14、片づけ終了までが、料理です。

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14、片づけ終了までが、料理です。

 驚きに固まったまま、ミシェル・フェイザーが、ノルディンを見上げる。 「え……」  思わず、ミシェルの口から、言葉が漏れる。 「今、アニーの言うことを聞いていたわよね。彼女が言い出したのよ。キャッサバを使おうと」  驚きが笑いに変わったように、ミシェル・フェイザーは口元を歪めた。 「それに、あなたも言ってくれたわ。私には殺害をする動機がないって。リタを失って、困るのは私だと」  ノルディンは、小さくうなずいた。 「そうです。そう言いました」  ほっとしたような表情がミシェルの顔に浮かんだ。 「自分の罪から逃れるつもりはないわ……リタの殺害に手を貸したのは、本当だもの」  ノルディンは、ミシェルの顔をしばらく見つめていた。 「そう言って頂けると、ありがたいです」  寂しげにミシェルは自分の教室を見つめていた。十一年かけて築き上げてきたものを、惜しむように。 「市警察に、これから行くのでしょう」  ぽつりと彼女は呟く。  覚悟を決めた表情のミシェルに、ノルディンが言う。 「その前に、少しお時間を頂いも良いですか。いくつか、あなたに、確認したいことがあります」 「え?」  ミシェルがノルディンを再び見上げる。 「モリガン」  彼女の驚きをよそに、ノルディンは、鑑識課主任に声をかける。  打ち合わせがしてあったのだろう。  手袋をはめた手で、モリガンは小さな鞄を運んで来た。厚い生地の保冷バッグのようだ。アーサーが使っていた調理台に置き、蓋を開ける。  その中から、保管用のビニールパックに入ったキャッサバプリンを取り出した。  昨日、押収したものだった。  冷蔵庫にあったのか、プリンを入れていた袋は少し曇っている。  モリガンはビニールパックから白い器を取り出し手渡す。黙ってノルディンは受け取った。 「このキャッサバプリンを、ご確認頂きたいのです」  器を手元に引き寄せながら、ノルディンがミシェルに言う。  触れる手は手袋も何もしていない。素手だった。  何が起こっているの、という顔で、ミシェル・フェイザーがノルディンを見上げる。 「普通のキャッサバプリンに見えるわ」  彼女はためらいながら言葉を口にした。 「ええ、ですが」  ノルディンは手にしたキャッサバプリンを、ミシェルの手に向けて差し出す。  反射的に、ミシェルは左手を動かした。  広げられた彼女の手の平に、ノルディンは白い器を乗せる。 「よく見て下さい」  手を降ろしながら、ノルディンが呟く。  ミシェルが眉を寄せて、自分の左手の上にある、キャッサバプリンを見つめる。  差異を探る目つきだ。  彼女に向けて、ノルディンが言葉を放った。 「それは昨日、アニー・ニコルズの前にあったキャッサバプリンです」  瞬間、ごんっという音がした。  ミシェル・フェイザーが払いのけるようにして、左手にあったプリンを床に落としたのだ。  衝撃で、黄色いプリンが床に散らばった。  ミシェルは流しに走っていた。  水を出して、必死に左手を洗う。  鬼のような形相だった。  ノルディンは身を屈めて、ゆっくりと、落ちた器を拾った。  こぼれた黄色いキャッサバプリンを見てから、体を起こす。 「何をそんなに慌てているのですか、ミシェル・フェイザー」 「だって!」  手を絞るようにして、水で洗いながら、彼女は叫ぶ。 「それには、シア……」  言いかけて、彼女は言葉を飲んだ。  沈黙の間に、激しく流れる水の音だけが響く。  ノルディンは、中身がこぼれた器を調理台に置き、静かにミシェルの側に行った。そして、固まる彼女の前で、きゅっと水道を締めた。 「シア……何ですか? 何をそんなに怯えているのですか」  ミシェルはさっと表情を変えた。 「アニーが言っていたわ。リナマリンが入っていたと。リナマリンは、シアン化水素を発生すると。だからよ」 「リナマリンは、効果がゆっくりだとアニーは言っていました。死亡するには時間がかかると。即効性はありません」  水道から、視線がミシェルへと動き、ノルディンは言葉を口にする。 「あなたがこれほど恐慌をきたしたのは、アニーのプリンには別のものが入っていたと知っていたからではないですか」  黒い瞳が、ミシェル・フェイザーを捉える。 「即効性のある毒物。シアン化カリウムが、混入されていると」  ミシェルとノルディンは無言で視線を交わし合っていた。  薄青の瞳に向けて、彼は言葉を続けた。 「シアン化カリウムは、皮膚からも吸収されます。