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第11話 二人だけの旅行が始まった!
あの暑い日が続いた夏をようやく忘れられる季節になった。今日は朝から清々しい秋晴れで、同窓会にはうってつけの日になっている。台風の接近を心配していたが、2日前に太平洋に逸れていた。
朝9時に新宿駅で待ち合わせることになっている。昨晩、菜々恵に電話を入れて、体調と落ち合う場所と時間の再確認をした。菜々恵が元気だったので、安心した。
時間の余裕を持って出かけたが、待ち合わせ場所には菜々恵が先に来ていた。僕を見つけると嬉しそうに手を振ってくれた。手には小さめのバッグを持っている。
僕はリュックにした。最近は通勤にも便利な別のリュックを使っている。これなら両手が空くし、菜々恵の荷物を持ってやれると思ったからだ。
リュックを見ている菜々恵にそう話すと「優しいのね」と嬉しそうに笑った。菜々恵はチケットをもう2人分買ってくれていた。
すぐに菜々恵のバッグを持ってロマンスカーに乗り込む。すぐに支払いをしようとしたが、あとでまとめてもらうと言うので、あとで清算してもらうことにした。
電車が動き出した。菜々恵は黙って窓の外を見ている。しばらくは街中と住宅街を走る。見慣れた風景が続く。僕は菜々恵の横顔をジッと見ている。あのころと同じだ。そう思ったとき、菜々恵が僕の方を見たので、目が合った。
「中学3年の時、あなたはいつも私の横顔を見ていたわよね」
ドキッとして僕は口ごもった。そのとおりだった。彼女はそのことを初めて口にした。そして今の僕の気持ちを見透かしたように話し続けた。
「私が振り向くとあなたはいつも目を逸らした」
「ああ、恥かしかったからね」
「私のことが好きだった?」
「好きとかじゃなくて、どちらかというとあこがれだった。僕はシャイでそのときどうして良いか分からなかった。男の子は奥手だからね」
「でも好意は持ってくれていたのでしょ。高校の文化祭にも来てくれた」
「好きだったから行ったのは間違いない。でもそれだけだった」
「それだけって」
「うまく説明ができないけど、それ以上でもなく、それ以下でもない」
「だから、あなたは今でも一人身なのね。分かるわ」
「あの時はそうだったんだ。でも今は少し違うと思っている」
「少しも変わっていないと思うけど」
菜々恵はそう言うとまた窓の外を見た。もう景色は田園風景に変わっていた。僕もつられて外を見ている。僕はこういうところがだめなのは分かっている。今、彼女の手を握ったらどうだろう。
そう思っていると、菜々恵が僕の膝の上の右手に左手を重ねてきた。気持ちを見透かされている? そう思ったら、僕の左手をその上に重ねていた。菜々恵が僕の方を見たのが分かった。僕は知らんぷりで外を見ている。
菜々恵は僕にこんなことができるのだと驚いたに違いない。この前、会って食事をしてカラオケをした時も彼女には少しも触れなかったからだ。
手に神経が集中している。沈黙の時間が過ぎてゆく。二人とも手はそのままにして動かさない。
車内販売が来たので、コーヒーを2杯注文した。その際に僕は手を離した。それから二人は何事もなかったようにコーヒーを飲んだ。
「少し眠りたいから肩を貸してくれる?」
菜々恵が僕に寄り掛かってきた。今度は肩か、悪くない。
「もう疲れたのか? いいよ」
菜々恵はしばらく頭を動かしていたが、動かなくなった。眠ったみたいだった。これで間が持つ。菜々恵が次々に仕掛けてくることにドギマギしなくてもいい。ホッとした。恋人と初めて旅行する時はこんな感じなのか、まあ悪くはない。
気が付くと僕も眠っていた。もう小田原を過ぎてあと2駅で終点、箱根湯本に到着するところだった。川沿いを走って駅に近づいた。
「到着するよ」
「もう着いたの?」
菜々恵が目を覚まして窓の外を見ている。ここで箱根登山鉄道に乗り換える。
狭い線路道を走っていく。ここは修学旅行と会社の同期会で2回ほど通った記憶がある。沿線は春が桜、6月頃はアジサイ、秋は紅葉で知られている。
秋に来たのは初めてだと思う。もう紅葉が始まっている。窓側の菜々恵はそれを目に焼きつけるかのようにじっと見つめている。
「紅葉が思っていた以上に綺麗ね」
「ああ、綺麗だね」
「散りゆくものは綺麗に見えるのね」
「植物は排泄器官がないから、落葉するのは植物がうんこしているのと同じだ。これが肥料にもなる」
「情緒のないことを良く言えるわ、せっかく綺麗だと思ってみているのに」
「御免、解説が科学的過ぎたかな」
「だから、お勉強ばかりしていた人はだめなのよ。折角の景色が台無しでしょ」
「春になればまた芽吹いて、生まれ変わるんだ。新緑も綺麗だよ」
「私もそうありたいわ」
彼女には僕とは違った景色が見えているのだろうか?
