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メンヘラ系教師
(六)襲ってくる不安
そして亮介は西宮にある有名進学校に転勤になった。いきなり二年生の担任を持つことになった。そして、あの不安が彼にやってきたのである。
先述したように、この学校では生徒との間で交換日記をやっていた。そこにブスの女子が心ないことを書いてきたのである。
亮介は嘔吐しながら、「今度は何て書いてくるのだろうか」という不安に襲われた。
そして交換日記を見る気がしなくなった。
そんな折だったので、亮介はカウンセリング係の教師に話し、今の状況を伝えた。
カウンセリング係の教師は髭を伸ばし、ゆったりとチェアーに座り込んで彼の話を聞いてくれた。
「担任を降ろしてもらいますか?」
このカウンセリングの教師の言葉に亮介は心臓が飛び出すほど驚いた。
「そんなことできるのですか?」
「今の管理職ならOKを出すと思うよ」
こうして亮介は担任を降りた。
当時の彼の疾患は鬱・パニック障害・統合失調症であった。
他の教師は「あいつ、担任を降りられていいなあ。そんな楽をしてみたい」と言っていたのであろうことは容易に推察できた。それは、同じ社会科の教師からの発言や行動で始めて理解できた。
ある日のことである。亮介は日本史の教材研究をしていた。担任は降ろされたが、いつものように夜遅くまで学校に残っていた。それが習慣になってしまっていたのだ。前任校では、いつも五時に帰っていたのだが、いつの間にか「夜遅くまで残る教師」になっていたのだ。
そこへお局様のお婆さんの教師が近づいてきた。そして亮介に言った。
「もっと日本史に責任感を持ってもらわなければ困ります」
亮介にとっては何のことだかさっぱり分からない。まさに青天の霹靂であった。
事情が判明した。二年生の日本史を二人で持っていた講師が風邪を引いて休み、その自習課題を、何を思ったのか教頭が亮介ではなく、お局様に自習課題の作成を頼んだらしい。
そこで亮介は慌てて「僕が作ります」と言って自習課題を作った。するとお局様の細田は金切り声を上げた。
「一枚って何よ? 私はいつも二枚なのよ」
そこで亮介はもう一枚作って侍従監督に手渡した。
その後、お局様の細田は近所の女性教師と談笑を始めた。
数日経って社会科の竹島がタバコを吸いながらボソッと言った。
「しんどいですか?」
「はあ」
亮介は何を答えていいのか分からなかったので頷いた。すると竹島は、またボソッと言った。
「何がしんどいや? 担任外れて楽させてもらって」
こうして、同じ社会科の教師からの明らかな差別が始まった。
亮介は社会科の教科会に出席するのを取りやめた。すると、また細田がやってきた。
「あれえ? 大山先生、こんな所にいたの?大事な会やったのに。休むのなら年休を取ってほしかったわ」
この教師達の意地悪はやがて「いじめ」へと発展していった。
*
ある日のことである。亮介が出勤して靴箱を見ると、ゴミが詰められていた。そしてゴミの山を取り除くと上靴がなかった。
「生徒の悪戯か? それにしても子供っぽい悪戯をする奴もいるんだなあ」
そう思った亮介が脳天気だった。
やがて靴下だけの姿で亮介は職員室へ入った。
自分の座席に座ると、なぜか何人かの教師が笑って亮介の方を見ていた。
そして彼らは口々に言った。
「ウンコ、ウンコ、ウンコ」
それが何を意味しているか分からなかったが、亮介は何となく自分のことを言われているような気がした。
そして、同じ社会科の竹島が亮介の背中を叩いて言った。
「やあ、お早う、ウンコ!」
やはり亮介のことだった。
「俺はウンコじゃないよ、人間や!」
「おい、ウンコが一人前に人間の言葉喋ってる」
誰かが言った。細田もヘラヘラ笑っていた。これが「いじめ」であることを理解するのにしばらく時間を要した。
