校則に果敢に挑戦する住田先生と舞ちゃん

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校則に果敢に挑戦する住田先生と舞ちゃん

(六)住田先生  翌年、心の病で長期休職をしていた住田先生が復帰した。浩二はこの先生から様々なことを教わった。自称「右翼」であった浩二は、この先生のおかげでかなり左傾化し始めた。  そして事件は起こった。  住田先生は、この学校の生徒を真綿で締め付けるような校則に反対していた。  その頃、正座はなくなっていたが、遅刻者の指導は行われていた。  二、三人の教師が校門で待機していて、始業のチャイムが鳴ると、一斉に校門を閉めるのだ。そして、それよりも遅く来た生徒は会議室に入れられて自習をすることになっていた。  チャイムが鳴った。浩二が校門を閉めようとすると、住田先生は言った。  「あ! 閉めないで!」  そう言われたので浩二は何名かの遅刻者を通してしまった。  「どうしてこんな馬鹿なことをしないといけんのじゃ?」  住田先生は出身地の広島弁で言った。  また、住田先生は自転車の並進禁止にも疑問を持っていた。この先生も自転車通勤だったので、言いたいことがあったようである。  「自転車の並進くらい何だ。環境問題を考えると、教師が車に乗ってくる方が明らかに悪い」と言っていた。  そして、近くの高校で事件が起こった。校門圧死事件である。 その高校では、浩二の学校と同じようにチャイムが鳴ると校門を閉めていたのだ。そこへ遅刻をしそうになった女子高生がやってきて、教師が閉めた校門に頭を挟まれて死亡してしまったのだ。  職員会議が開かれた。 先ず、校長が発言した。  「○○高校で校門圧死事件がありましたので、先生方は注意して校門を閉めましょう。なお、遅刻者を減らすために今の方式を改めるつもりはありません」  即、住田先生が発言した。  「私は校門を閉めて、同じようなことが起こって刑務所へ行くのは嫌です。同じようなことがあったら校長先生が刑務所へ行ってくれますか?」  校長から即反応があった。  「住田先生、退場して下さい」  「何を言うんだ? 私は意見を述べたまでや。何で退場なんや?」  「校長命令です。退場!」  住田先生は一旦は退場したが、また戻ってきた。  「結局校門を閉めるのですか?」  「校長命令で閉めます」  「それなら、同じような事件が起こったら校長先生は刑務所へ行ってくれるのですね」  「君、退場を申し渡したはずですよ」  「何が退場や? 私の言ってることが間違っているかみんなに聞いてみろ。世間様に聞いてみろ」  「退場」校長が語気も荒く言った。  「馬鹿野郎」そう叫んで住田先生はもう一度退場した。  結局、校門は以前のように閉めることが決まった。 (七)舞ちゃん やがて浩二は二年生を受け持つことになった。  浩二が持ったクラスはBコース。Bコースと言っても何のことかは分からないが、この学校では理科系をAコース、国公立文系を目指すコースをBコース、私立の文系を目指すコースをCコースと呼んでいた。だからBコースは選抜されてきているいわば秀才の集まるクラスである。  そこに河口舞という女生徒がいた。  彼女は校則を破ったこともなく、真面目な生徒であり、また頑張り屋でもあった。そして浩二が顧問をしていた空手部の部員でもあった。  浩二はなぜかこの舞ちゃんと気が合って、よくお話をする関係であった。  浩二は大学の卒業論文で新興宗教の研究をするほど宗教や哲学に興味を示していた。そしてこの生徒は小学校の5年生から宗教遍歴をしたという変わり者であり、話せば話すほど楽しかった。  浩二は先ず学級通信を出して親に訴えた。  「二年からコース分けをするのは、既に二年生から進路を決め、受験に向かっている証拠です。一時も勉強から手を抜かないようにお子様に発破をかけてください」と書いた。  これに反論する保護者はいなかった。むしろ、「いい先生に当たった」と感じているといった反応が多かった。  この二年生が始まって、最初に問題になったのが、一部の生徒達が上靴のかかとを踏んだままにしているといった些末なことであった。  ある教師は、その靴の踵部分をハサミで切り裂いた。  こうして一学期は何の問題もなく過ぎ去っていった。  そして二学期が始まった。  浩二は英語の中沢と親しかったので、その助けを借りながら英語の補習を始めた。それもBコース限定の補習である。その上に世界史の論述問題の出る大学を目指す生徒のための補習や、英語長文の補習なんかもやった。  どの補修にも七人ほどの生徒が集まったが、全てに参加したのは舞ちゃんだけであった。  