第一部

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第一部

チクショウ、なんてこった。これじゃあオリビアの言った通りじゃないか。 「昔から兄貴の善意は必ず悪い方へ転がるんだから」 俺はバラバラになった豪華客船の残骸の上で寝そべりながら、太平洋のど真ん中にぷかぷかと浮いている。 海に投げ出されたせいで、全身ずぶ濡れで、ズボンがぴったり吸い付きやがって気持ちが悪い。 それでも、しばらく洗っていない雑巾のようなガシガシの髪の毛だけは、海水を弾いてまだ水分を含む余裕があるのが滑稽だ。 胸ポケットからタバコを取り出し中身を確認する。 「くそっ!やっぱり湿気ってやがる」 今どき氷山にぶつかるなんてことがあるのか!?なんて腑抜けた舵切りしやがるんだバカ野郎!船長連れてこい!!と言いたい所だが、その船長は船が沈む前のパニックに紛れて、1人で救命ボートに乗って逃げやがった。あんな奴に命を預けた俺たちがバカだったんだ。 「全長489メートル!世界最大の船の初出航に乗船できる皆さんは幸運の持ち主です!」 ダラダラと汗をかきながらキンキンする声で叫んでいた気持ち悪い広報の男も、その幸運の船と共に海底のオブジェとして暗闇に消えていった。おれの周りには客船に積まれていたあらゆるものが散乱して漂っていて、それは当然、土左衛門になった他の乗客たちも含めてだ。沈む前は、まさに阿鼻叫喚で賑やかこの上なかったのに、今はしんと静まり返って、波が揺れる音しか聞こえない。皆、黙って海に浮かんでいるが、おれ以外にちゃんと呼吸してそうな奴は今のところ見当たらない。オレが助かったのは奇跡としか言えない。 目を見開き、口をアングリと開けて無機質な物体になってしまった女を横に見ながら、すぐにオレもこうなるのだと素直に受け入れてしまいそうになる。 「キレイな顔してんのに。勿体ねぇなぁ。」 女の首元から手を入れて胸をまさぐる。 「冥土の土産だぁ」 上唇をべろんと舐めてやってから目とクチをソッと閉じてやる。 昨日、妹のオリビアに子供が産まれたらしい。 「兄貴がいない方が私たちは平和だから、顔は見せなくて良いわよ」 と電話口でぬかしやがったので、世界一の豪華客船で華々しく凱旋して、札束の祝儀を叩きつけてやるつもりだったのに、まさかこんな目に遭うとは。笑い話にもならんな。 ガラにもない事はやっぱりするもんじゃない。雑巾髪をガシガシと掻いてから、ガリガリと掻き上げる。 「アァー!アァー!アァー!!!」 突然のつんざく様な音に振り返ると、ガキが母親らしきやつの背中にしがみついて泣き叫んでいる。いくつだ?3.4歳ぐらいだろうか。母親は海に首をつっこんだままピクリともしない。 「うるせえ!!バカ野郎!!静かにしろ!!」 怒鳴って睨みつけてやったらビクついて一瞬泣き止んだが、今度はさらに狂ったように泣きはじめやがった。クソっ、だからガキは嫌いだ。泣けば誰かが助けてくれると思ってやがる。 自分にガキができたとしても、おれは絶対に認知はしない。金は好きなだけくれてやる。そのかわり自分の思い通りにならない生き物のオモリなんて真っ平ごめんだ。オレは一切口出ししねぇから、どうぞ母親のキミが好きに育ててくれたまえ。 「ママぁ!ママぁ!ママぁ!!」 「ママはもうお陀仏だ、諦めろ」 ボソッとつぶやいてから、残骸に顔を置いて眼を閉じる。頭がガンガンする。昨晩は船でドンチャン騒ぎして一睡もしていない。 そうして、意識が混濁していきそうなところで、ヒヤリと足が冷たさを感じて目が覚める。見ると、オレの乗っている船の胴体だかの残骸が、まさに沈もうとしていた。 「おい!おい!おい!待て!待て!待て!」 ざぶんっ‥ 「ぷはぁ!!チキショウ!」 ゆったりと立ち泳ぎをしながら周りを見渡す。はるか遠くのほうに赤い浮き輪が見えるが、あんなもんで救助を待ってたら凍死しちまう。 「ん?‥ウソだろ。ハハっ!ありゃすげぇや!」 