1 洋子さまのお言葉

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1 洋子さまのお言葉

 かしゃかしゃ、ぴろりん、パシャ。  教室にきたあたしを出迎えたのは、スマホから発せられる、たくさんのシャッター音。    かしゃかしゃかしゃ、ぱしゃぱしゃ、ぴろりん、ぱしゃかしゃぱしゃ。     うるさくて、仕方ない。     耳障りで、フラッシュまでまぶしくて、苛立つ。     こんなもん撮影する奴らも、奴らだ。  どこへ広めるつもりなんだろう、誰に見せるつもりなんだろう。  たまらなく悪趣味だ。気持ち悪い。  「誰だよこれ、くっせぇ、ふざけんなよ……」  机の上に山盛りにされ、赤黒く異臭をはなつもの。  それらはさまざまな大きさをしていて、周囲にちいさいハエが飛び交い、鼻の奥がつんと痛くなる。  あたしも見慣れていて、みんなが月一回は、使っているもの。  女子化粧室の個室のすみに置かれ、白いホーローでできた汚物入れにくちゃくちゃに丸まって捨てられている、血とか分泌物や汗がしみ込んだもの。  使用済み生理用品が、机いっぱいに、山積みされていた。  吐きそう、口元をおさえて顔を伏せる。  どすどすどす、背後から足音が聞こえてきた。教室では、みんながおびえてびくびくしている足音。相良洋子の足音。 「おはよう、よそ者さん」  洋子は、横幅があたしと比べて二倍ぐらいある。  要するに、ものすごいデブってわけだ。  顔もぱんぱんに膨らんでいて、なのにボリュームある感じに髪を巻いて、真っ赤な、大きなリボンしてハーフアップさせて、痛々しいお嬢様ぶり絶好調。  毎日スタイリングしているせいだろうか、髪の毛が痛んできている。毛先がばさばさで、茶色い。校則ではちゃんと束ねるか、ボブまでに切るって決まっているし、色だって黒に決まっていて、もしもともと茶髪だったら、前もって届けなきゃいけない。  スカート丈だって、太い足のくせに膝上二十センチ。  恥ずかしくないのだろうか、そんな恰好して。  あたしだったら必死に痩せるし、痩せるまであんな格好しない。  だいたい、どうして洋子を先生が注意しないんだろう。  そんなこと、みんな疑問だし、不満だ。外部生は。  不細工で、性格悪くて、嫌がらせたくさんしてきて、顔も見たくないのに近づいてきて、本当に頭にくる。 「おはよう……」 「おはようございます、洋子さんでしょ?なんでわかんないのよ、みんな『おはようございます、洋子さん』って先に挨拶するわよ、ああ間違えた、当校では『ごきげんよう、洋子さま』だったわね、洋子間違えちゃった」 「どっちでもいい、あんたには似合わない。あたしにも似合わない」 「なによそんな言い方、調子に乗ってんじゃねぇよ、ブス」 「はあ?どっちがブスなの?鏡見ろよ!」  洋子は偏食で、お菓子と脂っこい食事しか口にしない。そのせいか、口の端は常に荒れていて、頬も額もニキビだらけ。  大きい顔に、明らかにバランスが悪い小さい、セルフレームの眼鏡。  蛍光オレンジが毒々しくて、ちかちかしそうなほど明るくて、顔にぐっと食い込んでいる。  洋子は流行にのって、かわいいつもりらしいが、残念すぎるほど似合っていない。  頭が悪そうな、自意識過剰の怪物。  膨らむだけ膨らんで、それでもまだ足りなくて、もっともっと欲があふれている、みっともない姿。  家に、似たような生き物がいるあたしにとって、蹴り飛ばして転がしたくなるぐらい許せない。 「あんたみたいにね、化粧品ひとつ買えないような貧乏でも、みすぼらしい女の子でもないのよ!