だから、あなたはそれほどまでに慌てた。違いますか」  右手で左の手を固く握りしめたまま、ミシェルは彫像のようにノルディンを見上げている。 「私が、毒物を仕込んだというの?」  不意に彼女は口を開いた。瞳が挑戦的にノルディンに向けられる。 「どこに、その、証拠があるの」  絞り出すように、彼女が呟く。  ノルディンは応えなかった。 「もう一つ、見て頂きたいものがあります」  合図をする。モリガンが、保冷バッグから、別のキャッサバプリンを取り出す。  モリガンの作業を見つめながら、ノルディンが言葉を紡ぐ。 「これは昨日、あなたが実演の時に示したプリンです」  流しの前で固まるミシェル・フェイザーの前に、ノルディンは受け取ったキャッサバプリンを差し出す。 「先ほど、アーサーが作ったものと、比べてみてください」  言いながら、ノルディンは調理台に放置されていたプリンを一つ手に取り、ミシェルに解るように、並べて見せる。  わずかに、彼女の目が見開かれた。 「容量を見て下さい」  言われて、初めて、アーサーは気づく。  アーサーが作ったものは、容器の口いっぱいまでに入っている。  だが、実演のときに用いたのは、上から三分の二ほどのところまでしか、中身がない。 「明らかに、量が違いますね」 「キャッサバが違ったのかもしれないわ。大体しか計っていないから」 「確かに、キャッサバの大きさにはばらつきがありますから。確認のために料理教室で作られた五十九個のキャッサバプリン、その全ての高さをモリガン主任に調べてもらいました。  その誤差は二ミリ。  これほど量がすくないプリンは、一つもありませんでした。  そこから、帰結できることはこうです。  ここにあるのは、一昨日試作として作られた七個の内の一個です」  ミシェルは、量の少ない器を見てから、ノルディンへ視線を向ける。 「試作の時、本来は六個作られるはずだった。しかし、直前になってあなたはそれを七個に分けることした。  そのため、一個当たりの分量が少なくなった。このキャッサバプリンが容器の三分の二ほどしか入っていないのはそれが理由です」  自分自身の体に腕を回し、ミシェルは唇を尖らせた。 「そういえば、アニーが試作をすり替えたと、言っていたわね。私は知らなかったけれど」 「ご存じなかったのでしょうね。もし知っていたら、あなたはリタから一口貰わなかったでしょう。危険なリナマリンが入っているキャッサバプリンなど、あなたが口にするはずがない」  ぐっと、ミシェルの眉が寄せられた。 「リタのために七個にしながら、もしかしたら、あなたは途中で考えを変えたのかもしれない。  リタに食べさせる時に、本当は実演で使うつもりだった、と言っていた。  後から気づいたのでしょう。時間の限られている実演の中で、リタに食べさせれば、皆に出来上がりを示すことが出来ない。冷静になったあなたは、試食をしてリタに難色を示されるよりも、黙っていることを選んだ。  だが、リタはあなたが密かにメニューを変更したことに気づいた。  言い争いの中で、試作を試食させることになってしまった。  後で、あなたは困ったのではありませんか?  そこへ、アニーが自分が家で作って来たからと言って、もしかしたら、あのプリンを差し出したのかもしれませんね。あなたにとっては、渡りに船だった。  実演の時は、とりあえず形が出来ていればいい。味見などしませんから」  滔々と話してから、ノルディンは言葉を切ると、短く付け加えた。 「もちろん、全ては憶測ですが」  ひゅっと、ミシェルが息を吸い込んだ。  自分自身に回された腕が、固く身を抱く。  全ての忌まわしきことから守ろうとするかように。 「この、試作のプリンが残されたのは、市警察にとって、この上のない幸運でした」  左に持ったプリンを見つめながら、ノルディンは呟く。 「このプリンが全てを教えてくれました」  黒い瞳が、ミシェルを射る。 「どうやって、リタが殺害されたのか。なぜ、我々がシアン化カリウムの存在に気づけなかったか」  ノルディンは動き、手にしていた二つのプリンを、調理台の上に並べて置いた。  しばらく見つめてから、彼は口を開く。 「試作のプリンに使われているのは、バニラエッセンスですね――モリガン主任に分析してもらいました。  けれど。  赤の月二十六日。料理教室で使われていたエッセンスオイルは違った。今日使ったものと同じ」  言いながら、ノルディンは調理台の上、アーサーが二滴だけ入れたオイルを手に取り、ミシェルに示した。 「アーモンドオイルです」
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