浮き輪から少し右に目線を送った先に、なんと「部屋」がそっくりそのまま浮かんでいたのだ。船がバラバラになって沈む時に、たまたまあの一室だけキレイにくり抜かれて生き残ったらしい。もちろん壁や天井は崩れ落ちてありはしないが、その「部屋」の上には、ベッド、ソファ、バスルーム、トイレなどがキチンとあるべき場所に配置されたままで、驚くべきは、ウェルカムドリンクのワインとグラスも、まっすぐ机の上に鎮座しているのがハッキリと確認できた。 地獄で仏とはこのことか。嬉々として泳いで近づこうとするが、散らばった残骸や物言わぬ乗客たちが行く手を阻んで、なかなか進めない。イライラしながらジジイの顎を押しのけていると、先程の、母親の背中の上でグズグズ泣いていたガキが目に入る。 いやいや、なにを考えてる。ほっとけ、ほっとけ。ふざけるなよ。アイツを連れて行ってどうするってんだ。俺が毎日アイツのオシメを替えて乳首を吸わせてやるっていうのか?冗談も大概にしろよ。クソがっ、どうやらオレの思考回路は海に叩きつけられたショックで完全にイカレちまったらしい。 オレの意識とは関係無い所で、左腕が勝手にガキの首根っこをつかんで、問答無用で引っ張っていく。突然母親から切り離されたガキは、事態が呑み込めずに驚きで泣き止み、ただ目をまん丸にして、されるがままになっている。 「ママぁ!ママぁ!!」 ほら泣いた。めんどくせぇ。手を離してやれよ。母親と一緒に逝かせてやれよ。それがコイツにとっても本望だろうが。頭は何度もガキを否定し続けたが、結局おれの左腕はガキを離そうとしやがらなかった。 ようやくその「部屋」の前までたどり着いて、改めて下から眺めてみる。 船本体がバラバラになっていながら、まるで自分だけは何事も無かったかのようにぷかぷかと航海する、何号室かのこの「部屋」は、奇跡というより異様に感じた。 さっそく乗り込んでみると、上は意外と安定していたが、いつ沈んでしまうかはまったく予測できないので、気は抜けない。だが、 「いや〜!すげぇなこりゃ!スイートルームじゃねぇか?これ」 リビング、ダイニング、寝室、風呂にトイレにキッチンまでついてやがる。 太平洋のど真ん中で遭難している事をすっかり忘れて、思わずニヤニヤが止まらない。 「おい!」 ハウスキーパーが丁寧に整えた通りに、引き出しに納められていたタオルをガキの顔に投げつけてやる。 足元に落ちたタオルをぽかんと見ているガキ。 「なんか食うもんねぇかな、あとタバコだ」 備え付けの冷蔵庫を発見。 「やりぃ!」 ぱかっと開けると、ごろんと切断された生首が落ちてきて、足の甲に乗っかって止まった。じとりと首男と目が合う。 「驚かすんじゃねぇ!!」 蹴り上げた生首がぐるぐると回転して、海に落ちた。殺った野郎も、ほっときゃ海に放り出されて死んでたんだから、とんだ無駄骨だったな。 冷蔵庫の中には水のペットボトルが5本とトマトジュースが1本に、500のエビスビールが3缶入っていた。 「よっしゃあああ!!」 身体をくねらせて、いつぞやの旅で教わったお気に入りの民族舞踊を踊る。 ぷしゅう。ぷしゅう。ぷしゅう。 ふかふかのソファに座って、3本連続で飲み干す。 「かぁ〜!!最高だなこりゃ」 ガキがまたもポカンとした顔でこちらを見ているので、トマトジュースを転がしてやろうとしたところで溜め息を吐く。 プシュっと開けて、わざわざ目の前に運んで置いてやる。 それでもなおポカンとしている。 「どうした、トマトジュースは嫌いか?」 再び溜め息を吐いてからワイングラスに注いでやると、ぎこちなく両手でグラスを持ってゴクゴクと飲み始めた。と思ったらダバダバと吐きやがった。まるで血でも吐いたかのように真っ赤に染まった自分の上半身を見て、自分でケタケタ笑い始めやがった。 その笑顔があまりにも純真で、愛くるしくて、もしかして親ってのはガキに対してこういう気持ちなのか、なんていう反吐が出そうなことが頭をよぎる。まあいい、どうせ救助が来るまでだ。 