体罰・セクハラなんか当たり前

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体罰・セクハラなんか当たり前

(二)体罰は当たり前  浩二は「これが当たり前だ」とは思っていなかったが、とにかく授業はやりやすかった。騒ぐ生徒は一人もいない。授業は真剣に聴いてくれる。   確かに授業はやりやすい。しかし担任を持った教師は大変だ。この学校にあるブラック校則を完全に頭に入れなくてはならない。  入学式当日は諸書類を提出してから服装検査である。なぜか教師達は全員長さ三十センチほどのもの差しを持っている。先ずはスカートの丈と学生服の丈の検査である。男子は勿論全員坊主頭だが、それもチェックする。女子はポニーテールにする場合は必ず輪ゴムで止めることになっていたので、それ以外のもので頭を束ねていた場合は取り上げである。  教師達は一人一人チェックをした上で生徒達を順に帰していた。誰も文句は言わない。 それどころか、宿題を忘れた者には容赦なく教師がビンタをくらわしていく。  やがて担任教師が戻ってくる。頭を止めていた黒いバンドや没収したスカートやズボンを持って職員室に入ってくる。スカートやズボンを取り上げられた生徒は体操服で帰るのだ。そして「正しい」服装で学校へ来るまで登校禁止である。  そして入学もつかの間で、すぐに一年生の学習合宿が始まる。朝から晩まで英数国の勉強づけになるのだ。  学習合宿は、最初は神鍋山まで行って行っていたのだが、校舎の裏地に同窓会館ができると、そこで合宿をするようになった。朝昼夕食は「克己(国旗)弁当」を食べる。  「克己弁当」とはただの日の丸弁当のことだ。それにめざしが二匹ついていることが唯一の救いであった。  これが一週間続くのである。  そして学習合宿が終わると、普段の授業が始まる。  先述したが、授業はやりやすい。誰も騒いだりしない。どんな理不尽なことを教師から言われても生徒達は諾々と従っている。  そんな折、佐川君という気の弱い生徒がツウタックのズボンを穿いてきた。たまたま穿いていくズボンがなかったので、兄のズボンを借りたそうである。  しかし、学年主任は聞く耳を持っていなかった。職員室に佐川君を呼び出すと、いきなりビンタをくらわせた。ビンタは一回だけではなかった。右に左にビンタの雨を降らせたのである。  「わー、すみません、すみません」  佐川君は言ったが、ビンタは止みそうにない。そしてやっとビンタが終わってから、大変な事が判明した。  佐川君の鼓膜がビンタで破れていたのである。  今なら大問題になっているところだ。しかし、親が怒鳴り込んできたりすることはなかった。親も「この学校なら当たり前だ」と思っていたのであろう。職員室へ入ってきた母親の第一声が「息子が校則違反をしてしまい、どうもすみません」であった。  「(なるほど。ここでは体罰を平気でやる教師が『いい教師』なのだ)」  そんな折、浩二は靴箱で遅刻生徒を待ち構えていた。この学校では教師が順に遅刻生徒を捕らえて職員室前の廊下へ連行するのだ。  朝のチャイムが鳴った。これから来る生徒は遅刻者なのだ。  二、三人の男子生徒が靴箱にやって来る。  「おい」  浩二が叫ぶと共に生徒達は逃げ出して教室へ行ってしまった。  「しまった。しかしあいつらの顔は知っている。昼休みに呼びだそう」  そうして昼休みに浩二は三人の生徒を放送で呼んだ。三人はこそこそと職員室へ入ってきた。  「(ここで体罰をしなければならない)」  そう思った浩二はやってきた三人にいきなりビンタを喰らわせた。  「おまえら、何を怒られているか分かってるやろうが」  職員室内に響き渡るような大声で叫びながらビンタを喰らわせた。  間もなく、二年の学年主任がやってきた。  「村山先生、ここは私に任せて下さい」と学年主任は言った。  そして三人とも職員室前の廊下に一時間正座させられて説教である。  説教が終わった頃に浩二が様子を見にやってくると、学年主任は言った。  「村山先生、こんなアホな奴放っといて行こ」  三人は五時間目の授業を受けさせてもらえなかったようであった。  昭和が終わる少し前の話である。 (三)高等学校教職員組合  こんな学校にも組合は存在した。日教組(旧社会党系)ではない。高教組(共産党系)である。中には大学時代に活動をやっていて、後に高教組の委員長になった教師もいた。  当然、校長とは対立関係にあった。 浩二は共産党のことをあまりよく思ってなかった。しかし勧誘があまりにも激しかったので組合に入った。  組合では「勉強会」と称して飲み会がよく行われた。それに出席するためだったら定時の五時ではなく、四時に帰ってもよかった。