05.草臥れ

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05.草臥れ

三谷はハッと顔をあげた。 いつの間にか長椅子に座っていた。前屈みになった上体が小刻みに揺れる。眼前に目に鮮やかな橙色の光が差し込んできて、三谷はわずかに目を眇めた。 カタンカタンと小気味のいい音がする。列車だ。 気づけば列車に乗っていた。 横長の長方形の窓の先には、黄昏の空が広がっている。 シュンと黒い電柱のシルエットが等間隔に通り過ぎていく。 しばらく息が止まっていた。 まただ、三谷はそう思っておもむろに息を吐き出した。 また唐突に場面が飛んだ。 車両を見渡すが、自分以外誰もいない。 冷嶋はいないのか? あの小生意気な黒須は? キキーと耳障りな音が響き渡り、三谷の身体が列車の進行方向に大きく揺れた。押しつけられるように肩から長椅子に倒れる。 「今度はなんだ……?」 どうやら列車が緊急停車したようだった。 お客様にお知らせいたします、と抑揚のないアナウンスが流れてきた。 列車とお客様が接触したため、この列車は現在運行を見合わせております。状況が分かり次第──、などという声を聞きながら、三谷はゆっくりと身を起こした。 人身事故、か? ……え、この列車で? 都心で電車通勤している三谷としては、取り立てて珍しくもない。が、正直勘弁してほしいというのが本音だった。 しばらくするとゆっくり列車が走行し始めた。すぐ近くが隣駅のホームだったのだろう。再び列車が止まると、一斉に片側の扉が開く音が聞こえ、最後にはガタンと開き切った。 何か得体の知れないものに誘われているような錯覚に陥ったが、このままこの列車に乗っていても仕方がない。 三谷は警戒しながら列車から降りた。 夕陽に照らされた駅のホームは物寂しい雰囲気を漂わせている。溢れんばかりに蠢く人の波もなくガランとしており、三谷の知っている本来の駅とはまるで別世界のように思えた。緊急事態だというのに、駅員の姿もまるで見えない。 三谷の背後で電子音が鳴り、列車の扉が閉まっていく。三谷が振り返ると、誰も乗せていない列車がゆっくりと動き出していた。 動いていいのか? 人身事故だろ? そんな疑問を無視するかのように、列車はそそくさと目の前を通り過ぎていく。 過ぎ去った後の強い風だけを残して、列車がホームから姿を消した。目の前には茶けた線路が広がっているのみとなった。 ここで降りたからといって、この後一体どこに向かえばいいのだろう。三谷には検討がつかなかった。 どうにも居心地が悪い。三谷はもう一度あたりを見回した。 ふいにホームに一つ、ぼんやりと人影が揺らいだのを見た。 ホームの端に佇むその姿に、三谷は見覚えがあった。 「……鈴木?」 背中しか見えないが、何となく予感があった。 中学時代の同級生。そして、つい今しがた写真のなかで赤い影に飲み込まれたのが、彼だった。 ユラリと、その彼が動いた。緩慢な動きで向かうのは、列車も何もないホームの先。 「おい、鈴木!」 三谷は不吉な予感とともにそう叫び、駆け寄った。 そいつの肩を強く掴む。 「お前、飛び降りるつもりだったんだろ? どうして」 そう口をついて出た言葉に、おもむろに鈴木が振り返った。彼はひどく疲れた顔をしていた。 三谷は目を見張った。 違う、ゆるゆると三谷は首を振る。 こいつは鈴木なんかじゃない。 こいつは、このひどく馴染みのある顔は──。 いきなりぐいと何か引っ張られた。 「うわわっ!」 首根っこを掴まれて思いきりぶんと投げられたような感覚。気づけば足が、身体が浮いていた。 駅のホームが遠ざかる。わずかに視界に映ったホームには、もう鈴木の姿はなかった。 代わりに、赤い影をまとった女性の姿が霞んでいた。 おそらく、今背中の下に広がっているのは茶色い線路。落下が始まる。 ファーンと耳を(つんざ)く爆音が響き渡る。 傾いだ視線の先に見えたのは、列車の先頭車両。 圧倒的な質量が一気に迫る──。
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