ガキの前にしゃがんで目線を合わせる。 「いいか。一応、お前を助けたのはオレだから、救助が来るまでは面倒を見る責任ができちまった。帰ったらインタビューで、この人に助けてもらいましたってちゃんと言うんだぞ」 ニカっと白いすきっ歯を見せるガキ。 理解したのかしてないのか分からないが、とりあえず笑顔を見せてもいい相手だとは判断したようだ。 それから2週間、いまだに救助は来ない。 「いやいや〜!これ!これ!」 ガキがてけてけ走ってきてオレンジをひとつ渡してくれる。  「おっ!でかしたぞ!ディラン!んで、イ・ラ・イ・ジャな!イライジャ!」 ガキの名前は聞いても首をかしげるばかりだったので、おれが適当に付けた。 客船から散らばって漂っている食べ物が、オレらの「部屋」に流れ着いたのを拾うのがディランの仕事だ。 「落っこちないように気をつけろよ!」 「うん!」 しかし、見渡すかぎり、もう食えそうなものは全部オレが泳いで回収したので、今のオレンジが最後の食料かもしれない。 カーテンレールで作った釣り竿を垂らしながら、がさがさに伸びたアゴ髭をさする。未だにミジンコいっぴき引っかからない。 あぁ、ジェニファーちゃんのオッパイ吸いてぇなぁ。今、なにしてんのかなぁ。店の奥でオッパイの裏側でも洗ってんのかなぁ。 うつろな目をしながらマリアちゃんのお尻の感触を頭に描く。 机に並べて乾かしていたタバコをひとつ持ち上げて火をつける。 この「部屋」もあらかた漁ってみたが、出てきたのはゴミ箱の使用済みコンドーム3つとベッドの下に首のない胴体とバスルームで自ら頭を吹っ飛ばした女の死体だけだった。 相変わらずふかふかのソファに座りながら、ため息を吐く。 「さあ〜、どうすっかなぁ〜、素潜りでもすっか〜」 空を見上げて、思い切り伸びをする。 ぱちゃん。 魚が頭の上を飛んで行くのが見えて、水しぶきが数滴カオにかかる。 「はぁ?」 魚はそのままフローリングへ落っこちてきてビチビチ跳ねている。 いやいや、馬鹿だねぇ、自分から食べられにくるなんて。近付いていってギョっとする。 人面魚ってのはさすがに初めて見た。汚ねぇ男の顔が正面についている。しかも無表情でコッチに目線を合わせてきやがる。あきらかに「意識的に」コッチを見ている。ますます気持ち悪りぃ。 でもなぜだろう。無性に食いたい。特に腹が減ってるわけでもないのに。あいつのハラワタにかぶりつきたい衝動が湧き上がってくる。ああ、そうか。ニオイだ。さっきから漂ってる、この食欲を掻き立ててくるニオイはアイツから出てるんだ。チキショウ、食いたくねぇけど食いてぇなぁ。 と言いつつ、気が付けば両手で人面魚をつかんている。 かじりつこうと歯をウロコに当てた瞬間、人面魚がニヤリと笑うのが横目に見えた。 思いきり床に叩きつけて、唾を何度も吐く。 まだ生きている。口の中に残ったウロコの味によって、胃袋が次のひとくちを欲している。マジかよ。マジで食う?あれ。 ガブリ。 「ヒィイィぃぃ!!!」 かぶりついたと同時に、恍惚の表情を浮かべて絶叫する人面魚。美味い!美味い!美味い!あっという間に骨だけになった人面魚だが、表情はまさにエクスタシーのまま事切れていた。 もし毒があるなら、すでに何らかの異変が身体に起きていてもおかしくはないが、どうやら問題なさそうだ。 しかも適度にジュウシィでこれなら水分も程よく取れるだろう。 「ヒィイィぃぃ!!!」 それからは毎日のように人面魚が「部屋」に飛びこんできた。どうやら絶頂の叫びが仲間を呼ぶ効果もあるらしい。あそこは食べてもらえるぞ!という事か。人生の最後を快感で終われるとは、なんて幸せな奴らだ。まあ、こちらとしても有り難いが。 オレはもう慣れたが、ディランは叫び声にビビって食べようとしなかったので、いったん殺してから食べてみたら、糞を食っているのかと思うほど不味かった。美味くするには、他者が直にかぶりついて絶頂を与えないといけないらしい。 グイン、グイン、グイン!! 