浩二はなぜか組合の青年部長を任された。週に一回定例会がある。その時には堂々と四時に学校を出て定例会に行った。  そこで校長に目をつけられたのである。校長は言ったそうである。  「最初の年はとにかく教材研究に力を入れてと言ったのに、あいつは組合に入りやがった。それから親も採用された時に菓子折一つ持ってこなかった」  実は、浩二が採用されたのと同時期に採用された数学の教師の親は、きちんと校長に菓子折を持って行ったそうである。  ところで、この学校で浩二を採用した神村校長は組合にとっては「敵」そのものだったらしい。 *  翌年、浩二は二年生の副担任になった。生徒達は現代社会を教えていた生徒達であったのでやりやすかった。先輩教師も優しかった。特に社会科の小山は、浩二と同じ大学の出身だったので、よく話した。同じアパートに住む英語の村野ともよく話した。  そんな折、職員会議で問題が持ちあがった。「職員会議規定」についてのことであった。  今まで職員会議は職員の多数決で何でも決まっていたのだが、決議は校長に一任するというように県が方針を変えたのである。  喧喧顎顎の言い争いになった。  「校長先生はどの法律を基準にして、この規定を受け入れたのですか?」  「法律ではありません。教育委員会の申し出に沿ったまでです」  「どうしましょうか?決を取りましょうか?」  「決を取る必要なんかない。教育委員会が言ってきたことだ」  「教師は独立して仕事をしているのです。教育委員会が言ったからといって、どうして校長先生はそれに従ったのですか?」  「教育委員会の言うことに従うのが校長だ」  こうして、学校は職員会議規定を受け入れることになった。  そんな折である。浩二はとんでもないものを目撃する。  職員室に三名の女性徒が担任に呼び出されていた。担任は男性である。何か注意を受けているのであろう。三人ともかしこまって聞いていた。  「校則くらい守れないようでどうする?社会へ出たら困ることにあるぞ。ところで三人ともなぜ呼ばれたかわかるな?」  「はい、下着のことやと思っています」  「そうや。暑いから言うてなんで服の下に下着を着てないんや?」  そう言った途端に男性教師は夏用のセーラー服を一人づつまくり上げた。  「田崎に福田に安本、全員下着なし。校則違反やから今から家へ帰って下着をつけてこい。それから下の方は間違うことなく白やな?」  「はい」  「見せてもらってもええか?」  三人のうち、誰も反抗せずにスカートを少しまくり上げた。それを男性教師は凝視し、言った。  「よろしい、下の下着は合格。すぐに家へ帰れ」  「はい」  こうして三人は職員室を出ていった。今なら完全なセクハラである。しかし誰も敢えて異を唱える者はいなかった。  暑い夏の一日であった。 * ところで浩二の授業は上手くいっていたのであろうか?教師は授業で勝負するという言葉があるが、そこは知りたいところである。  実は、浩二の授業は「わかりやすい」と評判であった。しかし、生徒達は中学で校内暴力を経験している。そして彼らの記憶を呼び覚ましてしまったことがあった。  浩二はまだ若かったので、生徒とは「友達感覚」であった。幸い、この学校では生徒達は校内暴力の記憶は遙か彼方に飛んでしまっていた。  そしてある日、浩二の下に空手部を退部したいという一年生がやってきた。馬鹿面をしている。見るからに知性の欠けた生徒であった。  浩二は部活動に関しては、後に「去る者は追わず、来る者は拒まず」になるのでが、この馬鹿面生徒は、部活動をやめてしまうともっと馬鹿になるような気がした。  「何でやめるの?」  浩二は「友達」に尋ねた。  「勉強しないといけないから。先生って勉強できる奴には優しいから」  この馬鹿面は本当にそう思っているらしい。教師は勉強できる奴に優しいらしい。  「(この馬鹿面は本当にそんなこと考えていたのか?)」  浩二は呆れてしまった。結局彼はやめてしまった。  それから何週間か経過してからのことである。  このクラスの授業が騒がしくなってきた。勿論、浩二が後に配属される農業高校なんかに比べると、生徒が騒いだと言っても、それは微々たるものであった。しかし浩二は気になって仕方がなかった。  この馬鹿面君と、他二~三名の生徒が授業妨害とまではいかなくても、浩二が気になって授業に集中できなかった。頭に血が昇った浩二は正拳で彼の人中に突きを入れた。鼻血が出た。  「体罰や、体罰や」  彼の取り巻きが騒ぎ出した。  「何が体罰じゃ? 本当の体罰というものを見せてやる!」  そう言って今度は彼の取り巻き連中のところへ行って椅子をキックで倒した。