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第20話 お見合いのあとで
部長のマンションを出ると僕は駅へ向かった。菜々恵は黙って僕の横を歩いている。
「駅前のコーヒーショップで話さないか?」
菜々恵は頷いた。店は混んでいなかった。奥の方に二人がけのテーブル席を見つけた。
「あそこに座ろう。席で待っていて、コーヒーでいいか? 僕が買ってゆくから」
菜々恵はテーブルの方へ歩いていった。マンションのリビングから僕は菜々恵の顔をしっかり見ていない。昔のシャイな自分が戻ってきている。これではいけない。彼女としっかり向き合わなければと思った。
「ご注文は?」
ぼんやり立っていた。聞かれてはっとした。しっかりしないと。
「コーヒーを、レギュラー2つ」
コーヒーを受け取ってトレイでそれを運ぶ。菜々恵は窓際に座っていた。その前に僕はトレイを置いて座った。菜々恵を正面から見た。
「今日は来てくれてありがとう。再会できてとても嬉しかった。もうどこへも行かないで僕と一緒にいてほしい。頼む」
菜々恵は黙ったままだ。でも僕を見つめていてくれた。目が潤んでいる。
「君からお別れのメールをもらってから、君のことを考えない日はなかった。元気でいるだろうかと。あれから5年も経っているのに、二人だけの同窓会の2日間を鮮やかに覚えている。たった2日間でも心の中にしっかり残っている。あのとき君は今を精一杯に生きていると言っていた。その精一杯生きた2日間のことが鮮やかに僕の心に残っているんだ」
「私もあの2日間のことを鮮明に覚えています。あなたの一言一句まで」
「君は先のことを心配して、僕の幸せを思って別れようとした。僕は例えこの先が短くても、一日一日を大切にして君と一緒に生きていきたい。そしてそれを思い出として心に刻んでおきたい。先のことなんか誰にも分からない。僕が突然事故死することだってありうる。僕にも腎機能に異常がある。急に腎不全になるかもしれない。自分のことばかり卑下して心配することなんか少しもない」
「そう言っていただけて、とても嬉しいです。私もあの時奥様が言われたように、後悔することのないように、一日一日を生きていきたいと思うようになりました」
「それじゃあ、僕と付き合ってくれるんだね。結婚を前提として。まあ、今日はお見合いだったから、当然のことだけど」
「はい、そこまでおっしゃっていただけるのであればお受けします」
「良かった」
菜々恵が笑った。でもまだ憂いが残っている笑顔だった。
「じゃあ、記念に君にプレゼントをしたい。指輪でもどうかな?」
「指輪って、婚約指輪? 随分せっかちですね」
「そう大袈裟に考えなくてもいい。ただ、付き合ってくれるのが嬉しくて、プレゼントしたいだけだから」
「せっかくだから、いただきます」
「じゃあ、これから渋谷にでも買いに行こう。まだ3時前だから。それとももう疲れた? それなら明日に日を新ためてもいいけど」
「今日でかまいません。私もせっかちですね。でも私には時間がないかもしれませんから」
二人は店を出て早速、駅から電車に乗り込んで渋谷に向かった。空いた席に菜々恵を座らせた。彼女を疲れさせたくない。僕はその前でつり革を持って彼女を見下ろしている。彼女は僕を見上げていて目が合っている。彼女の目が潤んで見える。
駅に着くとスクランブル交差点を目指して歩く。僕は菜々恵と手を繋いだ。柔らかい手だった。ベッドの中で握った感触を思い出した。
意外にも菜々恵は力を込めて僕の手を握ってきた。僕は菜々恵の顔を見た。菜々恵はいたずらっぽく笑った。その笑顔はシャイな僕を励ましてくれた。
「どんな指輪がいい。やっぱり最初は誕生石の指輪かな?」
「お任せします」
「誕生日はいつだったっけ?」
「7月13日です。誕生石はルビー」
「へー、ルビーか。それと僕より2か月も年上なんだね。僕は9月13日。だから僕は年上の君に気後れしていたんだ」
「今はもう違うと思います。私の方が気後れしていますし、私を完全にリードしてくれています」
「それならいいけど」
デパートに入って2、3か所見て回った。デザインもいろんなタイプがあるので目移りする。価格もピンキリだ。僕は菜々恵の気に入ったものを買ってあげようと思っている。
婚約指輪は給料3か月分だそうだが、僕の今の給料を考えると軽く100万円は超える。それも菜々恵のためならいいと思っている。
「価格は気にしなくていいから、気に入ったものを選んでくれれば僕は嬉しい」
「婚約指輪じゃないんでしょう。そんなに高価なものは必要ありません」
その言葉に少し気落ちした。婚約指輪のつもりだけど。
「これがいいかなあ」
菜々恵はプラチナ台に小粒のルビーが1列にちりばめられた可愛い指輪を選んだ。価格は考えていたよりもずっと安い。
「本当にそれでいいの。遠慮していない?」
「可愛くて好きなの、いつでもしていたいから」
それで購入を決めた。せっかくだからそのままここで嵌めて帰ることにした。菜々恵はその指輪を左手の薬指にゆっくりと嵌めて、その手を僕に見せて笑った。とても嬉しそうな笑顔だった。その笑顔を目に焼き付けておきたい。買ってあげてよかった。
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