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「どうして彼にはあんなに冷たかったんですか?」
なぁと膝の上の猫は、気のない返事をした。
「ムカついた? そうですね。少しばかり気の強い方でしたもんね。え、僕も大概だったって? 何を言っているんですか。あれは素ですよ」
猫の尻尾が何かを指摘するようにブンブンと動いた。
「ああ。確かに今回はちょっとばかりワザとらしかったかもしれないですね」
冷嶋は口角をわずかにあげた。
「だってほら、たまには悪役ぶって悪びれたい時もあるじゃないですか。だから今回は全面的にヘイトを買ってみたんです」
猫に静かなジト目を返された。
「そんな目で見ないでください」
ポンと黒猫の頭を撫でてやる。
「まぁ真面目な話、彼のようなタイプは憎しみが溢れ返る前に、復讐を果たさせてあげるのが一番いいんです。って、君も分かっているでしょう? 犯人が分からないでいつまでも燻って、それで悪霊化なんてしてしまったらタチが悪いじゃないですか。だから彼を死に追いやった同僚さんに、成り代わってみたんです」
多少、辻褄が合わないところはあるが、そんな些細なことに気づく死者はそういない。だいたい都合の良いように事実を結びつけて放置し、後は自分の感情の赴くことに意識が傾いてしまうから。
そして頃合いを見て、ふっと姿を消せばいい。
冷嶋の認識は、どこかのタイミングで彼の中から消えていたはずだ。
「まぁでも、厄介なことに彼はほとんど記憶を失ってしまった。それで無意識のままここに誘われた。だからと言って、一気に真相を伝えると反動が出るリスクがありましたからね。どう情報を小出しにするかは、正直難しいところもありましたよ」
それでも、と冷嶋は続ける。
「復讐と奥さんの存命で、無意識に孕んでいた憎悪は霧散した。それで無事成仏できた。いいじゃないですか。それに、火を放った元凶も捕まっているようですしね」
冷嶋は、かたわらに置かれていた新聞紙に視線を落としてそう言った。
「いくら憎いとはいえ、後先考えずマンションの一室に火を放つような方ですからね。霊よりタチが悪いと思いますよ。僕は」
そんな頭のネジが外れた奴に殺意を抱かれた彼は、ある意味不憫だと思わないでもない。
なぁ? と黒猫が小さく首を捻った。
「え、素直に教えれば良かったんじゃないかって? そんなの面白くないでしょう?」
冷嶋は続ける。
「そんなにあっさり真実を知って、果たして納得できるのでしょうか。起伏の激しい感情を伴って辿り着いた真実こそ、真に受け入れられるのだと、僕は思いますけどね。それに」
冷嶋はついでのように付け加えた。
「僕はそんな人助けのなかで、愉悦を見出しているんですよ」
なふぅと鳴き声が聞こえた。視線を落とせば、猫は呆れたような顔をしてこちらを見上げていた。
「趣味が悪いって? 仕方ないでしょう。僕だって、ここから動けないんです」
無表情で独白するように、冷嶋は続ける。
「ずっと、動けないから、こうやって君と話すか、時折引き寄せられる他の霊と話すかしかできないんですよ。何度も言っているでしょう。クロス?」
なぁと黒猫は理解を示すようにごろごろと鳴いた。
気配がした。
ふと目を上げると、そこには二十代前半くらいの若い男性が座っていた。
「おっと、また次のお客さんですか」
最近ひっきりなしに客が来る気がする。
理由は分からないが、それは冷嶋が深く追究することでもない。正直、退屈しないならそれでいい。
この人もまた随分ひどい死に方をしたように見える。
衣類が、そして皮膚や肉が引き裂かれ、全身に血飛沫が付着している。まるで、何か邪悪で獰猛な獣にでも咬み殺されたかのようだ。
──と思ったが、妙だった。
この男性の実際の死因は心不全──?
冷嶋はやおら首を傾げて、ふむと唸った。
まぁ些細なことだろう。たまにこういうこともある。
無防備に周囲にばらまかれている思いを読み取り、同時に少しばかり記憶をいじる。簡単なことだ。
そうして、自分が死んだことに気づいていない霊に、気づきの契機を与えてその結末を見届けるのが最近の冷嶋の暇つぶしになっていた。
こんな滑稽な出来事が、人の近寄らないこの雑居ビルで、──時間の流れも定かでないこんな空間で、半永遠的に繰り返されることになるのだろう。
冷嶋は一瞬口の端を歪め、自虐的に笑った。
さて、そろそろ次に行きましょうか。
冷嶋はいつもの決まり文句で始めることにした。
「──見ない間にずいぶん醜くなりましたね。Sくん」
最初のこの一言で自身の真実に気づく霊はまずいない。
──しばらく、この遊びは続けられそうだった。
-完-
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