強羅で今度はケーブルカーに乗り換える。箱根は乗り物の連絡がスムースだ。早雲山ではロープウエイに乗り換える。
大涌谷で途中下車した。僕はここで降りたことがなかった。菜々恵も降りたことがないと言うので降りて見物することにした。時間は十分にある。
硫化水素の臭いか、鼻を突く匂いがする。長居は無用だが、菜々恵は見学通路をどんどん進んで行く。
「地獄ってこういう感じ?」
「行ったことがないから分からないけど、こんなだと想像されているから名付けられているのだろう」
「どうせ行くならやっぱり天国ね」
「そうだね。君は大丈夫だと思う」
「どうしてそう言えるの? 私のこと何も知らないくせに」
「長い付き合いだから何となく分かる」
「長い付き合いだったけど、ただ長いだけだったけど」
「そうだね。確かにそうかもしれない」
「私は例え短くても深い付き合いの方がずっと良いと思う」
「そういうふうになるのかはやはり成り行きなのかな」
「あなたらしいわね。そういう言い方」
「御免、また気に障った?」
「黒たまごを食べてみたい」
「後学のために食べてみよう」
すぐに僕は買いに行った。二人でベンチに座って食べた。菜々恵は満足したみたいだった。機嫌が直って良かった。
◆ ◆ ◆
湖尻に到着した。ホテルはここから歩いて数分の距離にある。12時を少し回ったところだった。湖畔にあるレストランで昼食を摂ることにした。客は多くない。窓際の席が空いている。
「疲れていない?」
「大丈夫です。お天気も良いし気分も最高」
「それを聞いて安心した」
菜々恵は湖面を眺めている。僕はその横顔を見ている。いつかの二人と同じだ。菜々恵が振り向いた。でも僕は目を背けずに彼女を見ている。目が合った。菜々恵は微笑んで話しかけてきた。
「サンドイッチでも食べようかしら」
「僕はハンバーガーでも食べよう。今日の夕食はどうなっているの?」
「ホテルのレストランのビュフェスタイルにしたわ」
「急に欠席者が出ても対応できるからね。名案だ」
注文の品が運ばれてきた。コーヒーを飲みながらゆっくり食べる。
「そういえば、高校の時、文化祭に呼んでくれたけど、ひょっとして呼んだのは僕だけだった?」
「そう、あなただけ呼びました。好きな人に来てほしかったから」
「やっぱり、もっと早く気が付くべきだった。僕は本当にこういうことに鈍くて、まあ、この歳になって少しは変わったかもしれないけど」
「私の方から招待したのはあなただけと言えばよかったけど、プライドが邪魔をしたのね。私の方から好きというのはおかしいでしょ。あなたから言ってほしかったから。でもずっと言ってもらえなかった」
「お見合いの相談を受けたときもそうなんだね。気が付かなくて御免、あとから気が付いて後悔した」
「今となってはほろ苦い思い出ね」
「時間はもう取り返せないか?」
「そうね」
菜々恵は湖面を見ながら寂しそうに言った。それから沈黙の時間が過ぎた。僕は菜々恵に何と言ってやればよいか分からなくなっていた。
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