意地が悪い、ひがんじゃって、本当に底辺の生き物ね」  チェリーピンクのリップティントがはみ出した唇をゆがませ、洋子がわざとらしく言う。唇が、着色しすぎた明太子みたいに、ぶるぶるとテカっていて、見苦しい。空気が動いたせいで臭いが増した。洋子の体臭と、生理用品の臭いが混ざって、すごく不快だ。 「無駄話はそれぐらいにして、早く片付けてよ、よそ者さん」  近づいてきた洋子の、鼻の頭にできた毛穴には汚れが詰まっている。いわゆる「いちご鼻」ってやつだ。  そこからにゅるにゅる、黒いのがとびだしてきそう。  パックとか、スクラブとか、したことないんだろうか。お嬢様なのに。  パパとママにたのめば、エステだって連れてってもらえるかもしれないのに。食べ物に使うほうが、洋子には大事なのかな。 「ほらあ、さっさと片付けてよ。貧しくてかわいそうな、外部生さん」 「あたし、外部生って名前じゃないし」 「はぁ?生意気言わないでよ。外部生は外部生でしょ、貧乏であわれでかわいそうな、背伸びしている外部生さん」  取り巻きが、ぶひぶひ、ぷぎゃぷぎゃ笑った。  豚舎か、ここは。  口の端からよだれなのかなんなのかわからない液体をたらして、お菓子食べて、教科書なんか食べかすでべとべとだし。奥ゆかしさとか、そういうの、かけらもない生き物。  汚いこと、面倒なことは洋子のかわりに全部やってくれる、そっくりな体型をした取り巻きたち。  なにより、汚いし臭い。教室がもう、ぜんぶ臭い。  洋子の席があるところだけしか、窓が開いていないから、空気が悪すぎ。  あたしたちは洋子や、取り巻きの許可なく窓を開けることも許されない。  教室で、外部生はみんなうつむいて、静かにしている。誰も手を差し伸べようとしないし、目をあわせようとしない。いいんだ、もうなれた。だって、あたしがもし、逆の立場だったら関わりたくないもの。  内部生だけが、げへげへと低い声で笑って、バシンバシン、やかましく手を叩いている。まるで動物園の檻の中へ、放り込まれた気分。動物たちに失礼か、そんなこと思ったら。こいつらより、きっと思いやりもあるし、ましかもしれないし。 「ねえ、片づけてぇ」  取り巻きのひとり、ふっくらして、洋子よりやや小さいやつが、ふけが混ざったポニーテールをぶんぶんさせつつ、あたしに近づいてくる。  頬が茶色いチークでも塗りたくったように、くすんでいる。そこをぼりぼりかき毟り、爪の臭いをかぐ。うわぁ、汚い。 「嫌だよ、あたしがやったんじゃないもん」 「あんたの机でしょ?ほら、片づけろよ。片づけろって言ってんだよ」  とん、と肩をおされる。その拍子によろめきそうになり、机のふちを持つ。  かさかさ、生理用品が床におちる。 「やだー、汚い!」  ガタガタ、机と椅子を動かす音がして、周囲にスペースができた。  そこをぐるりと、洋子を含む取り巻きたちが囲む。暑苦しい。  「片づけてよ、臭いでしょ、先生来るから早くしてよ」  ボブにした、洋子よりひとまわり太いやつが、体当たりしそうな勢いでせまってくる。  むわっと体温とともに、酸っぱいような、苦いような体臭が漂いはじめる。  「片づけてってば、ほら、貧乏人、よそ者。早くしろよ」  ネクタイを、いちばん小柄であたしの鎖骨ぐらいの背丈しかないやつに掴まれ、ぐいぐいひっぱられる。頭から、つけすぎたフローラル系のヘアコロンと皮脂の臭いがまざって、鼻を攻撃してくる。  ちゃんと着替えて、風呂入っているのかと疑ってしまう。  そんなあたしの気持ちなど知らず、洋子がにやにやしながら、また口を開いた。
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