浩二は舞ちゃんをひいきし始めた。 例えば、乗り物酔いが酷いので修学旅行へ行けないと言った舞ちゃんのためにバスの前から三列めの席を用意し、酸素なんかも用意して万全の体勢で望んだ。修学旅行には何の問題もなく行けた。  やがて三学期になった。この学校では冬休み明けから寒中訓練といって、所謂マラソン大会が開かれる。その二週間前から、みんなでコースを走ることになっていた。それも授業の始まる前の早朝からだ。  浩二は女子を先導して走ることになった。若い教師なので仕方がない。  列を作って女生徒が走っていた。---と、その時、なぜか舞ちゃんが急に先頭に出てきて浩二を抜いていった。何も速く走る必要なんかないにも関わらずである。  浩二は舞ちゃんをぬき返した。そして舞ちゃんの走る前から声をかけた。  「舞ちゃん、頑張れ」  これは完全に「ひいき」である。  マラソン大会での舞ちゃんの結果はそんなによくなかったが、彼女がなぜ先頭を切って走ったのかは未だにわからない。  そして、それからしばらくしてから舞ちゃんがとんでもない行動に出たのだ。  いつも職員室に来ている舞ちゃんが職員室で浩二に手紙を手渡した。  「とうとうラブレターが来たか?」  そう思ったのが間違いだった。しかし、そこに書かれていた文章を読んで浩二は驚愕した。古今東西の哲学者の話、聖書の話、合気道の開祖植芝盛平の話が所狭しと書いてあり、最後に「先生はどう思いますか?」と書いてあった。  とてもじゃないが、高校二年生の少女が独力で書いたものではないだろうと浩二は考えた。浩二が大学時代に流行っていたインド哲学のバグワン=シュリ=ラジニーシのことや当時出たばかりのオウム神仙の会のことなども書かれていたのだ。  「何なんだ? この子は?」  それは浩二が「カラマーゾフの兄弟」の中でイワンが作った劇中劇である「大審問官」物語をホームルームでやってみた後に起こった。  「誰にも理解できないやろう」と思って書いたプリントであった。  「大審問官」とは、中世のセビリアの町に突然イエス=キリストが現れ、それを大審問官が捕らえる。そしてキリストが悪魔の誘惑を断ったことをなじり、キリストは一言も言葉を発せず、最後に顔色のあせた大審問官に接吻するという物語である。  悪魔の誘惑というのは三つある。  先ず、キリストは山へ退いて四十日四十夜断食をする。するとサタンが現れて「この石をパンに変えてみろ」と言う。  キリストは「人はパンのみで生きるのではない」と言ってこの誘惑を退ける。  次に悪魔はキリストを宮の頂上に立たせて「ここから飛んでみよ。神が支えるはずだ」と言う。  これに対してキリストは「神を試みてはいけないと書いてある」と言ってこれを退ける。 最後に悪魔はこの世の栄耀栄華を見せて「私にひれ伏して拝むならばこれらを全て与えよう」と言う。  これに対してキリストは「主なる神にのみ仕えよと書いてある」と言ってこれを退ける。  どうだろうか? もしもキリストがこの悪魔の要求を受け入れて、地上の王になり、人々にはパンを与え、病を癒やし(実際にキリストは病を癒やしていったが)、平和な王国が建設されていたかも知れない。  そう思った大審問官はキリストに、なぜこの誘惑を退けたのかとなじったのである。  全ての人々がたとえ不自由であっても、パンを与えられたら追随してくるであろう。しかし、キリストの考えた神の国はそんなものではなかった。自由意志で神の御心をくみ取ろうとしたわけである。  これが当時の浩二の思想の根本であった。この学校の校則や体罰には明らかに賛成していたが、実際には自由意志で行動する、しかもカントなんかが言う通り、それでも規範を逸脱しない人間観を持っていたのだ。  だから、舞ちゃんの手紙には書かれていた。  「先生はアンチクリストかと思ったら違うのですね。よかった。私はキリスト教会へ行っています。今ではキリスト教のプロテスタントが一番正しいという確信ができてきました。先生は何か信じるものがあるのですか? いつも空手の練習が終わった後で仏教の話をしてますが---。ところで、私は最近はインド哲学にはまっています。現在の量子力学では、宇宙があるから観察するのではなくて、観察するから宇宙があるらしいです。まさに唯識の世界です。それから合気道の植芝盛平は、なぜかあの有名なロゴ『May peace prevail on the earth』の五位昌久と一緒に写真に写っていました。それから無念無想って何も考えないことではなく、無を念じ、無を想うことですね。