冬キャンプの回

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冬キャンプの回

 白い息をはぁっと吐いて、剛は空を見上げた。ここ、菜穂キャンプ場は夏には数人の客がいるが、冬は一応開いているものの、雪でまず人が来ない。貸し切り状態になる。 「えっちゃん。カメラまわしてもらっていいか。」  剛は、遠くの雪の上に寝転がった友人に声をかけた。 「おっけーだよ。」  カメラ担当の江原に言うと剛は切り替える様に笑顔でカメラに向かって叫んだ。 「やっほー、元気? つっちゃんだよ。」  手を振ってから、思いっきり雪の上を走る。足がもつれ、途中で転ばないように何度も練習をした。江原の背後の雪は踏み固められて、ぐちゃぐちゃになっている。ここで失敗をすればまた新しい雪の綺麗な場所を探さなくてはいけない。 「今日は、冬キャンプにきましたっ。」  両手を振って雪の上を駆けまわり、おもいっきりカメラに向かって飛び込む。冷たい雪が舞い上がり、剛と江原とカメラの上に乗った。 「カット。」  江原の声で二人ともすくっと立ち上がった。手早く雪を払い落とす。  背後に合ったキャンプに駆け寄り、温かいコーヒーを淹れた。一つには温かいミルクも入れる。 マグカップの中のカフェオレをフーフー吹いて、江原が飲んだ。 「ありがとうえっちゃん。寒かっただろ。」  剛もコーヒーの入ったカップで手を温める。 「大丈夫だよ。後は夜たき火の映像を撮るだけだね。」 「えっちゃん、寒かったら車で寝てくれよな。」 「大丈夫だよ。新しい寝袋買ったんだ。」  江原はウキウキしながらショッキングピンクの寝袋を見せた。 「剛君こそ、大丈夫? 雪のキャンプ今晩が初めてでしょ? 」 「キャンプは初めてだけど、寒いのは平気だ。」  剛は鏡を手にして顔を見た。  草野剛は化粧をし、女性物の服を着て動画配信を行っている。動画配信登録でもつチャンネルの登録者数はもうすぐ50万人に届く。広告をえり好みしているが、再生回数のおかげでバイトをするよりは収入がある。  人気動画配信者、花実つくし、というキャラクターを二年やっているが、少し油断するとすぐキャラクターがぶれてしまう気がする。初めて見る人は女子だと勘違いしてくれるほど、女子っぽい。無言動画を上げた時は、女子だ。付き合いたい。というコメントで溢れた。 「そんなに鏡見なくてもちゃんと可愛いよ。」 「油断するとマスカラが下まつ毛に付くんだ。」  江原は2m近い背丈のある男で、柔道部だったので筋肉もある。しかし心優しく、見た目よりも少し怖がりな面があり、土佐犬の外見をした子犬のようだと剛は思う。 「剛君、プロ根性すごいね。化粧を取るとちゃんと男の子なのに、つくしちゃんの時はちゃんと膝をそろえて座るし。」  江原は感心したように言った。 「甘いと厳しいコメントがくるんだ。」 「アンチじゃないのそれ。」 「アンチじゃない。春川だよ。」  江原と共通の知人の名前を出して、剛は言った。 「春川さんは、女の子っぽくないところはビシバシ指摘してたよね。」  花実つくしのつっちゃんねる第一回動画はダメだしだらけだった。何度も撮り直させられた。  コーヒーを飲み終わると、剛は小さな雪だるまを作った。自分のSNSに写真をアップして、木曜日に配信するねとコメントを載せた。  軽く夕食を食べて、夜になるとたき火の動画を撮った。質問回は二カ月に一回の割合でおこなう。質問の最後はウィンクをしてごまかすというないようになている。 「今日はたき火で質問コーナーをします。まずは、えーと、つっちゃんは男の子なんですか? 女の子なんですか? 」  こういう質問が来るときは、新規登録者が増えた時にありがたい。 「つっちゃんはつっちゃんです。世界一可愛くなりたいです。」 質問に答えず、ゴリ押ししてウィンクする。 「江原パンレビューのメンチカツサンド、美味しそうなので買いに行きたいのですが、売り切れてました。