きみに伝えたかったこと

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 教室の中は、3年間の思い出の数々を凝縮したみたいに賑やかだった。みんなが卒業という記念すべき日を迎えたことでハイテンションだったし、同時に油断すれば泣いてしまいそうな寂しさも抱えていた。とはいえ、クラスメイトたちと写真を撮る合間に、次々と回ってくる卒業アルバムにメッセージも書かなくてはいけないから、なかなかに忙しくしんみりしている暇はなかった。  ペンを握り、アルバムの持ち主の子のことを思い浮かべる。一人一人について思い出を辿っていたら、とてもじゃないけれど全員分は書き終わらないだろう。でも、これは自慢なのだけれど、本当にみんなに対して一言一言コメントをしたい、と思えるメンバーなのだ。このクラスは仲が良くて、特定のグループだけで固まるのではなく、みんなが緩やかに繋がっていた。各々が割と個人主義というか、1人で気楽に居たいというタイプの人が多いのだろう。そのことがかえってクラス全体の団結力を高めていたのだと思う。  書き終えたアルバムを前の席の矢本君に渡した。この”寄せ書き大会”も誰ともなしに始まって、あれよあれよという間にみんなが参加する大掛かりなイベントになってしまった。夕方からは近くのお店で卒業パーティーを予定しているけれど、それまでに終わるのか怪しいところである。次のアルバムを手に取る。さて、この子にはどんなメッセージを書こうか。頭をめぐらせる傍ら、さりげなく教卓の前の席に目を走らせる。そこに座る人もまた、わたしと同じようにペンを持って熱心にメッセージを書き込んでいるようだ。  授業中、黒板を見る視線を少し下げて、彼の背中を眺めるのがわたしの習慣になっていた。1年間ですっかり見慣れた後ろ姿も、今日で見納めだということが未だ信じられない。いつもしっかりと背筋を伸ばして授業を聞く姿を、飽きもせず観察していたものだった。もちろん、ボーッとしていて授業についていけなくなると困るので何時間もずっと見つめていたわけではない。ふとした瞬間、視線を向けたときにああ、今日も爽やかだなと癒されるのが良かったのだ。 杉本朝陽  その名に恥じぬ爽やか少年である。野球部のエースということもあり、同級生にも下級生にも彼のファンは多い。わたしもそのファンたちの中の1人ということになるだろうか。恋焦がれるということはなかったけれど、朝陽くんと話せた日は1日ふわふわとした幸せな気持ちになったり、ファンの子たちに紛れてちゃっかりバレンタインのチョコを渡したりもした。  朝陽くんは時々手を止めてはまた書き始め、というのを繰り返していた。ちゃんと考えてメッセージを書いているのだろう。やっぱりいい人だなあと思う。まあ、クラスみんないい人揃いなのだけれど。 「杉本せんぱーい」  うるさい教室の中に、負けじと朝陽くんを呼ぶ声が聞こえた。視線を向けると、入り口に1年生の女の子2人組がいた。うちの学校は通学のときの服装は自由だけれど、式典の日は全員制服を着る決まりになっている。校章の色が学年ごとに違うから、制服を着ていると一目で学年がわかるのだ。  朝陽くんはまだメッセージが途中だったのだろうか、少しためらう様子を見せたが女の子たちの方に向かっていった。本当にファンが多い人である。 「茜ちゃん、女子の集合写真撮るって!」 「うん!」  トントンと肩を叩かれ、この調子では本当に書き終わらないのではと心配しつつ、女の子たちの輪に加わる。卒業生に配られた、桜の花をかたどった花飾りがみんなの胸元で揺れているのを見ていたら、ああ、このみんなと同じ学年で良かったなという気持ちが湧いてきた。これが卒業するということなのだろうか。失ってみて初めて大切さが分かる、じゃないけれど、過ぎてみて初めて良さがわかるというか。十分すぎるほどクラスのことが大切で大好きだったけれど、こんな風に愛おしく思うのは今日が初めてだった。 「じゃ、30分後に駅の向こうの〇〇集合で!時間厳守でよろしく!」  卒業パーティーの幹事が、中々学校を出ようとしないみんなに声をかけて回っている。みんなはアルバムを持ち主の元に戻すのに大慌てだ。ふう、とこっそり吐息をついた。なんとかみんな分書けたと思う。なかなかな疲労感だけれど、今日はまだこれからだ。卒業式って意外に体力のいる行事なのだな。  手元に戻ってきたアルバムを鞄にしまう前に、ちらっとみんなにメッセージを書いてもらった表紙の裏側を開いてみた。色とりどりの文字たちは、そのままこの教室の空気感を写し取ったみたいに生き生きとして見える。 「あれ、途中で終わっちゃってる」 「なになに、どうしたの」 私のつぶやきを聞きとがめた咲良ちゃんが覗いてきた。ここ、と指差して見せる。 2月は、 すぎもとあさひ 「あらら、後で続きを書いてもらったら?」 「そうだね、時間があったら」 「もう、またそうやって遠慮するんだから!そこが茜ちゃんのいいとこだけどさー。卒業記念なんだから、ちゃんともらっておくといいと思うよ!」  先に名前を書いて、その後に内容を考えている間に次の人の手に渡ってしまったのかもしれない。2月は、に続く言葉はなんだろうか。卒業アルバムに書くにしては随分とピンポイントな書き出しだなという気がするけれど。他でもない朝陽くんのメッセージをちゃんともらえなかったのは正直かなり悲しい。咲良ちゃんの言うとおり、多少図々しくても続きを書いてもらえるようお願いしてみようか。 「茜ちゃん、そろそろ行こう」  咲良ちゃんの声にはっとして、アルバムを閉じた。ショックを受けている間にも、みんなと居られる時間は過ぎてしまうのだ。お願いできるかはその場の流れに任せるとして、今を思いっきり楽しまなくては。
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