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痣
かくれ家に到着したのは、夜の七時を回ったところだった。店内には私たちの他に、前回と同じお客がいた。
アイザワはもう席に着いており、前回と同様、眼帯とマスクで覆われた顔に、相変わらずフワフワしたボリュームのある服を纏っていた。
お待たせ!という手を挙げる動作と共に、私のお腹がぐるっと鳴った。
「ふふ、何も食べてないみたいね。『タテイシ』さん、さくらさんにオムライスお願い」
私が何か言おうとすると、
「いいから、一度食べてみて。ここのオムライス、絶品なのよ」
とアイザワは右目を細めた。
それから少しだけ沈黙が流れ、私は耐えきれず口を開き、二十分前の出来事を話した。果南子との電話のことだ。いつもより言葉に詰まったせいで、かなり聞き辛かったかもしれない。しかし、アイザワは言葉を挟むことなく、最後まで私の声を聞いてくれていた。
そしてフーッと息を長めに吐き、一言こう放った。
「事情」
あまり理解が出来ていない私を察したのか、アイザワはスマホを取り出し何かを検索して、その画面を見せた。
『レンタル男子』と書かれたゲイ向けのホームページだった。
「世の中には、見えてるもの以上に、色んなことが隠れているの。」
あの日見た、中谷くんの眼差しに影が差していた理由が、なんとなくわかった気がした。
だけど、なぜわざわざ同性を対象にした求人に。
と思ったが、そこには触れないことにした。そちらの方が給料がいいのかもしれないし、本当に同性愛者なのかもしれない。色々理由はあるんだろう。
会話の流れを聞いて、運ぶタイミングを見計らっていたかように、
「はい、お待たせしましたご主人様~!」
と、タテイシさんがオムライスを運んできた。タテイシさんは両手首に、メイド服とは不釣り合いなスポーツ用のリストバンドをしていた。
メイド喫茶のオムライスと言えば、ケチャップで何か好きなものを描いてくれるイメージだったが、目の前に現れたのはどこにでもあるごく一般的なオムライスだった。
「意外でしょ。写真映えはしないけど、ほんとに美味しいのよ」
私は促されるまま、オムライスにスプーンを刺し、口に運んだ。
「ほんとだ。ほんとに美味しい!」
言葉がスムーズに溢れた。
不思議だ。なぜ、まだ二回しか会ったことがない彼女のことを、心も身体も信用しきっているのだろう。
もっと彼女のことが知りたい。
私は思いきって提案してみた。
「あ、あのさ!私たち、こ、今度学校で会ってみない?」
その時、アイザワの顔が一瞬曇ったのを私は見逃さなかった。
そして、わざとらしい笑みを浮かべた。
「あの学校、化粧NGじゃない。私自分のすっぴんあまり好きじゃなくて、ごめんなさいね」
やんわり断られたなと思った。
だけど、ここでそっかと引き下がると、彼女との距離はずっとこのままなんじゃないかという気がした。そんなの嫌だ。少しでも、あと少しだけでも。
「じゃ、じゃあさ!すっぴんが嫌なら、眼帯を取った姿が見てみたい」
アイザワは、軽くため息をついたあと、一瞬躊躇ったようにも見えたが、じゃあ、とその場で眼帯に手をかけた。
サイドで結ばれたレースのリボンがほどかれる。
思わず唾を飲む。
露になった彼女の左瞼は赤黒く変色しており、大きく腫れ上がっていた。
「・・・驚いたでしょ。ここで見たものは全部秘密」
アイザワは静かに眼帯を結び直した。
「ごめん」と謝れば良かった。
それで終わらせておけば良かった。
だけど、放っておけなかった。実は彼女は居場所を見つけてないのかも知れない、なんて。
私に何かが出来るなんて思ってない。
ただ。
私はアイザワのひんやり冷えた手を、強く握った。
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