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「え、俺を知ってんの?!」
思わず問いかけると信じられないとばかりに目を見開いた。
「本物っすか」
「本物だよ」
水野が周防を前へと押しやった。
「彼がわが校伝説のランニングバックの周防選手だ。今日は練習を見てもらうことにしたからいいところを見せてやりなさい」
伝説のって言い過ぎだろうと思ったが生徒たちはうおおおっと沸き立った。
「レオのプレイは今でも憧れる生徒が多いよ」
水野はそっと耳打ちをした。
自分の知らないところで恥ずかしいやら嬉しいやらどうにも落ち着かない。そんなことになっているとは全く想像もつかなかった。
「紹介する。青木」
名前を呼ぶと小柄な選手が返事をして走ってやってきた。まだ一年生だろうか初々しさが残っている。周防を前にして緊張しているのか全身がこわばっていた。
「こんにちは!」
頭を下げられて周防も下げ返した。
「この子は青木大河。一年生だけどかなりいい動きをするんだ。レオのファンだってこの学校に来たらしい。そうだよな」
「はい。周防選手のあの試合を見に来ていました。怪我はもういいんですか?」
聞かれて頷いた。大河はホッとしたように顔を緩める。
「すばやくすり抜けるところとか、豪快なタックルに負けないところとか、かっこいいなって憧れてアメフトを始めました。だから今めちゃくちゃ興奮しています」
こんなことがあるんだろうか。
10年前といえばこの子はまだ小学生になったばかりだろう。それなのに周防に憧れて始めたという。選手冥利につきるとはこのことか。
「さすがレオのファンっていうだけあってプレイはお前に似ててな。将来有望なんだよ。こいつが引っ張っていくチームは全国を目指せる。だからお前を呼んだ」
「周防選手にアドバイスをもらえたら嬉しいです。よろしくお願いします!」
ペコリと頭を下げる大河の表情は真剣そのもので、周防の持っているものを何でも吸収してやろうという貪欲さが見えた。こういう子は伸びる。
だから答えていた。
「俺にできることなら」と。
練習を見ているとかなりいい線を言っていると思う。まだ一年生ならこれから先が楽しみだ。
「どうだ。面白いチームだろう」
「そうですね。これなら狙えるかもしれません」
蜜と同じ年頃の生徒たちが全国を目指している。
その手伝いをすることに心が浮き立った。やりたいと思った。一緒に目指してみたい。
もし蜜のことがなかったら今すぐにでも返事をしていた。でも今は一人じゃないから。勝手に進めるわけにはいかない。
「あちこち手回しもあるからさ、早めの返事を期待してるよ」
「はい」
日が暮れるまでずっと練習に参加した。アトバイスを求められるとプレイ混じりに教えたりもした。
懐かしいボールの感触。受け止めて、投げて、蹴って。美しい軌道を描くボールが空を飛んでいくとき何より心がわきたった。
ああ、やっぱりアメフトが好きだ。
久しぶりの疲労感は心地よく、こんなに満たされたのは久しぶりだ。
「じゃあ、またな。近いうちに」
見送られて帰る道のりで蜜にどう話せばいいのかを考えた。
別れるつもりはない。
でも高校生にとってこの距離は遠すぎるだろう。いきなりの遠距離に持ちこたえることが出来るのか。嫌になってしまわないか。他に好きな人が出来たら。
そのことばかりを考えていたら無意識にゆめのやの前に来ていた。お店は閉まっていて、2階の部屋の窓に明かりがついているのを見ると無性に会いたくなった。
電話をするとすぐにつながった。
「先生、こんばんは」
変わらない穏やかな蜜の声。
もっと聞いていたくて耳に押し当てると、心地よい声が浮足立った心を落ち着かせてくれた。
さっきまでがあまりに非日常すぎて現実とは思えなかったのだ。
「会いたいな」
言えば「ぼくも」と答えが来る。
可愛い。好きだ。蜜を手放したくない。カーテン越しに人の気配が揺れて、窓から蜜が顔を出した。
すぐそこに周防の車があることに気がついて驚いた声を出す。
「先生! 来てたんですか」
「ん。見つかっちゃった」
慌てて降りてくる蜜は風呂上りなのかせっけんの清潔なにおいがする。砂埃まじりの周防とは大違いだ。
ジャージ姿の周防に気がついて何事かと首を傾げる。
「アメフト」と周防は言った。
「またやろうかと思ってる」
「……そうですか」
意味が分かってない蜜は笑いながら頷いた。
「いいですね」
「うん。でもそうしたら転勤することになる」
途端に表情が陰った。「え」と頼りない声が漏れる。
「転勤って、どこに」
場所を言うと言葉を失った。
車があればすぐに行ける距離も交通手段を持たない子供にとっては遠い場所になる。簡単に会えなくなることを蜜は悟ったらしい。
「うそでしょ」
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