いつ売ってますか? 」  江原の実家はパン屋なので、時々動画で食レポをさせてもらっている。実際美味しいので素で美味いと言ってしまうこともあり、普通の食レポより気を使う。 「午後は二時がねらい目です。でも江原パンさんの事情もあるから、どうしても欲しい人は予約がおすすめだよ。つっちゃんは江原パンの広報じゃないから、ちゃんとお店のホームページも活用してね。食べ食べログは公式じゃないから気を付けてね。」 ウィンクをした。 「最後の質問。河原で全力疾走はやらないんですか? この前のお米担いで全力疾走おもしろかったのでまた見たいです。」 天気の良い日は、剛は河原で全力疾走する動画をよく撮影した。 「河原の雑草が伸びてきちゃったので、伐採されたらやる予定です。楽しみにしていてね。」 撮影が終わると歯を磨いて、二人でテントの中に入る。その前に、星空を撮影して、寝袋に入るとSNSを開いた。  前回はキャンプ前の道具チェック動画を上げた。雪山で失敗しない様に、公園でテントを立てようとしたのだが、風が吹いて袋が飛んでいき、あわてて追いかけ、川に滑り落ちるというハプニングもあったが、面白かったというコメントに救われる。  その中に、イラストで見どころを描いている人のアカウントが出て来た。  素人なのか、プロなのか、判別しないがとにかく上手い。あまり日常のつぶやきはしていない人なのだが、時々花実つくしの動画に対してコメントをしている。  おそらく女性だと思う。イラストを描くその手つきは、男とは思えない、細くて白い、華奢な手だ。友達にネイルをしてもらったという写真や、つくしをとったので袴をとったり、秋には栗ご飯を作ったりと、所作や日常の写真に女性らしさがにじんでいた。  彼女のコメントやイラストから花実つくしを知ったという人もいて、動画を見てからその人の感想イラストを見るのがルーティーンになっている人も多い。  イラストの投稿時間は、動画配信後から動画視聴後数分後。視聴しながらさっと感想イラストを描き、後日あらためてさらに詳しく完成度の高いイラストを付けて感想を書きこむ。ありがたい。この人の描いてくれる花実つくしを見ていると、期待を裏切らないようにしたいと思う。  ぽこっと上がって来たつぶやきに、つっちゃんの配信楽しみ、という文と、雪だるまをつくるつくしのイラストが添えられていた。  仕事が早い。寝袋の中で嬉しさに震えた。  剛が動画配信を始めたのは二年ほど前だった。その前から友人の動画配信を手伝っていた。  メールも電話も、相手の番号やアドレスが分からなくなったら連絡が取れなくなるけど、動画は世界中どこにいても見れるからという友人の言葉に、興味を持った。  しかし、見続けてもらうには魅力的なキャラクターが必要だ。剛自身は平凡で、どこにでもいる珍しくもない存在なので、これをそのまま使っても仕方がないとおもう。  周りに相談して、花実つくしというキャラクターが生まれた。  女子の格好をして、恐竜の被り物をして、河川敷を全力疾走するという動画を作った。50m走り切る前に転んでしまったが、それが面白かったらしく無断転載されて海外でも人気になった。  撮影中に散歩途中の園児たちの集団とすれ違ったり、大変だったが楽しかった。  最初はメイクをするのも一苦労で、女性物の服を買うのも恥ずかしかった。しかし、花実つくしは可愛いという当初の設定を覆すことは、見ている視聴者を裏切ることになる。  可愛くても、おしゃれでも、泥臭いとこを躊躇なくやる。  それが花実つくしの魅力の一つだ。見た目は可愛く、中身は幼い子供のように、全力で楽しむ。  動画の編集を終えてひと眠りすると、バイトに行くため家を出た。動画配信で収入が得られるようになる前からずっとお世話になっていた。今も、シフトを減らして続けている。 