夢の消失

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夢の消失

「それで? やっと私のことを、思い出して頂けたと 」  フィンクを見ながら、美しい女性が深い嘆息をついた。エルヴァルトは硬い表情で、彼女と相対する位置に立っている。ここは、『夢の中の自分』に与えられていた部屋だ。不安げな顔をした青い髪の子どもは、同じく硬い表情をして、寝台に腰かけたフィンクの足元にいる。  エルヴァルトの寝室から出ようとしたら、ばったりとこの子どもに出会ってしまい、フィンクは事情を説明する間もなくこの部屋へと連れて来られてしまった。丁寧に礼を告げて立ち去ろうとしたら、血相を変えたエルヴァルトがこの美しい女性を連れて戻ってきて、今に至る。 「何か、分かったことは?」 「まずは彼の方と直接お話させて頂けませんか。できれば陛下がたは一旦、席を外して頂きたいところです」  凛とした声。  この美しい女性のことは、記憶にある。かつて、エルヴァルトのもとに一度飛んだ時に、エルヴァルトと共にいた一人――特徴的な金色の髪が、眩しく見えたことを覚えている。彼女みたいな人こそ、エルヴァルトの隣にあるべきなのだとしょんぼりしたことも、覚えている。 「……分かった。私は外すが、二人きりというのは許容できない。ジルト」  はい、と青い髪をした騎士が返事をした。今まで気配を消していたのか、自分のことに手いっぱいだったフィンクは彼に気づいていなかったので、分かりやすく驚いてしまった。  無表情な男の顔に不安に思いながら、自分を囲む人間たちを見ていると、エルヴァルトと視線が合った。一番困っているかもしれないのに、エルヴァルトはフィンクと視線が合ったことに気づくとすぐ、穏やかな微笑を浮かべた。みなが困っているのが分かる中、笑顔を向けられたことにフィンクもほっとする。 「フィンク。ジルトのことは、覚えているだろうか」 「ええと……」  夢の中で、会ったことはある気がする。戸惑っていると、青い髪をした騎士――ジルトが僅かに眉根を寄せるのが見えた。 「ジルトはフィンクを守る、騎士だ。そこにいる青い髪をした子どもが、ヨア。ジルトとヨアは兄弟だ」 「あ、……それは、なんとなく」  笑いあった記憶が、ふわりと浮かんでくる。夢の中の出来事だと思っていたあの愛しい記憶たちは、もしかして――本物、なのだろうか。 「ジルト。アイリーンの見張りをよろしく頼む」 「失礼ね」  鼻で笑った美女と、青い髪をした無表情な騎士と、その弟である少年と。彼らと一緒にフィンクを残して、エルヴァルトは出て行ってしまった。 「そんな顔をしなくても大丈夫ですのよ、神手様。私も竜族の端くれ――やっとご挨拶できる機会をいただけて嬉しいの。……陛下ったら、他の竜たちが会わせてくれ、挨拶させろって言っても時機じゃないって許して下さらなかったのよ?」  ひどいでしょう、と女性が嘆息する。  神手――それは、自分を指す言葉だと言われても、いまだにピンとは来ない。エルヴァルトがそうだとかつて言ったから、フィンクも他の獣人たちに自分のことを説明するために、使ったりもしたけれど。 「ごめんなさい! 私ったら、また一人でたくさん話してしまったわ!」 「いえ、そんな……おれは、本当にあなた達の言う神手、なのでしょうか」  恥ずかし気に笑った女性――アイリーンに顔を向けたものの、フィンクは力なく笑うしかできない。先ほどの、ほんの僅かな時間でもエルヴァルトが自分を大切に思ってくれているのは、なんとなく感じる。だが、それは自分が神手であるからだとして――自分に、そんな力があるとは到底思えない。  かつてエルヴァルトを回復させられたのは、母から贈られた腕輪のおかげだと思っている。気づけば失くしてしまったが、あの腕輪には確かに不思議な力があった。そして、獣人たちを逃がすことができたのはエルヴァルトの腕輪のお蔭だ。獣人の子どもを逃がすために、あの子に渡してしまったからその腕輪も手元にはない。 「こんな自分にもできることがあるだろうって頑張ったけれど……だめだったんです。結局、ここでもあなた達にご迷惑をおかけして……」 「神手様。私ども竜から見たら、あなたほど大切な存在はいないのに、あなたがご自身を貶めることを言うのは、悲しく思うの。中々陛下は会わせて下さらなかったけど、高原で私たちが降り立つのを、嬉しそうにあなたが迎えてくださるのが、私達にも見えたわ。その姿は、とても美しく、気高く見えました。元気がでるの。少なくとも私は、あなたがこのハーウェインに来てくれて嬉しい。力を行使し、戦うのは私たち『行使者』の仕事だけれど――」  アイリーンが、そこで一呼吸置いた。  降り立つ、竜たち。高原で見ていたその情景が、浮かび上がってくる。あれは、夢ではなかった。むしろ、すべてが――夢ではなかったのだろうか? 「フィンク様。我々『行使者』――異能を持つ者たちは、陛下を筆頭に苛烈な力を扱うことができます。しかし、力を扱うのと引き換えに、心は蝕まれていく。諸刃の剣なのです」  アイリーンが口を開くよりも先に、青い髪の騎士――ジルトが静かに口を開いた。「ちょっと」とアイリーンが慌てる間にもジルトは淡々と続ける。 「確かに、神手であると貴方の体に文字として刻まれているわけではない。だが、『行使者』である我々には確かに分かります……ヨア」  はい! と小さな少年が元気よく立ち上がり、まっすぐにフィンクを見てきた。その瞳にも、見覚えがある。少しずつ、靄が晴れていくような不思議な感覚にフィンクは戸惑う。 「ぼくにも分かります! ……でも、ぼくはフィンクさまが神手さまじゃなかったとしても、大好きです。いっしょに高原をおさんぽしたり、お話ができなくなるのは……いやだし、悲しいです」  ヨアはそう言って俯くと、口ごもってしまった。小さな肩が震えている。まだ幼く見える少年が、涙を堪えているのに気づいた。 「神手様ったら、ヨアを泣かせちゃった」 「おれ……ですか? ご……ごめんなさい」  フィンクもどうすればいいのか分からず狼狽えていると、レウナート殿、とジルトが彼女を窘める声を出した。 「……ちょっと場を和ませようとしただけなのに、今にも人を殺しそうな目で見ないで下さる? でも、陛下のお話だと神手様は、陛下と出会った時のことを無理やり忘却させられたのに、思い出せたということよね。それって、すごいことだと思うの。焦らずいきましょう。ここには、あなたが気づいていないだけで、あなたのことが大好きな竜たちがたくさんいるのよ」  ふふっ、とアイリーンはおかしそうに笑うと、慌ててすまし顔に戻った。玲瓏とした顔に少し吊り上がり気味の眼差しは一見冷たい印象も与えるけれど、それを覆すくらい彼女の笑顔は優しい。 「さあて。そろそろ、余裕ぶっていた陛下が戻ってくる頃ね。神手様、私はアイリーン・レウナート――アイリーンとお呼びくださいまし。ここより少し東に行ったところに住んでおります。人の医療の心得もありますから、何かあればすぐ私をお呼びくださいませ」  そう言って深々とアイリーンが頭を下げたところで、忙しなく扉は開かれ、エルヴァルトが入ってきたのだった。
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