部屋にあった大型のテレビを改造して手動式にした。理由はもちろん、電気なんかねぇからだ。テレビ本体の横につけたクランクハンドルを回すと電源が入る仕組みだ。だいたい100回ぐらい回せば50分はそのまま見れる。とりあえずアダルト専門チャンネルだけ受信できるようにした。今のところそれさえ映れば充分だ。俺がせっせとマスをかいてる時も、ディランは横で一緒にテレビを見てる。別に性行為に対して興味がある年齢でもないだろうから、いつも男優がパンツを脱ぎ出したぐらいでコテンと寝てしまっている。 「おいちぃねぇ、いやいや〜」 「だなぁ。うめぇよな。」 トイレ横の崩れた箇所が、ちょうどオレら2人分がきちきちに座れるぐらいに崩れていて、そこで汚い海を眺めながらキモくて旨い魚を食うのが日課になっていた。 「ねぇねぇ、ママわぁ〜?ママにもコレあげる〜」 「ママはなぁ、、お前が今よりもっともっとデカくなって、さらにしぼんできた頃に会えるよ」 みるみるディランの顔がしわくちゃになっていく。 「わあああああああああ!!!!マァマアァアアアアアアア!!!!」 はぁ〜。 コイツの泣き声だけは一向に慣れない。不満を全て声にぶつけ、発狂するかのごとく泣き叫ぶ。かと思えば急にケロッと機嫌が直ったりする。オリビアのやつも毎日コレと戦ってるんだろうか。いや、もしかすると、自分が腹を痛めて産んだ子なら屁でもない事なのだろうか。 豪華客船が沈んでから、今日でぴったり1か月。さすがに救助はもう諦めた。しかし幸か不幸かここでの生活にもかなり馴染んできてしまった。もうこのままでも良いかと思ってしまいそうになる時さえある。 だんだんアンジェリーナちゃんの太ももの感触も薄れてきてる。ごめんよ、ローラちゃん。ああ、俺の帰りを今か今かと待っているサオリのすすり泣くあえぎ声が聞こえる。寂しさのあまり、オレに見立てた金棒を突っ込んで叫ぶララの魂のルフランが響き渡る。 すまない、みんな。こうしちゃいられない。おれにはまだやり残したことがある。手のひらで目を拭う。 「よし、ついてこいディラン」 イライジャはフローリングを引っぺがしたり、カーテンをひきちぎったり、叩いたり、くくったり、チンポジを直したりしながら、ものの15分ぐらいで即席のイカダを作ってしまった。目をキラキラさせながら作業を見ていたディランは大喜びでイカダの上を飛び跳ねた。 「い!か!だ!!い!か!だ!!」 「やめろ!やめろ!壊れちまうだろ!」 「いつしゅっぱちゅ!?きのう?きょう?」 「明日だな。明日の朝イチで出発だぜ!!」 「いえーーい!!!」 ハイタッチする2人。 次の日、朝目覚めるとダイニングのほうで、カチャカチャという音と、血の臭いがした。 横で寝ているはずのディランがいない。 飛び起きてダイニングへ向かうと、頭が魚で首から下が人の形をした半魚人が姿勢良く椅子に座り、テーブルの上に、水を吸ってブヨブヨに膨らんだ人間の死体を3人並べて、丁寧にナイフとフォークで切り分けながら食べていた。1人は見たことない太った女で、2人目は逃亡した船長、そして3人目はおそらくディランの母親だった。それをディランがテーブルの向かい側から、魂が抜けたような顔でポカンとクチを開けて見ていた。 ダイニングといっても壁や天井は無いにも関わらず、直ぐにでも嘔吐してしまいそうな生臭い、耐えがたい雰囲気がそこにだけ充満していた。 「ディラン、こっちへ来い」 半魚人からは一瞬たりとも目を逸らしてはいけない。アイツはヤバい。ぽかんと突っ立っていたディランの黒目がゆっくりとイライジャのほうへ動き、数秒遅れで首も動き出す。 走り寄ってきたディランを抱き上げると、呼吸を正しく出来ていないことに気が付いた。 「ディラン!ディラン!!」 背中を叩いて呼び戻そうとするが応答がない。半魚人はオレたちに見向きもせず落ち着いて食事を続けている。 「ニュビビビビィ。やはり腐るまで待っていた甲斐がありました。」 