9人が本棚に入れています
本棚に追加
壁紙の色と同じ単調な白色の引き戸、その取手に指を掛け、おもむろに力を入れてみる。──開かない。もう少し力を入れてみても、何かが引っかかっているような感じがして、引き戸が開きそうな気配はなかった。
立て付けが悪いのか? ……いや、そんな記憶はない。
この戸の先には三谷の寝室がある。毎日使うような部屋だからこそ、そこは断言できる。
もう片方の手も添えて、両手でガンと戸を思いきり引こうとした。
ゲホッと三谷はいきなり咳き込んだ。
引き戸は開かない。三谷はバッと取手から手を離して、そのまま鼻口を覆った。
不意に鼻についた焦げ臭い匂い。肺に澱んだ空気が流れ込んでくる。
ゴォオと不吉な音がした。
赤く煌々とした色合いが、あたりの白い壁を舐め始めていた。
三谷は嫌な予感と共に振り返った。
火、いや炎。肌を焼くような熱。
いつの間にか、部屋全体が燃えていた。
馴染みある日常風景が、赤く、そして黒く染まっていく。止め処なく焼けていく──。
声は出なかった。
何の冗談かと思った。
熱いはずなのに、手の指の先が震えている。
ひたりと、肩に何かが触れた。その感触に想起された記憶から、一気に怖気が走る。
三谷は反射的に、肩の手を振り払うようにバッと振り返った。
炎の色合いよりも赤い不吉な影がそこに立っていた。
それの赤くて長い髪が、熱気に晒されてふわりと舞い上がる。
今までの赤い影とは違う。その相貌が、三谷には認識できるようになっていた。
焼け爛れた女性の顔。“それ“に、じっと見つめられている気がした。
“それ“の背後、奥の引き戸はいつの間にか開け放たれていた。
その奥に広がるのは真っ黒な暗い口。三谷の寝室であるはずのそこには、何も、見えない。
目の前の悍しい姿の女性が口を開いた。
「ぁ、な──」
言葉にもなっていない不明瞭な声、──それがすぐ耳元で囁かれた。
尾を引くようにねっとりとした声が、三谷の耳にこびりつく。
赤い影に飲み込まれるように、抱きつかれそうになり──。
ようやく彼は状況を理解し、喉から悲鳴が漏れた。
背後のテーブルの上にあったアードベックの瓶が、そして三谷の手の中にあったロックグラスが、同時に床に落ちて、ひどく耳障りな音が響き渡った。
最初のコメントを投稿しよう!