大衆演劇というもの

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「今日はえらく気合が入ってるよ、峰山のやつ」  花房が楽屋に戻ってきた保にそう囁く。黒々としたカツラをかぶって、男物の着物を着て準備万端といった顔をしている。三十手前の花房らしいが、その顔や体に歳を感じさせない。  体調を崩していたお手伝いさんが回復したというのもあり、手慣れていない保よりも迅速な行動ができる彼女に今日は着付けをしてもらうと聞いていたので、峰山とは朝の一件以来顔を合わせていなかった。期待のかかる大舞台の邪魔はしたくないので楽屋の片隅でひっそり空気を殺していると、どたどたとこちらに向かって歩いてくる音が幕の下りた舞台から聞こえてきた。 「保! ちょっと来て」  血相を変えた峰山がらしくもない歩き方でやってくる。緊急事態を察知してすぐにそばに駆け寄った。 「これ、ちょっとほつれてないか?」  そう峰山が指し示したのは帯の結びの部分だった。言われてみれば布が皺々になってしまっている。 「ちょっとうまく隠してくれないか? このままじゃ笑われちまう」  お手伝いさんは他の役者の着付けにでも追われているのかそばに姿が見えない。観客がざわざわとざわめき出している。開演五分前なのだからそれも仕方ないだろう。こんなに焦っている峰山を見るのは初めてで、少し驚く。こんなやつでも慌てふためくんだな。そう思いながら帯を正していると、男化粧のいつもとは薄い化粧に目がいった。白粉をはたいているが、目筆も僅かで口紅もほんのり桃色なだけだ。素顔に近い姿になぜかほっとする自分がいた。
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