「おい、こいつの机の上にこんなものを見つけたぞ」
社会科の栗先が亮介の持っていた漫画本を手にして言った。山田花子の漫画であった。
「何何? ドド山ボロ彦やて。そうや、こいつの名前をこれからドド山ボロ彦としようや」
「ははは、そりゃ面白い、ねえ、ドド山君」
竹島が言った。
その後、二年生の授業へ行ったら、生徒会長が教えてくれた。
「先生、先生の靴箱から社会科の先生方が上靴を盗み出して、ゴミを詰めてましたよ。それから竹島先生が先生のことを『ドド山先生』と呼べとも言ってましたよ」
*
そして、この学校で亮介自身に不安が舞い込んできた。
先ず、社会科の教科会議に行けなくなった。教師達の話している内容も理解できないのだから仕方がない。
そして翌年、大変なことが起こった。
亮介の持ち時間が十八時間で、しかも火・水・木・金と四時間授業が続くような時間割になってしまったのだ。これは中学では普通の時間割であるが、高校では少し多い。そして亮介は「倒れてしまうのではないか」という不安に襲われるようになった。
こんなことでは普通なら倒れたりしない。しかも担任もなしである。忙しさから言ったら全然たいしたことではない。
しかし、これが不安障害という病気なのだ。しかもこの病気は誰にも理解できない。
「何を甘えたこと言ってるんだ?」でおしまいである。世の中には電車に乗れない人間や渡り廊下を歩けない人間がいるのだ。でも、「何を甘えているんだ?」でおしまいなのだ。
特に火曜日になると不安がやって来る。そこで医者は亮介の抗鬱剤にSSRIであるパキシルを追加し、不安になったら飲むように指示した。
「これで不安は消えるのか」そう思って亮介は薬袋を見た。そして中にあった注意書きを読んでみた。
「眠気がやってきたら中止して下さい。一日の飲む量は三錠までです」と書かれていた。
しかし亮介は毎日六錠を飲んだ。そうしないと、あの得体の知れない不安がやってくるのだ。
亮介は眠気をこらえながら授業に臨んだ。そして四月当初は何とか持ちこたえた。ただ、車で帰るので、運転は慎重になった。
それから、あまりの眠さのために、またしても保健室を利用するようになった。
そこで保健室の常連の生徒達とお友達になってしまった。
ある日のことである。女生徒が嬉々として保健室へ入ってきた。そして開口一番養護教諭に告げた。
「先生、生でやったら気持ちよかったよ」
亮介はベッドに寝ていて、その言葉に唖然としていたが、養護教諭は落ち着き払って言った。
「駄目よ、やる時にはきちんとゴムつけなくちゃ」
しばらくすると生徒は出て行った。
「先生、あんな指導でいいのですか?」
亮介が驚いて目を丸くして尋ねると、養護教諭は言った。
「私はいつも『やる時にはゴムをつけなさい』と言ってるだけですけど」
次に、左手にリスカの痕がある女子が入ってきた。
「先生、今度は太股切っちゃった」
「血はもう止まった?」
「うん」
「じゃあ、ちょと見せて」
「うん」
「ああ、これは深く切ってる。駄目よもう」
それが保健室の日常であり、養護教諭の日常でもあったのだ。私は彼女とも友達になった。
今度は痩せた女の子が入ってきた。拒食症だろう。泣きながら養護教諭に訴える。
「先生、私少しは痩せたかなあ?」
「少しじゃない。かなり痩せてるよ。ご飯は食べてるの?」
「食べるけどみんな吐いてしまうの」
「お医者さんには言ってるのよね」
「はい、何度も点滴で栄養をとりました」
「ふーん」
「先生、また来てもいいですか?」
「ああ、いいよ」
そうこうしているうちに、亮介は三ヶ月の間休むことになった。そして出てきてから時間割が変更になって四時間連続は回避された。
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