こぼれ落ちるほど飛び出だした目玉をギョロギョロと小刻みに動かし、後頭部まで裂けたクチをナプキンで念入りに拭う。 「カハァッ!ゴホッゴホッ‥」 なんとかディランが息を吹き返してくれた。「その子が見に来てから特別なスパイスをかけたように味が変化したのですが、やはり母親だったのですね。素晴らしい。そういったことは旨味が増しますので」 残飯をテーブルクロスで慎重に包む。 「残りは帰ってから頂きましょう」 ソレを床に下ろして、そのまま別の何かをテーブルの上に置いた。 「さて、ちょっと失礼しますよ」 その平べったい何かを、ぱかっと開き、ぬるぬるした両手の指で何やらカタカタやりだした。どうやらノートパソコンのようだ。 「ご心配には及びません。仕事自体は2分ほどで完了致しますので。そうしましたら間もなくお暇させて頂きます。思いついたらすぐにやらないと、忘れてしまってから後悔しても遅いもんですから」 ノートパソコンの外側には見たことのない貝類がびっしりと付いていて、各々にゅるにゅると舌を出したり、どろどろとした青い液体を吐き出したりしている。 「ええ、ええ。私は「炎上屋」というのをやっておりましてね、まあたまに依頼を受けてやる場合も有りますが、基本的にはまったくのわたくしの趣味でやっております」 「聞いてねぇよ。タバコ持ってんならそれだけ置いて、さっさと出て行け」 「ええ、ええ、ごもっともで御座います。この浮遊物は貴方がたのお住まいでございますものね。ただ、このような粗大ゴミには所有権なんて存在しませんよね。ニュビビビビィ!」 気色悪い笑い方をする奴だ。しかしまいったぜ。おそらくコイツと取っ組み合っても、まず勝てねぇだろうなぁ。次元がちがう。そんなことオレが思うのは、ホイコロ族の村長以来だなぁ、ったく。 「あとタバコは持っておりません、悪しからず」 おそろしい速度でタイピングする半魚人。 「それでは後悔しないように申し上げさせていただきますけども、「炎上屋」というからには、実はわたくし世の中のネットの炎上のなんと8割の発信元でございまして、」 得意そうに何度か自分でうなづく。 「最終的に自殺がゴールですが、社会的に抹殺できたり、地位を陥落させたりするだけでも充分に快感でございます。本当に僅かな事で簡単に崩れていきますけども、それはワタクシの罵詈雑言の精度も日々高上しているからでありまして、しかしながら、どれだけ重箱の隅をつつけるかという基本の所は変わらないという、なかなか繊細でありミステリアスなゲイムでございます」 「ふ〜ん、そうなの」 バンッ! イライジャの放った弾丸がこめかみを撃ち抜いて、そのまま椅子から転げ落ちる半魚人。 しかしすぐにテーブルをつかんでムクリと起き上がる。 「やはり後悔のないように申し上げておきますけども、わたくしは物理的な事象で死ぬことはごさいませんので。おっ。」 嫌な笑みを浮かべ、くるりとノートパソコンを回転させて、画面をイライジャに見やすいように調整する。 トップニュースの1番目と2番目、赤色で速報の文字が点滅している。 "アメリカ初の20歳で大統領に就任したハウザー氏が不倫を暴かれ追及を苦に自殺" "ぱぴぷぺぽ少女隊の人気No. 1、ベジ凛子さんが、イジメの加害者であった事を叩かれて自殺" 「本日、2枚抜きでございます」 ニンマリと笑う。 バンッ!バンッ!バンッ!バンッ!バンッ! 弾丸によってノートパソコンが踊りながら床へ落下する。 カチッ、カチッ、、 「タマ切れか‥」 ゆっくりとノートパソコンを拾い上げる半魚人。 「ええ、ええ、コレも私のかけがえのない、言うなれば身体のイチブでございますから、もちろん傷など付こうハズがありません。そう、そう、後悔のないように教えて差し上げますと、貴方がたはいま、ある「特別な海域」にいらっしゃいます。普通には入る事は叶いません。この海域のある種の引力に偶然引き寄せられたモノだけが入る事が出来るわけでございますが、お察しの通り出口はございません。