メンヘラ系の女子2・3

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メンヘラ系の女子2・3

(四)上野君江ちゃん  日陽ちゃんが卒業してしまってから学校に転機が訪れた。今まで職業高校だったのだが、総合学科の高校になり、校名も変わった。  そして三年生に、留年したために学校が変わっても居続けている女の子がいた。寡黙な生徒であり、何を考えているのか分からなかったが、反抗的な生徒ではなかった。  みんなから「君江ちゃん」と呼ばれていた。  この生徒は、前の学年に友達が一人もいなかったそうである。一体病院に行っているのかどうかさえも分からなかった。カウンセリング室へくることも、保健室へ来ることもなかった。  なぜか亮介が担任になった。  亮介はこの生徒と話したことはほとんどない。なぜなら、この子が三年生の途中で彼は病気がぶり返して休職することになったからだ。  ただ、学年はじめの面談のことはよく覚えている。私はこの子に友達を見つけてあげたいと思っていた。この子は病気なのだが、病的な所はどこにもなかった。一見すると健康そうな女の子であった。しかも真面目で成績も悪くはない。髪の毛を左右に束ねていたことが印象的だった。  六月。亮介に医者から学校の仕事にドクターストップがかかった。その直前に親を介しない面談があった。  「一年間、大変やけど卒業しようね」  「はい」  「僕は以前カウンセリングの係をやっていたから何かあったら相談に来てね」  「はい」  その後、彼女は休まずに登校してきた。友達ができたらしい。その友達になってくれたのが病弱な美結ちゃんという女の子であった。  休むことになった亮介の元に美結ちゃんから一通の手紙が来た。その中に四つ葉のクローバーが同封されていた。どうも、そのクローバーを送ったのは君江ちゃんだったらしい。何もないのに心が通じることってあるんだ。  亮介は感心した。そして美結ちゃんとの友達関係は続き、無事に卒業していった。   (五)桑田唯ちゃん  翌年の四月に亮介は復職した。校務分掌は、またもやカウンセリング係であった。  この学校には心の病の生徒が多くいた。精神病ではなく、多くは神経症であり、その大部分が不安障害であった。  この学校には大学へ進学する生徒は少なく、多くは就職か専門学校である。校区内の普通科高校に行けなかったから来ているのだ。しかし、見ていると真面目な生徒ばかりであった。  「なぜこんな子がこの学校にいるの?」と思わせる生徒が多くいた。唯ちゃんもその一人であった。  亮介は音楽部の顧問をしていた。元々空手部を作ってほしいという要求が生徒の間からあり、もしも空手部ができたら亮介が顧問になることはほぼ決定していた。しかし、その要求は亮介が転勤する頃にやっと生徒から出てきて、実現には至らなかった。そこで音楽部の顧問をやっていたのである。  唯ちゃんは音楽部の数少ない生徒の一人であった。音楽部は昔は盛んで何十人もの生徒がいて、吹奏楽なんかもできたのだが、いつの間にか生徒は二人だけになっていた。  そして唯ちゃんはピアノの天才少女であった。なぜか音楽室に行く時は同じクラスの友人と一緒だった。  唯ちゃんは不安を抱えていた。渡り廊下を一人で歩けないのだ。そう。渡り廊下にはいじめっ子がいて唯ちゃんに通せんぼをするのである。いつもいつもそのいじめっ子がいるわけではなかった。しかし唯ちゃんにとって渡り廊下を歩くことは「命がけ」の冒険なのであった。  唯ちゃんの友人と唯ちゃんと私は音楽室にいた。私は二人でピアノを弾く傍ら、唯ちゃんのカウンセリングをしていた。唯ちゃんはショパンの「革命のエチュード」なんかを弾きこなしていた。ピアノの先生が東京芸大の出身で、かなりの腕である。  私はショパンの幻想即興曲を弾いた。 唯ちゃんの友人が驚いていた。  「先生、ピアノなんか弾けるんや。そんな感じ全くしない」  友人が言った。  「今度の文化祭でピアノを弾いてくれないか?」  「いいですけど、何を弾きましょうか?」  「そりゃ、革命のエチュードでいい。みんな驚くと思うよ。僕は昨年幻想即興曲を弾いたらみんな驚いていた」  「じゃあ、ピアノの先生と相談してみます」  それから一呼吸置いて、亮介は彼女に聞いた。  「不安が大きい人には認知行動療法というのがあるんやけど、やってみる?」  「はい」  実は、この子は音楽室へ来る前に亮介と話がしたいと言っていた。  「一体何だろうか?」  不審に思い、亮介は放送で彼女を呼んだ。そして亮介の声が聞こえると泣き出したそうである。  「先ず、そのいじめっ子というのは同じ三組の生徒ですか?」  「いえ、一組です。一組の大崎さんです」  亮介はその子もよく知っていた。体格は大きいが、いじめをやるような生徒ではない。それどころか、私の授業を楽しみにしていて、仲もよかった。  「どんなことをされるの?」  「渡り廊下で通せんぼされるのです」  「だから渡り廊下が怖いんやね。ところで、それはいつものこと?」  「いえ、一回通せんぼされて怖かっただけです」  「じゃあ、渡り廊下でその子が同じ事をする確率は何%くらいですか?」  