしかして、メッセージを書けなかったことを気にしてくれていたのか。今になって思えば、続きをお願いしないまでも、あのメッセージの意味を確認しておいたら良かったかな。ラインをすればいいだけの話だけれど、わざわざそのためだけに連絡するのもなんだか変な感じがするし。  もう一度アルバムを見返してみよう。気づけばすっかり目が冴えてしまっているから、とことん夜更かししてしまえ、と半ばやけな気持ちだ。多分、今日という最高の日を終わらせたくないのだ。  アルバムの寄せ書きページを開く。所狭しと文字が並んだその中で、それはもしかすると1番短いメッセージかもしれない。 “2月は” これだけではいくら見つめても意味はわからない。 そしてもうひとつ、ボタンに書かれていた言葉も短い。 “ありがとう”  一応これで1つ文章ができることになる。だけど、”2月はありがとう”とは何のことだろう。そう思って、ハッとした。まさか気がついていていたのだろうか。あれだけでは分からないだろうと思っていたのに。でも、2月に何かあったかと言われるとそれしか思い当たらない。 バレンタインだ。  ファンの子たちに紛れてバレンタインチョコを渡したのだ。大学ではバラバラになっちゃうだろうし、記念に、と思って。渡したと言っても面と向かってではない。朝陽くんの鞄が開いたまま机に置いてあったので、そこにそっと入れたのだ。後からちょっと気持ち悪かったかなと反省していた。咲良ちゃんも、直接渡してあげたら喜んだだろうに!と言っていたっけ。 ”いつも仲良くしてくれてありがとう” という当たり障りのない手紙を添えて、でも名前を書くことができなかった。さらっと渡してしまえるのが”クラスメイト”というものだと思うけれど、ちょくちょく廊下に呼び出されてはチョコを受け取っている朝陽くんに、その日どうしても声をかける気持ちにはなれなかったのだ。  文字だけでわたしだと分かってくれたのだろうか。自分の都合のいい妄想な気もする。真実が気になりはするけれど、確認なんてとてもできそうにない。ちょっぴり謎めいたメッセージというのも悪くないなと思うから、このまま大事に受け取っておこう。小さくメッセージの書かれたボタンを大事に小物入れにしまった。  布団に入り、眼を閉じると、見慣れた背中が浮かんできた。夢の中に意識が沈んでいく。微睡みの中でもう一度その背中に向かってありがとう、と伝えた。
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