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01.赤い射影
「──見ない間に、ずいぶん醜くなりましたね。三谷くん」
第一印象で十人が十人に冷たそうだと言われそうな冷然とした男が、三谷を見るなり開口一番そう言った。
三谷の口の端がピクリと震えた。
確かにここ数年でかなり恰幅が良くなった自覚はあるけれども。
「そう言うお前は随分口が悪くなったなぁ、冷嶋」
他人からここまでストレートに暴言を吐かれたのは、久しぶりのことだった。
──都内某所。
鉄筋コンクリートでできたの寂れた雑居ビルに三谷は来ていた。
それほど広くない十畳ほどのスペースの部屋、その真ん中に向き合うように煤けた色合いの茶色いソファーが鎮座している。三谷はそのソファーに腰掛け、どこまでも無感情な冷嶋と対面していた。
「今更、何しに来たんですか」と冷嶋が言った。
「ずいぶんな挨拶だな。こんな辺鄙なところに来る理由くらい、幼稚園児でも分かるだろうよ。──仕事の依頼だ」
そう言うと三谷は懐から一枚の写真を撮り出して、机の上に無造作に置いた。
「これの正体を知りたい」
そこには三谷の中学校時代の同級生たちが写っていた。
記憶違いでなければ、おそらく写真が撮られた場所は多目的室だろう。
窓から明るい日差しが差し込んでいるせいか、生徒たちの姿は少しばかり暗い影を落としている。とにかく、三谷も含めて、五人の男子生徒が写されていた。
──少なくとも、三谷はそう認識していた。
何故このような曖昧な表現をしたのか。
それにはちゃんとした訳があった。
「気味が悪いんだよ」と三谷は顔をしかめた。
──その生徒のうち、一人の姿が赤と黒で塗り潰されていた。
クレヨンで塗り潰したとか、そんな不格好な感じではない。まるで空間からにじみ出た不可解な何かに飲み込まれたような、──そんな不吉な表現が浮かぶ。
写真を見下ろした冷嶋の目線が、ちらりと三谷に向けられた。
「見なかったことにしては?」
真面目なことを言うかと思えば、そんな身も蓋もない愚策を提示してきた。
「これを見なかったことにできる奴は、心臓に毛でも生えとるわ」
三谷はじろりと冷嶋を見返した。
「放っておけんのだよ。何というか、これは霊的な何かな気がしてならん」
ふむと冷嶋は唸った。
「どうしてこれを僕に依頼してくるんですか?」
わざとらしく冷嶋は訊いてきた。
「おい、ふざけているのか?」
「大事なことなんですよ」
ふと冷嶋は真面目な顔をして言った。
大事なことねぇ、と三谷にはどうにも腑に落ちない。しかしここで不要な問答してもしょうがない。
三谷は冷嶋に問いに答えることにした。
「こんな気味の悪いこと警察に相談できる訳ないだろうが。それにな、これは何よりの理由になるんだが、……というより、何でお前が真っ先に突っ込んでこないのか甚だ不思議なんだが。ともかく」
三谷はトントンと写真を強く指し示した。
「ここにお前写ってるだろ。これでお前も当事者だ」
写真には、面白くなさそうな顔をした在りし日の冷嶋の姿もあった。
それでついでに、冷嶋が探偵を始めたなんてことをふと思い出した。
それで訪れた、事の経緯は大体こんな感じだった。
「ああ」と冷嶋は何かを察したように頷いた。
「それは失礼。よく見ていませんでしたよ」
飄々として冷嶋は言った。
「メガネの度が狂っとるのか、お前の目が腐っとるのか俺には分かりかねるのだが」
それとも単純にやる気がないのか。三谷は軽く頭痛を覚えて、顳顬のあたりを押さえた。
こいつ大丈夫か? と三谷はいろんな意味で心配になった。探偵として致命的な何かを大きく欠落している気がする。
そのまま若白髪の混じる髪を掻きあげ、三谷は大仰にため息をついた。
「お前は若くていいな」
ちょっとした嫌味のつもりで言った。どうも彼は世間を甘く見ている節がある。言葉だけ丁寧でも、それで相手の神経を逆撫でしては元も子もないだろうに。
それに態度だけでなく、──これには羨望が入っているが──見た目も若い。とても同じ歳には思えない。
「そういうあなたは老けましたね」
「ストレートすぎるわ。少しは言葉を憚ってくれ」
この年になると人のしがらみに縛られることも多い。ストレス解消に、馬鹿みたいに酒を飲みたくなることだってある。
「参考までに聞かせてくれないか。若さの秘訣でも」
三谷は全くどうでもいい質問を冷嶋に投げていた。
「若さの秘訣?」
そうですね、と冷嶋は考える素振りをする。
「あえて言うなら、どうしようもない日常にささやかな楽しみを見出すこと、ですかね」
そんなことをほとんど無表情に宣った。
「そうか」
まぁ大事なことではある。
さて、まだやる気の見えない冷嶋の鼻先に、ちょっとした人参でもぶら下げてやろう。
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