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02.花の名は
一瞬、誰のことを言われたのか分からなかった。
「女性、だって?」
「ええ。何かおかしいこと言いました?」
冷嶋の目線は机の上の写真に落ちたままだった。三谷も同じように写真を見下ろす。
「女性なんて。一体どこを見ているんだ?」
「なるほど。見えてないんですね」
「何がだ。自己完結するな。分かるように説明してくれ」
「写真の真ん中です」
そう言って、冷嶋は赤黒い人影を指さした。
「この方は女性なんですよ」
つまり彼には、この不吉な影の正体が見えている、ということか。
「……お前、俺の今までの話、全部適当に聞いていただろ?」
今までの前提を否定もせず、さらりと覆してきた。赤い人影のことや、男子だけが写っていることなど、写真を見ながら訊いていれば当然沸き起こるであろう疑問を、全て無視してきたのだから。
「まぁ、いい」
それは大目に見よう。
人選を間違えた気がして仕方がなかったが、結果的に冷嶋に当たったのは正解だったのかもしれない。
「で、こいつは一体誰なんだ? 知り合いか?」
「いいえ」と冷嶋は首を振った。
「僕は、この女性は知りません」
「──もう一度訊くが、お前の知らない女性がこの写真に写っている。そういうことなんだな?」
「ええ」と冷嶋は頷いた。
「誰なんでしょうね、この人」
そうなってくると、ますます不気味に思えてくる。
三谷は喉元を撫でながら険しい表情をした。
「この女性はどんな格好をしているんだ?」
「そうですね……、僕は女性の姿を表現するのはどうも苦手なんですよ」
そう冷嶋がわずかに眉を寄せ、顔を傾げた矢先だった。
かちゃりと音がして、三谷は背後を見やった。
事務所の扉が開かれ、そこに一人の女性が立っていた。
年の頃は十代後半だろうか。ボリュームのある艶やかなツインテールが印象的なその女性は、灰色のダボついたパーカー姿にデニムのショートパンツという、なかなかあざとい格好をしていた。
「ちょうどよかった。黒須、少しこの写真見てもらえますか?」
黒須と呼ばれた女性は挨拶もせずに近づいてきて、そのまま机の上の写真を手に取った。腰に手を当ててやおら首を傾げる。
「この写真がどうかしたの?」
「君にはこの写真、どう見えてるんだ?」
三谷は直接そう訊いてみた。
黒須は少しばかり顔をしかめた気がした。
「どうって、普通だけど。オジさん」
「……冷嶋。お前の助手だろ。口の効き方くらいちゃんと指導しないか」
どうしてこの事務所の人間は、こう失礼な奴が多いのだろう。
「黒須、写真の女性はどう見えますか?」
当然のように三谷の言葉は無視された。何だかもう、いちいち突っ込む元気もなくなってきた。
「女性? ああ、この真ん中の人ね。というか妙な質問だけど、印象を言えばいいの?」
「見た目と背格好も併せて教えてくれないか?」
三谷が追加要望を添えると、黒須は「そうねぇ」と呟いた。態度は少しばかり横柄だが、どうやらちゃんと答えてくれるようだった。
「制服を着ているね。髪は腰ほどのストレートで、漆のような綺麗な黒髪。背丈は、比較がないからちょっと怪しいけど、小柄な感じ。お人形さんみたいで清楚なお嬢さんっていう印象」
「だそうです。心あたりはありますか?」
「それだけでは何とも、な」
そう三谷は答えた。そもそも、自分が知っている女性かどうかも怪しいものだ。
三谷は顎をさすりながら思案した。
「名前は分からないか? 制服の胸元に苗字が縫われていたりとか」
「さぁ、そこまでは」と黒須は言葉を濁す。
「他に特徴はないのか?」
「特徴ではないけど、この子、花を持ってるね」
花? と三谷は首を傾げた。
「何だったっけ、この花。ちょっと名前が思い出せないんだけど」
ほらあれ、と黒須はコンコンと手根で頭を小突く仕草をした。
「あ、思い出した。椿だよ」
「……椿?」
「そう、椿。はいこれ、写真返す」
黒須が写真を差し出してきた。言われるがままに三谷は写真を受け取る。
椿──。何の変哲もない花が、何でこんなに頭の隅に引っかかるのだろう。
三谷は返された写真に再び目を落とした。
その動きがピタリと止まる。
三谷は目を見開いていた。
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