序章 1.魔法学者のフィールドワーク

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「マザーエッグって、あの」 「そう、少し前にノイゼンの坑道で採掘された規格外の巨大オーバム……の、通称だな。一時、世界的なニュースになったものの、対となるスパーマトゾオンが見つからないうちに何故だか朽ちてしまったあれだ」  覚えている。当時、ノイゼンで採掘されたマザーエッグをアーサーレオ本国に護送したのは当然ながら王国騎士団だった。護送任務を希望する自由騎士が多く、その任務に参加することはできなかったのだが。 「似てるんだよな。オーバムの効果発現までのプロセスと、魔法学が謳っている魔法の仕組みは。オーバムは個体によって効果が固定されてはいるものの、その効果がエーギルの共振反応によって引き起こされるという点では魔法と同じだ」 「だから、マザーエッグなのか。まだ誰も手を付けていない、いや、付けられなかった巨大オーバムから、魔法学の知見を得ようっていうのか」 「まぁウェスタンヒッツの守り神様が実はマザーエッグなんじゃないか、っていうのはあくまでおれの予想だけどな。そうじゃないかもしれないし、調査交渉が上手くいくかも分からない」  でもさ、とケイクは続ける。  意志の強そうな瞳が、形のよい唇が、これ以上ないというほどの悦を滲ませこちらを覗き込んでくる。 「何故ノイゼンのマザーエッグは朽ちたのか。規格外の体積を持つオーバムも一般的なオーバムと構造は全く同じなのか、違うのか。対のスパーマトゾオンが見つかって、受精させたらなにが起こるのか。考えるだけでわくわくするだろ」  風がケイクとの間の吹き抜け、ほんの数秒だけ時間を攫っていった気がした。  狂気すら感じる熱に当てられ、尊敬と、嫉妬と、諦観が入り混じる。最後に口から漏れ出たのは苦笑だった。 「変わってないな」 「お互い様だろ」  おそらくはこちらの内心など知る由もなく、ケイクはすぐに顔を引っ込めた。恨みなどするはずもない。だが、ケイクの思考力、行動力、そしてあの表情が、自分に学問を諦めさせたのは確かだ。この仮説に至るまでにケイクはおそらく、いや、間違いなく魔法学とは全く関係のない文献を読み漁り、閃きと棄却を繰り返し、実地調査を行う価値ありと判断するために幾つもの裏付けを取っている。  背負ってきた荷物が肩に食い込むのか、ケイクは二、三歩先で身体を縦に揺すっていた。その後ろ姿が、学部生時代のフィールドワークで父親みたいな年齢の教授が見せた仕草と被る。おそらくは三十年後も、ケイクは同じように荷物を背負って世界を飛び回っているのだろう。  怪訝な顔をしてこちらを振り向くケイクに応じて、少しだけ足を速める。地表を埋めるように顔を出す木の根達を踏み越えて、スポットライトの奥を見る。ケイクが向かおうとしている羊歯の群生地は、まだ当分先まで続いていた。
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