9人が本棚に入れています
本棚に追加
14.呪縛にあるもの
時間の流れは気紛れだ。
さすがに遡ることはなかったが、ずいぶん引き延ばされたり、かと思えば全速力で駆け去っていく。
バタバタと、喧しい足音が遠ざかっていったのは、一体いつのことだっただろう。
正直、時間の感覚もひどく曖昧だった。
冷嶋の視線の先で、事務所の開きっぱなしの扉がゆっくりと閉まった。
野次馬は、とっくの昔に姿を消していたのだろう。
慌ただしい叫び声が尾を引いて耳に残っている気もするが、黒猫が身軽にソファーに降り立ったのを見る頃には、もうどうでも良くなっていた。
「少々、やりすぎではないですか?」
冷嶋はそう曖昧に投げ掛けた。
「いいのよ別に。最近、面白半分にここに来る奴が多すぎるもの」
気づけば、隣に黒髪の彼女が腰掛けていた。
「それとも半透明じゃなくて、不気味なゾンビとかの方が良かったかしら?」
悪戯っぽく彼女の瞳が細められた。
「そこは正直どうでもいいです」
にべもなく冷嶋は答えた。
「冷たいなぁ」
彼女は頬杖をつき、むぅと少しばかり不機嫌そうな顔をした。
「そうやって度が過ぎるから、都市伝説になっているんじゃないですか。本末転倒ですよ」
それに、と冷嶋は床に視線を落として続ける。
「あれはトラウマになると思うのですが」
床に伸びていた少年が少しばかり不憫に思えてくる。
ちゃんと連れに回収されたようで、とっくの昔にこの場にはいないが。
大丈夫よ、と黒須は言った。
「目が醒める頃には、記憶も無くなっているわ。そうすれば、あれはただの怖い夢」
クスリと黒須は笑った。「まだ早いものね」
時々、彼女の意図がよく分からないことがある。
気紛れで妙な力をもつ彼女のことだ。彼女に見えているものの機微を冷嶋に知る由はない。
──気がつけば、ソファーの上に黒猫がいた。
何かを求めるようにこちらを見上げていた。
膝の上の定位置に彼女を迎え入れ、おもむろにその背中を撫ではじめる。ふわりふわりと柔らかな毛並みを撫でるだけの緩慢な動作を、何度も、何度も──。
ふと、冷嶋は無表情のまま顔を上げた。
目の前のソファーに、先ほどまで話していた異形の姿がある。もたれかかるように座っているその男性は、全身が焼け爛れていて、ほとんど暗い影のように見える。
形を保っているのが不思議なくらいだと、冷嶋は密かに思っていた。
その彼が、満足げに笑ったのを冷嶋は感じていた。
そして目の前から彼の姿がフッと掻き消えた。
消えた後には何も余韻を残さない。誰もいない煤けた茶色のソファーは、途端に空虚さをたたえ始める。
「──逝きましたね」
冷嶋は、軽く息をついた。
最初のコメントを投稿しよう!