いつもの電車に乗り、最寄り駅に着いたので降りようと、たまたま下に向かった目線の先に、不審な動きをしている手が見えた。  剛の隣には女子高生がいた。彼女の後ろには不自然に中年のスーツ姿の男がいて、その手が女子高生のスカートを押さえつけている。 「てめぇなに人の尻触ってんだよ。」  痴漢だと思うより先に怒鳴っていた。  扉側にいた男が逃げた。 「逃げんなこらっ。」  追いかけた。男は人を突き飛ばして駆けだしたが、踏みとどまった。  ぶつかられた青年が男の鞄を持っていた。 「痴漢? 」 青年が剛に尋ねた。 「見た? 」  動揺もせずに、剛を見る。 「見た。」  剛がきっぱり言うと、痴漢が叫んだ。 「そ、そんな子供の尻なんか触るか。」  他の乗客に励まされるように電車から降りて来た女子高生は、泣いていた。 「え? 貴方が触ったのこの人じゃないんですか? 」  青年は、剛を指して行った。  男がはっとする。 「駅員さんきたし、詳しくはあっちで話しましょうか? この鞄に身分証はいってますよね? 」  青年はにこやかに言う。  剛も連れて行かれて、やってきた警察の事情聴取を受けた。他にも証言をしてくれた乗客がいたようだった。  剛はちらっと女子高生を見る。彼女の話を聞いているのが、女性の警官だったので少しほっとした。高校生を励ましているようだった。  見たままを応えて、連絡先を確認し、剛は解放された。さっきの青年もいた。 「お兄さん勇気あるね。」  同い年くらいだが、この騒ぎの中こんなに爽やかな笑顔ができるのは何故なのか。 「いや、あんたが捕まえてくれなかったら、あの子泣き寝入りすることろだったよ。ありがとう。」  青年はじっと剛を見た。 「お兄さんあの子の家族かなにか? 」 「さっき同じ電車に乗っただけだよ。」  何故そんなことを疑っているのか。まさか冤罪だと疑っているのか。 「普通さ、男でも自分が痴漢に遭ったら何も言えないもんだよ。それを人が触られてるからって怒鳴れるってすごいよ。」 「あんたもすっごい落ち着いてるな。わざとぶつかられて鞄とったんじゃないのか? 」  冗談で言ったつもりだったが、その表情を見るに、当たっていたようだ。 「俺の妹もあの子くらいでさ。痴漢に遭うから早起きして電車に乗ってた。なんで触られる側がそんなことしなきゃいけないのかってむかついて。」  そう言う彼は、少し悔しそうだった。 「それで、暇なときは痴漢しそうなやつがいる車両にいるんだけど。今日はちょっと場所撮り間違えたと思ったらお兄さんが怒鳴ってくれたから。よし来たって思って。」 釣り感覚で痴漢をつかまえようとしていたのか。  あきれるやら感心するやら、呆然としていると、青年の後ろに時計が見えた。 「やべっ俺バイト。」 「気を付けてね。」  青年に見送られて、走った。変な奴に出会ったと思った。  週一度働いているレストランは、夜は予約客しか入れない。昼間は店長が気まぐれに開けて、朝は平日は大体あいている。その気まぐれな営業は必然的に常連しか来なくなる。 「草野めずらしいな、遅刻。」 「痴漢捕まえて事情聴取されてたんです。信じてもらえないかもしれないですけど。」  店長はまかないを食べながら着替える剛に言った。茶髪でどこにでもいるやる気のなさそうな顔つきだが、時間には厳しい。特に閉店時間には厳しい。残っている客を追い出そうとする。 「話が面白かったら信じる。」 「面白くないっすよ。俺の隣の女子高生がおっさんに尻揉まれてたんですよ。」 「お前じゃないのかよ。そんで? 」 「俺みたいな坊主の尻揉むおっさんよっぽどですよ? 」  そんでと言われても、期待されるような話じゃない。 「てめぇ何人の尻触ってんだよって怒鳴ったら逃げられたんですけど、たまたま同じ車両に乗ってた別の乗客が捕まえてくれたんですよ。」 「あ、それニュースになってた。」  フロアマネージャーの小林が髪を束ねながら言った。ミスコン受賞歴もある美女で、年齢不詳だ。 