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「旅館で働き続けるかな。仕事はわりと好きだし」
その言葉に嘘はない。ただもやもやとした何かが胸を覆う。
「そうなんだね。てっきり、都会に出て行って出世してやるって言うのかと思った」
大輝くんみたいに、と彼女は付け加える。
「俺とあいつは違うタイプだから」
「保くんは受け身のタイプだもんね」
少し棘のある言葉に足が止まる。彼女もゆっくりと足を止めた。
「大輝くんは自分から行こうってタイプだけど、保くんは違う。待つのが癖になってるタイプ」
くるりと振り返った愛理さんのワンピースの裾が揺れる。秋の風が頬を撫でた。
「あんまり待ちぼうけしてると、置いてかれちゃうよ」
愛理さんの瞳はまっすぐ俺を見ていた。何気ない言葉の奥に、真理をつくようなものを感じて静かに頷いた。まさか初対面でここまで自分のことを的確に言葉にする人に出会うとは。合コンも悪くなかったかもしれないと思っていると、彼女がスマホを取り出す。
「連絡先教えてよ。保くんとはいい友達になれそうな気がする」
「……俺も愛理さんになら連絡先教えてもいいよ」
恋人にはなることもないとわかりきっている壁がそこにはあった。本来であれば少し物悲しく思うそれも、今の保には心地よくてスマホを傾ける。お互いの連絡先を交換して、駅の改札で別れた。
「今度、今日より美味しいパンケーキ屋さんに連れてってあげる」
黒い澄み切った瞳と目があって、軽く笑った。
「頼むよ」
地元の駅についてから、都会よりも広く見える空に向かってふうっと深呼吸をする。緑と土の匂いが香る空気をめいっぱい吸い込んで噛み締める。ここが俺の住む町だと。そう信じ込むようにして。
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