何か先生は新興宗教に入っているって誰かが言っていたんですけど、聖書や仏典のように何千年も続いているものの方が正しいと思います。この前も『あなたの幸せを祈らせて下さい』という人に会いました。私が好きなのはバグワン=シュリ=ラジニーシです。和尚の説法、特に『道(TAO)』なんかは読んでいて心が洗われるようでした。西洋哲学ではミッシェル=フーコーが好きです」  「この子、今までひいきしてきた子だけど、こんなこと考えていたのか?」 浩二は呆然自失してしまった。  そして二人はよく近くの喫茶店でお話をするようになった。因みに、この学校は喫茶店へ入ることも禁じられていた。   学校から一キロくらい西に行った所にお洒落な喫茶店がある。中は暗く、ステンドグラスから西日が差し込んでいた。そこが二人の密会の場となった。 *  それからしばらく経ってから舞ちゃんは、浩二が図書室に寄贈したカルト教団の本を全て持って職員室に現れた。  「え? これ全部読んだの? どう思った?」  舞ちゃんは笑いながら答えた。  「これが悪魔だったらどうしようと思った」  ところで、彼は何のカルトに入っていたのだろうか?  それはある女性が創唱した新興宗教で、キリスト教の教えを母体にしながらも、転生輪廻や宇宙人なんかが登場する奇異な信仰であった。  しかし、この「悪魔だったら」という言葉は浩二にはグッと胸にこたえた。  「その通りだ。もしも悪魔だったらどうしよう?」  そう。もしも浩二の信じているものが悪魔だったら地獄行き、正しいものだったとしても厳しい裁きがある。厳しい裁きというのは、この宗教独自の考えで「消滅」と呼ばれていた。この宗教を抜けたら魂を消されるのだ。どちらに転んでも大変なことになる。  浩二はこのジレンマに苦しみ始めた。 まるで難破船に一人だけ取り残されているような不安が浩二を襲った。実存の崖っぷちに立っていて、その崖が崩れそうになっていた。  浩二はノートに書き殴った。  「誰か助けて、誰か助けて」  そうして舞ちゃんは三年生になった。また浩二が担任になった。 (八)鬱病  それから舞ちゃんとの関係は、雪崩をうつように崩壊へと進んでいく。舞ちゃんは三年生になってから浩二を避け始めた。  そんな折、舞ちゃんが唇にリップを塗って登校した。  浩二は見て見ぬふりをした。しかし、校則の厳しいこの学校でそんなことが許されるわけがない。  ある日、浩二は舞ちゃんを生徒指導室へ呼び出した。  「舞ちゃん、リップ塗ってるね」  舞ちゃんは否定はしなかった。  「深谷先生が唇が乾く場合は塗ってもいいって言ってたもん」  「そうか、じゃあ、深谷先生に聞いておく」  そのタイミングで舞ちゃんは信じられないことを口にした。  「村山先生なんか大嫌い」  その後、舞ちゃんは学級日誌に文句をツラツラ書いてきた。  「先生のマルクス批判は中途半端です。それから先生の字は読めません。ペン字でも習ったらいかがですか?」  浩二はこの日誌を社会科の小山と英語科の中沢に見せた。彼らは浩二と舞ちゃんとの関係を知っていた。  先ずは小山先生が言った。  「これは明らかに嫌われているなあ」  それに対し、中沢は違う答えをした。  「関係を元に戻す方法がないわけやないけど---」  「どうするんですか?」  「でも、これは荒療治ですからねえ。教えようか」  藁をも掴む思いだった浩二は『その方法』を教えてくれるように懇願した。すると中沢は言った。  「一ヶ月間舞ちゃんを無視するんや。顔も見たらあかん。できますか?」  「できます」  本当ならこんなことできるわけがない。舞ちゃんの周りには別の生徒もいるのだ。  しかし浩二はそれを実行した。  舞ちゃんの態度は徐々に悪くなっていった。 先ずはマニキュアをして登校した。そのことを浩二は知らなかった。彼女の方を向いてはいけないという中沢の指示があったからだ。  放課後、中沢が浩二に言った。  「舞ちゃん、マニキュアをして登校してきたから叱っておいたよ」  「僕が叱らなくてもいいのですか?」  「あんたは一ヶ月間彼女を見られないから俺が代わりに叱っておいたんや」  そして舞ちゃんの態度は益々エスカレートしていった。今度は茶髪にして登校してきたのである。しかし浩二はそれを見ていなかった。  放課後、中沢が職員室の浩二の下へやってきた。  「あいつめ、今度は髪の毛や。いいわ、約束やから俺が叱ってやる」  その後、舞ちゃんは中沢にこっぴどく叱られたようであった。黒に染めてくるという約束をしたらしいが、その後本当に黒く染めたか否かは浩二は知らない。  「さて、今度はどんな方法でやってくるかなあ?」  中沢が言った。浩二は終始無言であった。  