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 その爆発音で、立川立冬(たちかわりっとう)は目を覚ました。 「なんだ! どうした!」  わけもわからず椅子から落ちそうになるところだった。いつも居眠りしているお気に入りのリクライニングチェアだけれども、ちょっとやそっとで落ちそうになる立冬ではない。居眠りには—特に学校でする居眠りには定評があるのだ。そんじょそこらの居眠りとは訳が違う。 「けっこう揺れましたよ。どこの研究室の爆発ですかね?」  手は止めたものの、さして珍しくもない爆発音に、後輩の一年生・美樹小桃子(みきこももこ)は立ち上がろうともしない。  立冬に至っては寝たきりだ。起き上がろうともしていない。 「二次爆発は……無さそうだな。スプリンクラーも作動していないようだし、どうやらただの爆発だったみたいだね」 「この世にただの爆発があってたまりますか。どうせまた何か、他の研究室で良からぬことが起きてるんじゃないっすか?」  入学して半年も経たない一年生の小桃子。そんな彼女でも、この大学の特異性というか異常性のようなものはすっかり把握したようだ。 「いい加減慣れろよ小桃子。そこらの大学や専門学校と違って、うちはどこの研究室もマニアックなことやってるんだから。側から見れば変な人の集まりでも、見る人が見れば知恵の宝庫だから。爆発ぐらいはご愛嬌。先生もそう思いますよね?」  決して広くない研究室の奥で、舐めるようにパソコンのモニターを凝視する白衣の女。毛先まで傷んだボサボサ髪と、牛乳瓶の底みたいなグルグル眼鏡が一層の奇人感を醸し出している。 「ごめんよ立冬くん、今の話あんま聞いてなかったんだけど……」  彼女こそ、室町研究室の主にしてこの大学の名物教授—室町小町(むろまちこまち)先生である。 「二次爆発やスプリンクラーはともかく、非常ベルが鳴らないのは異常だと思わないかい立冬くん?」  自分が爆発させたら必ず鳴る—週に一度は学内で爆発を起こしている室町先生ならではの指摘だ。さすがは機械工学の権威。失敗は成功の母と言うが、この歳若い御大は、実験を成功させる度にどういうわけか爆発するのである。ひと昔前のギャグ漫画みたいな本当の話だ。 「いつもベル鳴ってましたっけ?」 「立冬くんも爆発させるようになったら分かるとも。その頃には一人前だ。もっとも私は、一人前と呼ばれる以前の半人前から爆発していたがね」 「自慢げに言わないでくださいよ。なんて危ない半人前ですか。先生の先生の顔が見たいです」 「今年度から学長に就任された破裂坂(はれつざか)先生だ。良い先生だったよ」 「……思いのほか身近に居ましたね。これは失礼。そういえば室町先生、失礼ついでに聞きますけど、シャワー浴びました?」 「本当に失礼な生徒だな君は。私は毎週日曜には必ずシャワーを浴びると決めているんだ。一週間の疲れをリセットして、月曜からまた元気に頑張るためさ」 「毎日リセットしてくださいよ! だから火薬臭いんですよ先生は! 頭良ければ良いってもんじゃないですよ!」  恩師を尊敬しつつ、しかし恩師のようにはなるまいと心に決めている立川立冬。 「うーん、でもシャワーの前にいつの間にか寝ちゃうし」  呆れつつ適当に相槌を打って、再び居眠りを決め込もうと欠伸した矢先、研究室のドアの前に人影が。 「あ、先生、誰か来ましたよ」  そう言って、入り口横のデスクにいた小桃子が反射的に立ち上がった。  話を聞いていない室町先生の返事を待つより早く、駆け足でやって来た人影がドアを開けると— 「きゃ—」  断りも無く入室して来た来客は、構えていたアサルトライフルのトリガーを絞った。 「きゃあああああああああああ!」  悲鳴を上げる小桃子が銃身を蹴り上げなければ、立冬も先生も蜂の巣になっていただろう。 「な、なんだコイツ!?」  ゴーグルとマスクで顔を隠した男。構えているアサルトライフルが電動ガンであったなら、サバイバルゲームの参加者が間違えて入って来たという苦しい言い訳も立ったかもしれない。けれども残念ながら、迷彩服を着て素顔を隠し、本物の銃を人に向けて撃つ人のことを、サバイバルゲーマーと呼ぶには語弊がある。 「このガキ—」  発砲の瞬間に銃身を蹴り上げられ、天井に穴を開けた迷彩男が小桃子に銃口を向ける。