「なんか、スマホで撮ってる子がいてニュースになってた。」 「は? どいつだ。泣いてる女子ほったらかして動画撮りやがって。」 「女の子は映ってなかったけど、ぶつかった乗客に鞄とられたところが放送されてたよ。」 小林が見せる、ネットニュースの動画にはナレーターの声で、ホームに響く怒鳴り声、というセリフが読み上げられる。確かに、剛の怒鳴り声が入っていた。 「草野ちゃんの声じゃん。」 「草野だな。今日賄持って帰っていいぞ。」 「あざぁーっす。」  小林の助けにより、おかげで明日の朝ごはんが手に入った。 「草野ちゃんもつっちゃんの格好して痴漢にあったことあったよね。」 「あれは本当最悪でしたよ。警察の苦笑い忘れられません。」 「可哀想に。」  剛が花実つくしとして活動していることを知っている店長は、シフトを融通してくれる。シフトの日は店のことを考えてそれ以外は好きにしなと、応援してくれていた。  今日の客は大学生のグループと常連の夫婦、店長の知人たちだった。 「店長、今日デザートにこの前みたいな綿菓子みたいなの乗せられる? 」  店長の知人の一人は水商売の女性で、甘ったるい喋り方をする。 「草野、できるか? 」 「はい。」  ガトーショコラのフルーツ盛り合わせに、飴がけをして運んだ。  去年の動画で飴がけをした。その動画を小林に見られて、頼まれてやってみせるとすごく気に入られた。 「やーん、すっごい綺麗。」  写真を撮ると、食べるのそっちのけで写真を撮り始める。ジェラートだったら溶けていた。 「お兄さん、こっちもできる? 」 大学生グループの一人が言った。聞き覚えのある声に振り返ると、さっき痴漢をつかまえた青年がいた。  思わず指さす。 「え? 葉山知り合い? 」 「さっき会った。」 「お前なにラブコメみたいなことやってんだよ。」  店長にも許可をもらい、大学生たちが注文していたクロカンブッシュに飴がけした。  女子たちが再び写真を取り、さっきの女性客たちも混ざって写真を撮る。  この店のアットホームな雰囲気にのまれ、別々に食事をしていた客たちが交流を深めて帰って行く。 「美味しかった。また来るよ。」  葉山と呼ばれた青年は友人たちと帰って行った、かと思うと戻って来た。 「ちょっと忘れ物した。」 「忘れ物? 席になにもなかったけど。」 「これ、俺の電話番号です。」  そっと渡された名刺に剛は首をかしげる。 「花実つくしさん、ですよね? 」  さっきまでの笑顔のない、真顔で言われた。 「……いや、違います……。」 「怒鳴り声を聞いて確信しました。つっちゃんねる89回目のゲーム実況回で21回目のボス戦の時のと全く同じでした。」 「はぁ!? お嬢様言葉で実況だったから罵倒なんてするわけぇ……。」  墓穴を掘った。どうしようと思っていると、店長が間に入ってくれた。 「お客さん困りますよ。うちそういう店じゃないんで。」  背こそそれほど高くないが、髭と目つきの怖い店長ににらまれて引き下がらなかった者はいない。 「連絡ください。ぜひ。」  酔っぱらって声をかけられることはあったが、男に連絡先を渡されたのは初めてだった。  シュレッダーにかけようと思って見ると、会社の名前が入っているちゃんとした名刺だった。 「会社から声かかるの初めてじゃないだろ。しっかり考えろよ。」  店長に言われて、名刺は捨てずに持って帰ることにした。  企業案件は何度か受けたことがあるが。見覚えのある社名だったので検索すると、知っている動画配信者の名前が続々でてきた。  店長は大学生だと言っていたが、何故この名刺を持っているのだろう。  会社のホームページを見てみると、代表取締役は女性の名前になっている。しかし、名刺の電話番号は会社のものだ。  携帯電話の番号も書かれているが、会社に電話をしようと思った。
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