ささやかな幸せの未来

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「ばあちゃん!」 「亜美!」  ようやく肉親と会えた感動で、私達は抱き合って泣いた。 「津波だって聞いて、お隣の川原さんが心配して見に来てくれてね。川原さんの車に乗せて貰って、一緒に富葉小学校まで逃げたんだよ」  祖母は涙ながらにそう語った。そこからは私と同じで、今朝になって急に浪内村への避難を命じられたらしい。 「家は?」 「わからない。よそよりは少し高い所に建っているから、どうだか。でも、こうして生きていただけでもありがたいよ」  まだ安否確認ができていない人もいる、と祖母の口から出て来る近所の人の名前は、私にも聞き覚えがあった。地震の時、家の中にいたはずにも関わらず、家ごと流されてしまった可能性のある人もいるのだという。  本当に祖母の言う通りだと思った。  津波で家が流されたかもしれないと聞いた時には、お気に入りのアーティストのCDや、わざわざ仙台に出掛けた時に買った大事な服が頭を過ぎったけれど、そんなもの惜しくもなんともない。  命さえ助かるのならば、他に何を失ってもいいとすら思えた。  お父さんは消防団の一員として、被災者の救助や避難誘導に当たっているらしい。直接会ったわけではないが、祖母が知人から人づてに聞いたという。  この時点で、全く消息が掴めないのは、お母さんだけになった。 「多分、向こうで避難してるんじゃないかと思うんだけど」  安心させるように祖母は言ったけど、その表情は冴えなかった。  お母さんは昨日も、隣町のスーパーでのパートに出かけて行った。十五時までが勤務時間だから、地震の時間も職場にいたのは間違いない。  問題となるのはその後の消息だ。あちらの町の避難所や職場にでもいてくれればいいが。  津波警報を耳にした瞬間、お母さんもまた、家に一人残した祖母の事を真っ先に思い浮かべたはずだった。もし万が一、自宅へ向けて車を走らせていたとしたら……悪い想像がぐるぐると頭の中を駆け巡る。  きっと渋滞に嵌まっているだけだろう。いずれこの場所にやってくるはずだ。  祈るような気持ちで、その晩私は祖母と再会できた喜びから、初めて眠りにつく事ができた。  しかし、待てど暮らせど母は姿を見せず、連絡もつかないまま……合流したお父さんとともに、私と祖母が浪内村の避難所から再び西の大きな町へと避難するように求められたのは、そのさらに三日後――三月十六日の事だった。
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