第一章 怪盗ヴェール現る

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第一章 怪盗ヴェール現る

 予告時間の夜の九時。ヘリコプターのスポットライトが映し出したのは、黒のロングコートに身を包んだ青年だった。黒のシルクハットの影になって、目元は隠れている。鼻筋の通った面立ちと、余裕のあるような口角の上がった唇はどこか謎めいた雰囲気だ。  屋外に配備されていた警察官は、逃亡者の姿を見つけて大きな声で叫んだ。 「怪盗ヴェールが現れたぞ!」  その声を聞きつけた警察官が集まってくる。  怪盗は身を翻し、三階の窓からふわりと飛んだ。その高さから落下したら運が良くても大怪我は免れないだろう。ところが怪盗は軽々と中庭に降り立つと、何事もなかったように走り出して出口を目指す。 「待て、怪盗ヴェール!」  出口を封鎖するように、一人の青年が立っていた。グレーのスーツを着た青年は、黒い短髪に整った顔立ちをしている。後ろを振り返れば何十名もの警察官。先回りされて逃げ道を封鎖されたようだ。どうやら切れ者の入れ知恵があったらしい。  青年は眼光を鋭くしたまま、革靴の音を響かせながら、ゆっくりと怪盗に近づいてくる。 「お前の考えはお見通しだ。観念しろ!」  青年は糾弾するように言い放つ。  それでも怪盗の余裕めいた唇の形は崩れない。  数日前、富豪の家のポストに予告状が投函された。その通報を受けて、約百名の警察官が配備されていた。  ベランダから脱出した彼が手に抱えているのは、この富豪の家に先代から伝わる絵画。オークションで出品すれば数億円の値がつく、明治時代に描かれた洋画だった。  屋敷内の警察官の配備や赤外線のセンサーによる監視は完璧だったにもかかわらず、怪盗の手にかかれば、簡単に突破されてしまった。 「お見通しなら、捕まえられるかな?」  売られた喧嘩を買った怪盗は、不敵にニヤリと笑う。 「早く捕まえろ!」  警察官の一人が、すかさず叫んだ。  群れて集まってくる警察官を嘲笑うように、怪盗はロングコートをはためかせて軽々と飛ぶ。  捕まえようとした警察官の手は、空気をかき混ぜるだけだった。  どこからともなく現れた小型気球に乗り込んだ怪盗は、その魅惑的な唇の両端を上げる。そして芝居がかったように、右手を胸に添えて左手を横に広げた。まるで舞台のカーテンコールのようだ。 「皆さんお疲れ様でした! 良い夜を!」  怪盗はよく通る声で群衆に言い放って、大きく手を振った。  その様子をビデオカメラに収める者がいる。怪盗ヴェール専門の動画配信者だ。  華麗に盗みを働く怪盗ヴェールにはファンが多数存在し、彼──あるときは彼女の顔の美しさやターゲットを盗んでいくスリルを楽しんでいるらしい。  怪盗ヴェールの美声を生中継で聞いた女性ファンは、その甘い声に聞き惚れていることだろう。  一方怪盗が姿を消した現場では、夜風の冷たさ以上に凍りついた雰囲気だった。 「……何が、お疲れ様だ! 良い夜に……なるわけないだろう! 警察を舐めるのもいい加減にしろ!」  この場を取り仕切る恰幅の良い警察官──桐生警部は神経を逆撫でする一言に憤慨して吠えるように叫んだ。部下は宥めるのに必死だ。  その横には、桐生警部以上に悔しがる青年がいた。桐生警部の子息の桐生健太(きりゅうけんた)だ。IQ 200の頭脳も持ち、探偵を自称して警察の捜査に協力しているが、敵の尻尾さえ捕まえられなかった。 「くそう……怪盗ヴェール……」  健太は拳を震わせると、スーツを着た若い男は怪盗が消えていった夜空を悔しげに睨んだ。
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