牢獄のようなこの世界で

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 両親への不信感が決定的なものになったのは、中学の卒業式でのことだった。  卒業生は卒業証書を受け取ったら、皆の前で将来の夢を発表しましょう、ということになった。幼稚園や小学生のころから、将来の夢を作文やら何やらで発表させられたものだが、恭祐(きょうすけ)はいつも、夢は医者だと言ってきた。そうすれば、立派なことだと先生に褒められ、両親も喜んだ。誰も恭祐の「夢」を否定しなかった。  しかし中学の卒業式の練習中、皆が目を輝かせて自分の夢を語る姿を見ていると、自分にとっての夢が医者ではないことに気が付いた。  スポーツ選手、会社経営者、タレント、イラストレーター、警察官。実現できるかどうか、実現した方が良いかといったことは、あまり考えていない。皆、自分のやりたいことを自由に表現している。恭祐にはそう見えた。  だから卒業式本番、将来の夢は料理人です、と壇上で宣言した。  いつのころからか、自分の作った料理を食べた人の笑顔を見るのが好きだということに気が付いた。自分が食べたいと思う味を自由に作れるのも魅力だったので、毎日の弁当も自分で作っていた。  ただそれだけで、本当に料理人になれるかどうかだとか、医者になりたくないだとか、そんなことにまで考えが及んでいなかった。ただ、やりたいことを自由に述べた。すると、厳しいことで有名だった担任の先生はとても嬉しそうに笑って、応援していると言ってくれた。これで良かったのだ。恭祐は安心した。  しかし、帰宅した後、日付が変わるまで両親から責め立てられた。  お前は医者になるんだ、そのために育てて来たんだ、料理人なんてとんでもない、なんて子供っぽいことを、もう春から高校生なのに、お前にどれだけの金をかけてきたと思っている、そんなことにも考えが及ばないのか。  気が狂いそうだった。本当に料理人になろうと思ったわけじゃないから、と、何度も説明しようとしたのだが、恭祐が何かしら言い返そうとすれば、両親はその内容を聞こうともせず、口答えするなと怒鳴った。  恭祐の言動も、望みも夢も、全て否定された。高校に入学して以降は、家で包丁を握ることさえ許されなくなった。昼食はコンビニのパンになってしまったので、いつもつまみ食いしていた友人たちは寂しそうにしていたものだ。  両親が好きだったのは自分の思い通りになる子供、つまり、医者として跡を継いでくれる子供であって、恭祐自身ではなかったのではないか。わずか十五歳の少年がそう考えるには十分な出来事だった。そう考えた瞬間、凄まじい孤独感に襲われた。両親は無条件に自分の味方をしてくれるものと信じていただけに、絶望は大きかった。  これからもきっと、そうして生きて行く。本当の夢は押し殺して、自分ではない誰かに決められた道を歩いて行く。それは果たして自分の人生と言えるのだろうか?  逆らいたいなら言い返せば良いのはわかっているけれど、それをする度胸がない。卒業式の日のことを考えると、自分の夢を叶える前に精神が崩壊しそうだった。話を聞いてくれない両親よりも、弱くて脆い自分が疎ましくて仕方がなかった。
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