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僅かな月明かりだけなので目の色まではわからない。だけどそこに何の感情も全く感じられない無表情のせいか、そこには硝子の玉が二つ嵌っているように見えた。
その眼差しが尚のことその人を非人間的な、精霊のように思わせる。静かな、癖のないすっとした顔立ち。何か人智を超えた手で精巧に造られた創造物みたいだ。
彼の顔はしばらくわたしのいる東屋をじっと見つめているようだった。必死に息を潜めて身体を硬くして、何ものかに祈る。お願い、気がつかないで。…見つけられてしまったら。
どういう反応をするのか全く想像もつかない。普通の人みたいに誰ですか、とか出て行って下さい。警察を呼びますよとかなら全然当たり前だしそりゃそうだなと思うけど。
お前は自然の神の怒りに触れる、みたいな異次元からの峻厳な台詞が飛び出して来ないとも限らない気がして。一体どんな罰を受ける羽目になるのか考えるのも怖い。
見た目が超常的だからってこの人がごく平凡な人間じゃないって決めつけるいわれはない。多分、口を開けば誰でも言いそうなまともな台詞が普通に出てきて、それで変な先入観を持ってるわたしも現実に返るに違いない。
内心でそう自分に言い聞かせるけど。それでも感情のない硝子の眼差しはどうにもわたしの腹の底を落ち着かなくざわつかせた。
一刻一刻がたまらなく長く感じた。だけど多分実際にはわたしが思ってたほど大した時間じゃなかったんだと思う。
その人は視線を逸らし、身体の向きを変えると再びゆっくりと歩みを進めてわたしのそばから遠ざかっていった。気まぐれな森の神聖な神がつまらない小さな生き物への興味をふと失ったみたいに。
用心深く身体を縮めてわたしの視界の中で小さくなっていく白い後ろ姿を見送った。遠くから見てもその人の纏う神秘的な空気は変わらない。
一体彼は何だったんだろう。
その人の向かっていく先に庭園の外にある本邸の影を見てとり、そうだよな。間違いなくここの持ち主の家の人だ。きっと夜中の散策に出てきて、今から自分ちに戻っていくんだ。
いくら何でもバラ園に棲みついた薔薇の精霊が具現化した姿だなんて。発想がファンタジーにしても度が過ぎる。
でもとにかく、発見されて騒ぎにはならなくてよかった。わたしは肩の力を抜いて再び東屋の中の長椅子にそっと横になって目を閉じた。
こんな時間に追い出されたり、警察を呼ばれたりしたら最悪な結果になるとこだった。実際にあの家に人が住んでることはわかったから、これ以上騒ぎになる前に朝になったらさっさとここから出て行くことにしよう。
何も関係ない能條家の人たちにいらん迷惑をかけることは本意ではない。
それにしても、不思議な感じの見た目の人だったなぁ。顔立ちは日本人だったと思うけど。あんな身体に生まれることなんて現実にあるのか。
男とか女とかいう区別を忘れるくらい、生々しさのない透明な美しさがあった。
生身の人間があれだけ美しく生まれついたら一体どんな気持ちだろう。だけどどこにいても否応なく目立つくらい周りと違ってるってことだから、きっと浮世では生きにくいこともたくさんあるんだろうな。と自分の事情は傍に追いやって通りすがりのインパクト抜群の人に思いを馳せ、わたしは本格的に眠ろうと両目を閉じた。
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