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偽り
全身の痛みと心地の悪さで目が覚めた。
床で寝ていたからだ。
ふと時計を見ると夕方の六時だったが、母はまだ帰ってきていないみたいだ。
カレンダーを見ると今日は金曜日。らしい。
たぶん今日も『お泊まり』だろうな。
一階に降り、冷蔵庫を覗くと何も入っていない。
母親のくせに。
湧いてきたのは食欲ではなく怒りだった。
と同時に、彼女なんかにまだ期待を抱いていた自分の愚かさに気付かされる。
なんだか無性にむしゃくしゃして、テーブルに飾ってある腐敗臭のする花を花瓶ごと床に叩きつけた。
花瓶は予想以上に大きな音を立てて割れ、破片が床に飛び散る。
その隙間を異臭のする水が流れ出て、瞬く間に広がった。
手入れもされずに腐ってしまい、無惨に散らばった花たちが、今の自分と重なった。
「かわいそう・・・」
破片に手を伸ばす。
「・・・っ!!」
痛覚が正常に働き、私は我に返った。
みるみるうちに指から溢れ出す真っ赤な血液が、ぽつりぽつり床へと落ちていく。
その時、玄関のドアが開く音がした。
足音がこちらに近付いてきたかと思うと、ドサッと鈍い音がした。
振り返ると買い物袋を床に落とした母が、呆然と突っ立っていた。
「きょ、今日は泊まりじゃなかったんだね」
母は黙っている。
「か、花瓶を落としちゃって、はは、破片を拾おうとしたら怪我しちゃった」
「・・・そうだったの。大丈夫?もうほんと危なっかしいんだから~」
口元だけで笑った母は、すぐに目線を反らし雑巾を取りに行った。
彼女は気付いている。私がほんとはわざとやったってことを。だけど、私たちは何も気づいていないよう振る舞うことで、「うちは何の問題もない」というのが暗黙のルールとなっていた。
ここは空気が薄く、生きづらい。
私は怪我をした自分の指に適当な措置を施し、母が散らばった破片や花を処理している隙に、ふらっと外へ出た。
ちゃんとした空気を吸いたくなった。
特に行く宛もなくぼーっと歩いていると、街中まで来てしまった。
そこで私は見たことのある顔を見つけた。
それは同じクラスで果南子とも仲のいい園田結乃だった。
胸元の深く開いたタイトなロングワンピースは、スリットが膝上まで入っており、十センチはあるであろうピンヒールのパンプスを履いていた。
学校で見る活発なイメージとは違って妙に色気のある雰囲気を纏っていたので、最初は人違いかと思った。だが、印象的な目元のホクロから彼女で間違いないだろう。
こんな時間に、こんなところで何をしてるんだろう。
時計を確認している様子から、誰かを待っているようだった。
そういえば最近、結乃が大学生と付き合っているという情報を、果南子から聞いたのを思い出した。相手は読者モデルをやっているイケメンらしい。
イケメンと付き合うと大変だな。
ぼんやりそんなことを考えて、その場を去ろうとしたその時。
「ごめん、遅くなった!アイナちゃんだよね?」
結乃の前に中年の男性が現れた。
「うん、そぉだよ!」
結乃は軽い足取りでその中年男性の隣に回り、腕を組んだ。
愛嬌溢れるその八重歯と、鼻にかかった高い声。やっぱりどう見ても園田結乃だった。
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