次に舞ちゃんは耳にピアスを空けて登校した。中沢は彼女を生徒指導室へ呼び出した。  生徒指導室へ入る前に中沢は舞ちゃんに言った。  「おい、河口、馬鹿」  「馬鹿じゃありません。人間です」  どこに怒りをぶつけたらいいのか分からなかったので、中沢のその言葉に対して怒りのありったけをぶつけたようだった。  当然、舞ちゃんは中沢からこっぴどく叱られたようであった。  しかし、舞ちゃんは態度を改めなかった。今度は短いスカートを穿いて登校してきたのである。  中沢の英語の時間、中沢は完全に立腹し、生徒達のいる前で舞ちゃんを叱った。  「おい、河口、そのスカートは何や? 家へ帰って出直してこい」  「その前にどうして短いスカートがいけないのか根拠を言って下さい。それから村山 先生が叱るのが普通じゃないですか?」  「村山先生はもうお前のことなんか無視やって言ってるぞ」  「嘘です」  「嘘と思うんやったら授業中に質問でもしてみたら? 無視されるのがおちやと思うけどなあ」  「どうしてそんなこと知ってるのですか?」  「そんなことってどんなことや?」  「村山先生が私を無視していることです」 「それはおまえ等の態度が悪いからやろう」  「私の態度は悪くありません」  「悪くない? ピアスしてきたりマニキュア塗ってきたりして、それでも悪くないんか?」 「悪いというのなら悪いという根拠を教えて下さい」  「お前が校則に違反ばかりするからや」  「じゃあ、その校則は何のためにあるんですか? 不条理です」  「何のためにある? おまえ等のためや。おまえ等を守るためや」  「個性を奪ってそれが教育なんですか?」  「情けないこと言うなよ。お前の個性というのは髪の毛か? スカートか? ピアスか? そんなものが個性か? そんなこと言うならもう帰れ。帰って着替えてきたら許したる」  「先生の許しをもらう必要なんかありません」  「それやったら担任の村山先生に許可をもらえ。そんで俺に言うたのと同じことを村山先生に言え!」  英語の次の次の時間は浩二の世界史の時間であった。浩二は中沢に言われた通りに舞ちゃんを無視し続けていた。彼女を一切見なかった。  教室に浩二が入るなり舞ちゃんが手を上げた。しかし浩二には分からない。教室内から生徒達の失笑が聞こえた。浩二は何が起こっているのか分からなかったが、これも無視した。  「先生」  その言葉を出す勇気は舞ちゃんにはなかった。案の定、浩二に無視されたまま授業は進んだ。 *  浩二のメンタルはグチャグチャになっていた。  「こんな校則があるからいかんのや! 一年生の男子は丸刈り、自転車の並進は禁止、勿論スカート丈やズボンまで規定がある。下着まで決まっている。一体この学校は何なんだ?」  その上、浩二は怖れていた。あのカルト宗教が正しいものなのか間違ったものなのか判断がつかずにいた。もしも正しければ、辞めたら消滅。すなわち魂を消される。もしも間違ったものなら地獄行きだ。  そしてその答えを出してくれるのは舞ちゃんだけだったのだ。  「誰か助けて! 誰か助けて! 助けて下さい! それから仕事が忙し過ぎます。まるでブラックです。もう嫌です。休ませて下さい」  そんなことを考えていた。  最終的には浩二はそのカルト宗教をやめてクリスチャンになって救い出されるのだが、当時はそんなことさえ頭をよぎらなかった。しかし、それを考えると、舞ちゃんは浩二を救い出してくれた「天使」であったのかも知れない。  事実、彼女とは十年後に再会し、わだかまりも取れ、今でも彼女のことを「カルトから救ってくれた天使だった」と思っている。しかし当時の浩二は完全に何かに取り憑かれてでもいるように助けを求めていた。  そして一ヶ月が経過した。浩二は渡り廊下で舞ちゃんに遭遇した。  彼女は「私は怒っている」という誰にでもわかる顔つきで浩二を見ようともしなかった。  一つの恋が終わった。  その後、浩二の通っていた空手道場の友人から心療内科を紹介された。浩二のアパートからさほど遠くはない所にその心療内科はあった。  中に五十代くらいの白衣を着た医者がいた。医者は浩二の話を聞いて静かに諭すように言った。  「学校を休んだらいかがですか? あなたは初期の鬱病です」  「ええ? でも休むって、そんなことできるのですか?」  「診断書があれば簡単にできます」  そう言って診断書を書いてくれた。  「鬱病により来年3月までの休養を要す」  そして浩二は学校を休み、舞ちゃん達の卒業を見ることもなく休職したのだ。
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