「十%かなあ?いや、ゼロ%です」  「でも、渡り廊下が怖いんやね。担任の先生は何と言ってるんですか?」  「『もっと強くなれ』と言ってます」  「それはいけないなあ。強くなれるんならこんな話してないよね」  「はい」  その後、詳しい事情を担任から聞いてみた。  どうも、大崎という生徒が一方的にいじめているわけではないようであった。二人の間で何か行き違いがあり、一回通せんぼされただけであった。  実は亮介は、その大崎という生徒のいる一組に行くのも楽しみであった。大崎はじめ、みんなフレンドリーで、なんせ、人気ナンバーワン教師が私だったらしいのだ。また唯ちゃんは、不安神経症(パニック障害)になり、渡り廊下を渡れなくなっていたようであった。  やがて約束の昼休みに唯ちゃんがカウンセリング室へやってきた。  「じゃあ、そんなことが起こる確率はゼロ%だということを頭に刻んで、今度、僕と一緒に渡り廊下の前まで行ってみよう」  「はい」  彼女は素直に頷いた。そしてどんどんと渡り廊下の入り口へ歩いていった。しかし、渡り廊下が近づくと、彼女は尻込みしてしまった。  「私、怖いです。不安です、心配です」  「大丈夫、大崎さんなんて来ないから」  「来ないと分かっていても怖いんです。それが私の病気なんです。でも誰もこの病気のことを分かってくれないんです。この前、医者へ行って『パニック障害だから薬を飲みなさい』と言われて薬を飲みました」  「薬はきちんと服用した方がいい。ところで、頓服の薬なんかもらってる?」  「はい、この薬です」  薬の名は「リーゼ」であった。マイナートランキライザーである。  「じゃあ、先ず今日は薬を飲んで、それからしばらく経ってから廊下を渡ってみよう」  彼女は何も言わずに首を縦に振った。そこで亮介は認知行動療法にはない方法を伝授した。  「これは、今やっている療法じゃないんやけど、自分の心をアナウンサーになったように実況中継するんや。『今、不安におののいています。いまから大山先生と一緒に渡り廊下を渡ります。ああ、不安が最高潮に達しました。でも今日は先生も一緒ですから安心です』とか言いながら自分のやっていることをアナウンスするんや」  「はい、やってみます」  渡り廊下の扉を亮介が開けた。唯ちゃんはゆっくりと廊下に降り立った。そして歩き始めた。  「先生、心臓がバクバク言ってます。気分が悪くて吐きそうです」  「だったら、それを実況中継する。それからパニック君は呼吸に弱いから深呼吸をする。あ、過呼吸になったことはないよね」  「いつもなってます」  こうして二人は廊下の真ん中まで来た。  唯ちゃんは苦しかったのか、息を切らせてゼイゼイ言っていた。  「今日はここまでにしよう。また一週間後にもう少し渡れるようにしよう。それから今日のことは日記に書いておくこと。ここまで来られたんやから自信を持つんだよ」  「はい」   彼女は素直に頷いた。    そのまま二人で音楽室へ行った。彼女はまだ息を切らせている。よほど怖かったのだろう。    やがて彼女のいつもの友人がやってきた。  「大丈夫やった?」友人は心配そうに彼女の肩を少し叩いて言った。  「うん、大山先生が一緒やったから」  亮介は気分を切り替えさせるために言った。  「それじゃあ、文化祭で弾くピアノの練習をしよう」  と亮介が言った途端に彼女はきまり悪そうに言った。  「先生、ショパンのワルツなんかでは駄目ですか?」  「あれ? どうして?」  「ピアノの先生がエチュードは難しいから華麗なる大円舞曲にしろと言うんです」  「でも、聴衆はみんな素人やで。難しい曲を弾いてみんなを驚かせた方がええんと違う?」 結局彼女はワルツを弾くことになった。  その後も認知行動療法は続いた。徐々に彼女は渡り廊下を克服し、やがて一人でも歩けるようになっていった。  ところが、そんな時、彼女は大量の睡眠薬を服用して病院へ運ばれた。胃洗浄を行ったらしく、点滴をうたれてベッドに横たわっていた。  亮介は病院へ急いだ。  「どうしたの? 認知行動療法はうまくいってたのに---」  「すみません。睡眠薬では眠れなかったので大量に服用しました」  「何ていう薬?」  「ハルシオンです」  「それ、危ないよ。幻覚を見ることもあるよ。まあ、落ち着くまでゆっくりと寝ておきなさい」  「はい、すみません」    そうこうしながら亮介は西宮にある有名進学校へ転勤になった。 彼女は大学へ進学した。普通なら彼女のような人を放ってはおかないだろう。先ず、ピアノが上手くて料理もできる(彼女は調理のコースへ進んでいた)。その上、きちんと女子大を出ている。しかし、それ以降彼女からの連絡はなくなった。  最初は渡り廊下が怖くて、隣の校舎へ行く時には一階まで下りて、それから四階へ上がっていたのだが、それも克服したようであった。  ところで、亮介は不安神経症ではないので、この頃の彼女らの不安について何も理解できていなかった。しかし、西宮市の学校で、その不安は彼に襲ってくることになった。 
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