馬鹿面君の友達は椅子から落っこちた。浩二はすぐさま彼の顔に蹴りを入れた。それも何度も何度も入れた。口から出血し始めた。  「先生、やめて下さい」  真面目な女生徒が叫んだ。しかし、そんなもの浩二には聞こえない。彼は続けざまに何発も蹴りを入れた。  「おい、この先公狂ってるぞ」  誰かが言った。  こうしてこの事件は問題になった。しかし浩二にお咎めはなかった。  その夜、浩二は親しくしている英語教師の中沢のアパートを訪れた。彼は英語の教師らしくスマートで学者肌であった。車もフォルクスワーゲンに乗っていた。  「お邪魔します。村山です」  「まあ、入って」  「では、入ります。あああ、体罰やってしもた」  浩二は恥ずかしげに頭をかきながら言った。それに対し、中沢は言った。  「村山先生、本気で生徒をどづいたやろ?」  「はい、本気です」  「あかんで。あいつらは中学で校内暴力を経験してるねんで。そんなもん、本気でどづきよったら、あいつらの記憶が蘇るで。あいつらに校内暴力の記憶を呼び覚ましたらあかんで」  そう言って説教された。  「(なるほど、厳しい校則はそのためにあるんだ。校内暴力の記憶を消して言うことをきかせるためのものなんだ)」  そう浩二は首肯した。 *  やがて六月近くなって、恒例の遠足が行われた。千人近くの生徒が体操服を着て歩いている姿は壮観であった。  一行は昼頃に山の公園に到着した。  最初に生徒指導部長の訓話があった。生徒指導部長は体育の教師であり、少林寺拳法三段の腕を持っていた。  その指導部長の話が佳境にさしかかった時、突然指導部長は講壇から下りて何を見つけたのか、一人の男子生徒の所へ近寄っていった。---と思いきや、いきなりその男子生徒にビンタを喰らわし始めた。  「お前は、チューインガム食うたらあかんって言うてたやろ!すぐに吐き出せ!そんなガムなんかどこにあったんや?」  そう言って何度も彼に往復ビンタを喰らわせた。生徒は「すみません」と言ってガムを吐き出した。  この「新入生歓迎遠足」に続いて、文化部発表会(文化祭。この学校では「祭り」と名をつけてはいけなかった)、球技大会、体育大会、マラソン大会と続いていき、そして翌年の三月を迎えた。  浩二はここで待ちに待った担任に任命された。  そして、その前に事件が起こった。神村校長が多くの教師に異動命令を出したのだ。そしてその中に組合の分会長の山崎先生がいた。  山崎先生は学生時代から民青の活動経験があり、後に兵庫県の高教組の委員長になった強者であった。彼は工業高校へ配置換えになったのだ。組合に対する校長の「見せしめ」だったのであろう。  組合は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。  浩二も組合員だったので、当時の組合員の「社交場」だった理科実験室へ行った。  見たこともない他校の教師が数名いた。「不当人事反対」のプラカードを持っていた。  「○○高校は大変なことになっているなあ」  「ああ、校長があの神村やからなあ」  「ところで、このビラ少しまずいで」  山崎先生が言った。浩二もビラを見たが、何がまずいのか分からなかった。そこで山崎は言った。  「『○○工業への不当人事』というのは駄目や。これでは普通科高校ならいいが、工業高校は駄目ということになってしまうやないか?」  「そうやなあ、書き直そう」  この時、浩二は思った。  「(組合というのはいいところやなあ。通勤できる距離やし、工業高校へ行かされただけでこんなに騒ぐんやからなあ)」  浩二はこの後、低辺校をたらい回しにされるが、既に組合を脱退していたので誰も何も言ってはくれなかった。  事件はもう一つ起こった。この少し前に高教組が違法ストを行ったのである。浩二は学年付きの副担任であったので、生徒とともに掃除を行っていた。そこへ組合員の教師が来て「ストやから行こう」と言ったのである。掃除は終わってなかった。  「いや、今掃除中なんです」  「そんなの放っといて行こう」  浩二が掃除の場を離れた。そこへ校内放送がかかった。神村校長の声である。  「二年六組はまだ掃除が終わってませんから戻って下さい」  浩二は組合の教師に言った。  「あんなこと言ってますよ。いいのですか?」  「ええんや!行こう」  その後、浩二は学年主任から油を絞られ、その直後に組合を脱退する。脱退の理由は掃除のことではない。ある反共団体に入ったからだ。この団体に入って浩二は考えを百八十度変えてしまったのだ。しかし、その時にはもう神村校長は退職していた。
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