容赦なくトリガーを引くつもりだったのだろうが、まさか銃を向けられた一般人が間合いを詰めてくるなど思いもしなかったのだろう。 「ちょっ、こっち向けないでくださいよ!」  片足を軸に体を半転。小桃子の放った後ろ回し蹴りを顔面に浴びて、迷彩男は倒れた。 「に、人間て気絶する時は呆気ないもんだな……」  総合格闘技のテレビ中継で見るように、痛恨の一撃ほどあっさり決まる。現実にはバトル漫画のように必殺技で吹っ飛んだりはしない。まるで糸が切れた人形のように崩れ落ちるのだ。 「倒したのか? 小桃子やったのか?」  おっかなびっくり。倒した男の脇からアサルトライフルを蹴飛ばした小桃子は、肩で息をしながら飛び退いた。 「倒したかなんて知りませんよ! 無我夢中で回し蹴りしたら普通に入っただけっす! ていうかホンモノ! これホンモノの銃ですよね!?」 「この銃が本物なら、この迷彩男は何の本物だ? ていうか小桃子、あんな綺麗な回し蹴りが使えるなんてお前こそ何の本物だ?」 「何でもありませんよ。小さい頃からテコンドー習ってるんです。趣味というか、ほとんど健康増進の域っすけど」 (ほほう。テコンドーときたか)  知り合って半年。立冬の知らなかった後輩の一面だ。これは使える。 「さて。後輩のマニアックな秘密が暴露されたところで—」  二人目が入って来た。 「立冬くん暴れるのは構わないが、コンピューターは壊さないでおくれよ」 「テメェら何してやがる! ぶっ殺すぞ!」  リクライニングチェアから飛び起きた立冬は、床のアサルトライフルに飛びついた。 「小桃子、頼む!」  言いながら—本物のアサルトライフルなど触ったこともない立冬は、見様見真似で構えてみせる。  すると当然、二人目の迷彩男は立冬を狙う。学生相手だろうと容赦なくトリガーを引こうとするところは、一人目の迷彩男と同様だ。 (初めから躊躇は無し。間違いないな)  今まさに撃ち殺されようとする瞬間にも、立冬は冷静に迷彩男を分析していた。それは何も、立冬が百戦錬磨のクレイジー大学生というわけではなく—椅子と机を踏み台にした二段跳びからの、後輩女子がスカートを翻して放つ踵落としを見届けたからである。 「良い反応だ小桃子」 「なにが良い反応っすか! 先輩殺されたいんすか!」 「小桃子がちゃんと反応してくれたから、たぶん大丈夫だと思ったんだよ。テコンドーすごいな」 「先輩、そんなこと言ってパンツ見ようとしてたのバレバレっすからね」 「残念ながらパンツより踵落としに見惚れてたよ。さあ逃げた方が良さそうだ」  もう一丁のライフルも拾い上げ、立冬は脱出を促す。 「室町先生、どうにもヤバそうな雰囲気ですけれど、どうされますか?」 「論文の考察をまとめてから行くよ。もうすぐ終わりそうなんだ。すまないが二人で逃げてくれるかね?」  仮にも教育者なら生徒を連れて逃げてもらいたいものである。しかしもちろん、室町先生のそういう性格は重々承知の立川立冬。 「せ、先生、一緒に来ないんすか?」 「だそうだ。僕らだけで行くよ小桃子」  信じられないと言った顔で目を見開く小桃子に、ライフルを担いだ立冬は肩をすくめる。 「あー、立冬くん研究室の外から鍵を掛けといてくれたまえ。誰か入って来ると仕事の邪魔だ」  生きるか死ぬかの瀬戸際で、生徒に一瞥をくれることもなく、キーホルダーの付いた鍵だけをくれる室町先生。 「了解です。先生はこの状況をどう見ます?」 「そうだなー。陰謀の香りがするけれど、あまり賢いとは言えないね。知った風でいて詰めの甘さを感じる。犯人は分かっているようで分かっていないんだろうとも」  はて。  ふむ。  ほほう。 「重ねて了解です。それじゃ室町先生、困った時はメール送ります。また後ほど」  舐めるようにキーボードをタッチしながら手を振る恩師を一人残し、立冬は室町研究室のドアを施錠する。  その段になってようやく、立冬と小桃子は事態を把握するに至った。  ピンポンパンポーン 『県立県(あがたりっけん)学院大学の皆さん、こんにちは。こちらはテロリストです。まだ我々と遭遇していない方にお知らせ致します』 「……テロリストらしいっすよ、先輩」 「本物のテロリストなら銃ぐらい持ってるか……」  謎は一つ解けた。
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