ささやかな幸せの未来

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 それから間もなく、私は進学のため都内へと引っ越した。通帳や印鑑やその他諸々の荷物を自宅に取りに戻る事すらままならない中で、お父さんはかなり苦心したようだったけれど、親戚の力を借りたりしながらなんとか引っ越しや入学の準備を進めてくれた。  福島県内はまだまだ放射線量が高かったし、風評被害や将来への影響を懸念した父は、私を早く県外へと出したがった。一度はお父さんや祖母も一緒に行く案も浮上したけれど、これ以上遠くへは行きたくないという祖母を置き去りにもできず、最終的に私一人で行く事になった。  その後、風の噂でどうやら私の家は津波に流されずに済んだと聞き、一時帰宅が出来るようになると、お父さんは一度だけ家へ戻った。でも必要な物を幾つか持ち帰った後は、二度と帰ろうとはしなかった。家の中にまで草が生え、野生動物が荒らしたような跡もあり、割れた窓や壊れた壁から雨風も吹き込んだせいで、もう到底住めるような有様ではないらしい。  お父さんと祖母は新しく出来た仮設住宅に移り、地域住民との軋轢や、電力会社や国を相手取った賠償問題などに擦り切れるような生活を送っていたけれど、二年もしないうちに失意の中で祖母は亡くなった。  亜美の振り袖姿が見れないのが残念だ。  せめて普通の成人式をやらせてあげたかった。  原発が憎い、憎いとうわ言のように繰り返しながら、故郷から遠く離れた病院で、祖母は静かに息を引き取った。  一人になったお父さんはまた県内の別の町にアパートを借り、現在は一人で暮らしている。元々富葉で勤めていた会社が、その町で新たに事業所を立ち上げたらしい。心配だったけれど、それなりに一人暮らしを満喫しているようだ。  部屋の仏壇から、まだお墓に入れてもらえない祖母とお母さんの二人分のお骨が見守っているだろうから、きっと大丈夫なんだろう。
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