黄昏の祈り

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黄昏の祈り

「陛下、フィンク様は」 「いた。何故か、小鳥の姿になっていたが――あれはフィンクだ」  駆けつけてきたのは、フィンクに付けたジルトだ。ジルトはエルヴァルトの返事を聞くと、心配気に眉根を寄せた。 「ずっと、我々を守ろうとするような鳥の姿を――美しい声を、聞いていました。あれは、フィンク様でしたか」 「恐らく。白銀色の翼を持つ小さな鳥が鳴く度に、魔物たちの動きが落ち着いていった気がした」  魔物が何なのか、エルヴァルトたち竜族にも分からない。しかし、彼らを悪戯に刺激すれば、時として竜ですら餌食になることがある。そのためにも彼らとは接しないように、魔物たちが生息していると思しき場所を避けて街を作ってきた。 「何かを、警戒していた気がした。……あの小さな鳥が消えた方に、向かう」  白銀の小鳥――恐らく、フィンク――が飛んで行った方へ。獣人の監視はそのままにして、ジルト以外の竜族たちも共にエルヴァルトについてきた。そんな彼らの前に広がったのは、またしても闇だ。 「陛下、あの男は……!」 「獣人と共謀した、カディナ国の人間だ。ジルトは、あれを」  その、闇の向こう。一人で頭をかきむしり、暴れていた人間の男が、闇に気づいて一目散に逃げだした。ジルトに命令して追わせながらも、エルヴァルトはフィンクを探す。男は白い何かを投げ捨てていった。そのうちの一つは、ころりと闇の中へ落ちていく。その白いものが、何なのか――エルヴァルトには、分かった。 「フィンク!!!」  白銀の小鳥が、フィンク自身の姿となって闇に呑まれていく。 「万が一、私が魔物に取り込まれたら、私ごとこの境界を封じろ。現宰相を仮の王として指示を仰げ」 「陛下?!」  配下たちがざわつくのを背にして、エルヴァルトは迷いなく闇へと身を進めた。フィンクの、『神手』としての制止力が働いたのなら――結局は、闇の魔物も『行使者』ということになる。『行使者』と戦うことができるのもまた、『行使者』だ。  魔物はエルヴァルトに気づくと、大きく広がっていた闇を凝縮させ、ところどころ融けてはいるが竜に似た形へとその姿を変じさせた。 「……醜悪だな。だが、私もフィンクと出会わず『行使者』としての暴走を繰り返せば――同じ道をたどっていたのか」  魔物が最初、何であったのかも、分からない。竜であったのかもしれないし、別な、強大な力を持つ種族であったのかもしれない。相手が何であれ、エルヴァルトがようやくこの手に得た伴侶を、奪われるわけにはいかない。  無理やり闇の中へ入り込んでいくと、フィンクから贈られた腕輪が、闇の中で仄かに光った。同じく、少し先でぼんやりと白銀に輝く光りを――フィンクを――見つけた。  力なく目を瞑っているフィンクの身体を引き寄せる。『行使者』には必要な存在である『神手』を離すまいとしてか、魔物も抵抗して来た。白銀に輝く髪や体に、黒い蛇に似たものが絡みついて行く。 (……私の伴侶に、触れるな!)  今まで覚えたものでも、一番といっていい強い怒りが噴出する。雷撃を得意とするエルヴァルトの怒りに応じて、細かな青白い稲妻が闇の中に走っていった。     闇に覆われていて分かりにくいが、魔物の体と思しきところにあたると、じわりと白煙が上がった。それと共に、フィンクを取り巻いていた黒いものが退いていく気配がする。フィンクを傷つけないように、しかし敵を殲滅するために。フィンクの体をしっかりとエルヴァルト自身の腕で抱きなおすと、竜の王に相応しい力を――強力な雷撃を、先ほど白煙が上がったところへと狙ってぶつける。雷撃が当たったところが白い泡となって融けたところへと向かい、竜姿に変じて一気に突き抜ける――と。今まで闇の中にいたエルヴァルトの琥珀の目には、まぶしいほどの蒼穹が映りこんだ。  気を失っているフィンクの身体を、大きく揺らさないように気を付けながら地面へと降り立つ。人の姿に戻ったエルヴァルトは、急いでフィンクの様子を確かめたが、青年がいつものように穏やかな薄水色の瞳でエルヴァルトを見てくる――気配は、ない。 「フィンク……目を、覚ませ!」  竜と人は、何もかもが違う。己の長すぎる生を、なぜ今ここで分けることができないのか。そんな苛立ちを噛み締めながら、エルヴァルトは長らく失っていた腕輪が嵌まっていることを確認した。 「陛下、神手様は……」 「城に帰還し、アイリーンを呼ぶ」  悔しいが、今は人の身体についての医術にも心得があるアイリーンが必要だ。それは、怒りで我を忘れかけていたエルヴァルトにも分かる。なるべく遠くに、確実に飛ぶための詠唱を始めると、ジルトが何かを引きずって戻ってくるのが見えた。 「陛下! フィンク様は……!!」  引きずっていたものを放って、ジルトも駆け寄ってくる。「あれの正体は分かったか?」と短く尋ねると、ジルトは緊張を隠せないまま頷き返した。 「身を検めたところ、恐らく魔物を呼び込むための撒き餌と思しき袋が。そして耳の後ろにカディナ国紋章の文身がありました。恐らく神官ではないかと。