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現と夢
「ただいま。」
玄関を開けたらそこは、現実の世界が待っていた。
「ママだ!」
目を光らせた愛花が、私めがけて走ってくる。もう夜の八時だと言うのに愛花はまだスモックを着ていた。
自分に言い聞かせるかのように、「ママですよ~!」と口に出してみる。
「ママ、温泉どうだった?気持ちよかった?」
「うん、とっても気持ちよかったよ。」
「広いお風呂、いいなぁ!」
咄嗟にピンク色に照らされた湯船が過り、耳元が熱くなるのがわかった。すかさず愛花をくるっと回転させ、背中を押し風呂場へ向かわせる。
「ほらほら、愛花にも広いお風呂が待ってるからね~!」
「やだやだ、愛花も温泉がいい~!」
嫌がる愛花の服を脱がせながら、ちらっとリビングに目をやるとソファーに寝転がった夫がをスマホをいじっていた。髪がまだ濡れていることから、風呂上がりなんだろう。
「お風呂入ったんなら、ついでに愛花も入れて欲しかったなぁ。」
なるべく口角を上げ、やんわりと言った。
「ああ。」
夫はスマホから目を離さない。
「あ、昨日はお義母さん遊びに来てくれたんだってね!わざわざケーキも買って貰っちゃって、なんだか悪いなぁ。」
「俺が呼んだ。ケーキ、もう余ってないけど。」
「そっか。」
私は集中し、頭のなかで真っ黒な箱をイメージする。そこに、モヤモヤしたものを入れ、蓋をする。
よし、これでもう大丈夫。
昔からこうやって、やり場のない気持ちは自分のなかで消化してきた。つもりだった。
『もうやだ』
愛花を寝かせつけた後、私は彼にそう送っていた。
すぐに既読の文字が表示され、メッセージが返ってくる。
『大丈夫?話、聞きましょうか?』
『夫』と打って、しばらく考えて消した。
夫と上手くいっていないことを話してどうなるというのか。それが寂しくてあなたに構って欲しかったの、なんて、まるで典型的な不倫女みたいじゃない。
...典型的な不倫女。
『こんな時間にお菓子食べちゃって罪悪感』
『なんだ(笑)昨日はもっと遅い時間にアイス食べてたじゃん(笑)』
私は、『ギクッ』と仰け反ったうさぎのスタンプを送った。
『ねぇ、綾子さん。昨日俺すごく幸せだった』
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