一度入ればそれっきりでございます。ですからアナタが昨日こさえていらしたイカダなるものは、残念ながら、元の海域へ戻るという一点においては、何の意味も成さないのであります」 「オレは自分の眼で見たものしか信用しねぇのよ。脱いだら意外とボインってのはよくあることだぜ?」 「ニュビビビビィ!これは失礼致しました」 残飯を丸めたテーブルクロスを脇に抱え、ノートパソコンをどことなく仕舞う。 「ではこれにて、と言いたいところでございますが、後悔しないように最後にひとつ。母親を目の前で食された事によって生まれた感情から分泌される多種多様な成分により、どのような味の変化を幼児にもたらすのか、興味が尽きないわけでありまして、片腕だけでも頂いてもよろしいでしょうか?よろしいですね?」 「冗談で聞き流してやるのは一度だけだ」 凄まじいイライジャのオーラに圧倒されたのか、はたまたただの気まぐれか、半魚人は不気味な雰囲気と気持ち悪い笑い声を残して、ぬるっと海中へ入って消えた。 ぐずぐずしてられねぇなぁ。まったく。 「ディラン!荷物積めるだけ積んで、すぐに出発するぞ。いけるか?」 うつむきながら小さく頷く頭を片手でワシャリと撫でてやる。 それから数分後のちに出港。波は比較的穏やかで、イライジャがイカダの底部に取り付けた手動式のスクリューも機嫌良く回転し、グイグイと速度を上げて、あっという間に数百キロは進んだと思われる。手持ちのコンパスはぐるぐると高速回転を続けていた為、使い物にならなかったが、イライジャにとっては太陽の位置と風の向きさえ分かれば、陸の上のブロンド美女の位置を掴まえる事は容易い事だった。 そうして徐々に美女の脇汗の香りが濃くなり始めてきた頃、突然、2人の目の前に巨大なタコが現れた。そのタコは数ヶ月前にサウジアラビアで見た、高さ600mのアブラージュ・テル・ドンザ・タワーより、はるかに高いと思われて、しかもその全身がカラフルな虹色に輝いており、その色の場所も一定ではなく、赤から青へ、青から緑へと次々に移り変わっていく様は圧巻で、しばらく見とれてしまうほどであった。 「ワレハ、コノ、カイイキノ、ヌシナリ」 腹の底に響くような重厚な声だ。 「コノママ、マッスグ、ススメバ、コノカイイキ、ユイイツノ、デグチ二、タドリツクダロウ、マコトニ、ミゴトナリ」 「そりゃどうも。じゃあ先を急ぐんで、そこどいてくれねぇか」 「イチド、マヨイコンダ、ヨソモノハ、ココデ、ショウガイヲ、オエル」 「お前らのルールなんか、オレらにゃどうだっていいんだよ。いいからソコどけ馬鹿やろう!美女のパイオツが呼んでんだからよ!」 「ジョウジンナラバ、ミッカトモタズ、シヌトコロヲ、ニカゲツモイキヌイタ、トクベツニ、ワレミズカラ、マッショウ、シテシンゼヨウ」 大ダコの両眼が妖しく光る。 気付くと、木や金属で作られているイカダがまるで蒸発するように、端から順に消えていく。いとも簡単に、そして容赦なく。 恐怖で固まっているディランは、その齢にして、自分の死を確信していた。 「待て!賭けをしよう!!」 「‥カケ‥」 蒸発の速度が若干遅くなる。 「そうだ!もしオレがお前の力に耐える事ができたら、オレたちを見逃してくれ!」 「‥オモシロイ‥ヤッテミルガイイ」 再び両眼が妖しく光る。 精神を統一し、全身に気を張り巡らせ、血液を沸騰させて筋力を倍増し、猛然たる佇まいで防御一点に絞って身構えるイライジャの身体が、やはり情け容赦なく、他愛も無く蒸発していく。 爪先、膝、太腿、指先、両腕、頭、首‥‥ 「いやいやああああああああっ!!!!」 ボトリ‥。 ディランの足元にイライジャのペニスだけが落ちてきた。 「フ、フハハハハハハハハ!!‥イイダロウ、スキニ、イキルガイイ」 弾けるように消えたカラフルな大ダコ。 ディランは大海原にひとり残されてしまった。
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