あの男にも見張りは付けていたのですが……」  人の国では、神官と呼ばれる職の者たちは、自身の神に死んでも仕えることを分かってもらえるよう、文身と呼ばれる各国で定められた紋章をその身に刻むことが多い。ご丁寧に分かりにくいところに紋身を入れているところから見て、最初から他国に侵入させるために養成したのだろう。エルヴァルトは「分かった」と短く答えると、フィンクの体を抱えなおした。  ジルトが硬い表情のまま頭を下げる。すると、「違う、自分はそこにいる獣人に命じられただけだ!」と喚く声が近づいてきた。 「獣人どもに脅されて、そして……!」 「……以前、貴様らはフィンクに忘却の水とやらを飲ませたらしいが……我らにも、人の本心や記憶を引きずりだす力を持っている者がいる。フィンクの故国であるというだけで生かされてきたことを、忘れるなよ」  命じた相手を白状させておけ、と指示した時。かすかに、フィンクが身じろぐ気配がした。 「……フィンク?」  少しの動きも見逃さないよう、エルヴァルトが視線を向けると――いつもと同じ、ほんわかとした笑顔をフィンクが向けてきた。 「おれ、は……だいじょうぶ、なので。りゅうの、みんな……を……」  たすけてと言い置いて、フィンクは再び固く目をとじた。フィンクにはまだ、戦っている竜たちの姿が見えているのだろうか。 (なにも……大丈夫ではないだろう……!)  フィンクは、そういう青年だ。いつでも、自分の身のことよりも周りを大切にする。強く唇を噛み締め、エルヴァルトは今度こそ腕輪の力を使った。城に帰還してすぐ、二人の竜族を呼び出させる。一気に騒がしくなったハーウェインの城の中でも、エルヴァルトの伴侶が目覚めることはなかった。 「……フィンク」  日中は大騒ぎだったハーウェインの城に、とりあえずの落ち着きが戻ったのは夕刻になってからだった。山々へと沈んでいく落陽によって、エルヴァルトの寝室も、茜色に染められている。フィンクが昏々と眠っている寝台では、先ほどまでヨアが懸命に主の目覚めを待っていた。食事も水もとらず張り付いているのを見かねて、アイリーンが部屋から連れ出したばかりだ。  魔物より救出した時から、変化のないフィンクの顔。呼吸は続いているが、人の身体にも医療の心得があるアイリーンの見解は、思わしいものではなかった。 「まさか、神手が力を使い果たすなどと……」  思わず触れたくなる、柔らかな白銀の髪。そうしていれば、いつもみたく、はにかみながら目を覚ましてくれそうな気がして。中々手を止めることができない。  エルヴァルトのような『行使者』と竜族では呼ばれる、異能の持ち主たちが持つ力は有限だ。だからこそ『神手』によって使った力を回復してもらい、再び戦い続けるものだと言われて育ってきた。 (……一人で、戦っていたのか)  一度はエルヴァルトも人事不省に陥った。恐らく、それこそがあの魔物の異能だったのだろう。その間も、フィンクがエルヴァルトを呼ぶ声がしていた。初めて出会った頃よりも成長して、背も伸びたが、相変わらずほっそりとした青年。しかしフィンクは、誰よりも気高く勇敢だ。エルヴァルトたちを救い、そして何か――恐らく、カディナ国の神官だったのだろう――を見つけて再び、羽ばたいて行き闇に取り込まれかけた。 「……どこにいる?」  身体は、大きな怪我もなく生きている。いつ目を覚ましてもおかしくはないはずなのに、いくら呼びかけても目を覚まさない。アイリーンは、『魂がない状態』とエルヴァルトに告げてきた。 『良いたとえが分からないけれど……目が覚めなければおかしなくらい、深刻な怪我もないわ。そうなると、目が覚めない原因が一つしか思い至らないの。心……いえ、魂、というべきかしら』 (フィンクの魂がここにいない、ということか)  フィンクの魂の形が、あの白銀の小鳥だとして。もしかして、あの森の中で、まだ迷っているということはないだろうか。 (いや。一度は、フィンクに意識が戻った)  竜族のみんなを助けて、と告げてきた。少し寝乱れていた前髪を分けて、フィンクの形の良い額に口づける。その間際、エルヴァルトは自身が付けている腕輪が揺れたことに、視線を寄せた。意味は、ないかもしれない。フィンクの身体はいま、ここにあるのだから。 「陛下。申し訳ありません、あとは自分がフィンクさまのお側に付きます」  フィンクの世話係であるヨアが顔を出した。エルヴァルトに代わって宰相が城を急いで出立していったとヨアが報告してくる。護衛としてジルトもそのままカディナに向かわせている。彼らはすぐに合流して、カディナに辿り着くだろう。  日が、落ちる。火を扱うことができる者によって、ハーウェインの王都は暖かな光に包まれていく。以前なら一人で迎えるのが当たり前だったその光景。フィンクがハーウェインに来てからは毎夕、窓に張り付いて眺めていた青年の姿が、ない。 「……ヨア。私は、フィンクを連れ戻しに行く」 「連れ戻しに……? でも陛下、フィンクさまはそこに」  腕輪に、意識を集中させ、フィンクを――あの美しい白銀の小鳥を、思い浮かべる。そうしてエルヴァルトの視界に映ったのは――たった今までいた、エルヴァルトの寝室と同じく夜の帳が落ち、小さな明かりが灯された部屋の中だった。
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