大衆演劇というもの

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「ふぅ。男言葉も慣れてないと疲れるな」 「桜餅、あれ本物か?」  舞台の隅に転がった桜餅が気になりそう聞くと、ぷっと峰山は飲んでいた水を吹き出しそうになった。 「俺の心配じゃなく、餅の心配をするのか。おまえは」 「だって造りものじゃないんだろう?」  保は食べ物を粗末にすることに非常に敏感な性格だった。昔から米粒ひとつ残すなとオーナーから厳しく指導されてきたからだろう。食べ物を床に転がすなど、見ているだけではらはらとしてしまうのだ。 「大丈夫。遠目でわからないように薄いラップでくるんである」  それを聞いて一安心していると、ふっと峰山が小さく笑った。黒い着物に身を包み両腕を組むその姿にしばし目を奪われる。ブーっとブザーの音が鳴り響いて、ゆっくりと幕が上がっていく。 「ここからが見どころだぞ」  峰山は機嫌が良さそうに舞台袖に向かう。その姿に緊張した様子はない。さすが役者だと保は思った。反対側の舞台袖から花房が出てくる。凛とした顔で背筋をすっと伸ばしてまばゆい照明の中に消えた。 「死ぬなよ。おまえにはまだ見せたい景色が山ほどあるんだ。故郷の河も山も、海も。おまえにだけ見せてやるつもりだったんだ」 「そんなの俺が死んだ後に嫁さんにでも見せてやればいい。俺が死ねばおまえと別れられるんだ。一石二鳥じゃないか」  床の中で息も絶え絶えに乙一が言う。そのしゃがれた声が重吾をさらに悲しませる。悲痛な面持ちで重吾は乙一の手を取った。恭しくその指先に口付ける。 「おまえじゃないと嫌なんだ。嫁なんてもらわない。もし、おまえが死んだとしても一生独り身でいてやる。だから安心して眠れ」 「頭の悪い男だな。そんなことを聞かされたらうかうか寝られもしない」  ごほっと咳をする乙一の肩を重吾が支える。
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