第1章 薔薇園の精霊

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だったら今から真剣に勉強に打ち込んでもどうせその先は望めないんだから考えるだけ無駄だし。せっかく高校生になってバイトもできるようになったから、わたしは学業はほどほどにこなしてせっせと放課後生活費を稼ぐのに毎日明け暮れることになった。 父親は時々帰ってきてやけに下手に出た態度でちょっとバイト代貸してくれ、と頼み込んでくるのはまだよかったけど。油断してるとたびたび財布からちょこちょこお金を抜き取られるのにはつくづく参った。普通こういうの、ぐれた手癖の悪い中坊とかが親の目を盗んで財布に手をつけるってパターンじゃない?高校生の娘が生活費のために日々バイトに明け暮れて、爪に火を灯すように貯めたお金をちょろまかす親がどこにいる? って閉口せざるを得なかったけど、多分わたしに同じような立場の子との横の繋がりがないから知らないだけで。世間にそんな、いやもっと酷い家庭もきっといっぱいあるんだろうなぁと今となっては改めて思う。 それでも父親は顔を合わせてるときは楽しくて明るい人だったし。あんまり自分のことを不幸だとか辛い境遇だと考えることもなくて、しょうがないなぁくらいの感覚でそれなりにやり過ごしていた。 進学して一年、二年の途中くらいまではそんな風で何とかなっていた。だけど年毎にだんだんじわじわと、少しずつ生活は苦しくなっていつしか二進も三進もいかなくなっていった。 母からと思われる例の送金も数年後には途絶えていた。彼女の方も生活が楽じゃなかったのかもしれないし、中学を卒業すればアルバイトもできるはずだから自分である程度は何とかできるだろうと判断したってことかもしれない。 もしかしたら付き合ってる相手と結婚して、そっちの家庭が物入りになって余分なお金をこっちに回せなくなったって可能性もある。どのみちもう母からこれ以上何かを受け取れるかも、って当てにするわけにはいかなさそうだった。 高校三年になる少し前辺りから、父は決定的に家に帰ってこなくなった。 その頃にはもう完全に仕事をする様子も家にお金を入れることもなくなってたから。寂しいとか困るとかよりお金をせがまれたり抜き取られたりしなくて済む、とどちらかというとほっとひと息つけたくらいだった。これで何とか卒業まで自分一人のバイトで何とかやっていければいいんだけど、って気を取り直し始めたけど、思ってたよりやり繰りは苦しくてそんなひとり暮らしの生活も次第に追い詰められていった。 そもそもうちはわたしが物心ついた時から当然のごとく借家だ。今どきまじか、って自分ちながら思うくらいの古い安普請の鉄骨アパートで当たり前のように洗濯機置く場所も外廊下。おんぼろだし家賃なんかそれほどじゃないだろうって思われるかもだけど一応都内だからそれはそれなりにかかりはある。 ここ一年くらいはもう父は全く家賃を払ってくれなくなり、仕方なくわたしが毎月バイト代からやり繰りして口座に振り込んでいた。まあそれまでどうやって家賃の分を何とかしてたのかは思い返しても想像の外だが。きっとああ見えても母のいた頃から一応振り込み用の口座とかはあって、そこに多少の額はプールされてたのかもしれない。それだけは手をつけてなかったから家賃や水道光熱費は問題なく払われてたけど、誰も入金しなければ当然いつかは空っぽになる。 引き落としができませんでした、って通知が相次いで郵送されてくるようになり、そっちへの支払いに追われるようになって正直放課後と週末だけのバイトでは生活が立ち行かなくなった。 学校を休んでバイトを目一杯入れてやっと、ってくらいだ。出席日数は足りなくなるしだんだん卒業も怪しくなってきた。まあ、どうせ大学や専門学校に進学もできないんだし。高校を卒業できなかったらどうなんだってこともない気がする。だけどきちんとした会社に新卒で就職するのは無理になるのか。一生アルバイトじゃいつまで経っても生活にゆとりもできないし。ほんとはこのままだらだらバイトで凌いでも結局いつかは行き詰まるんだろうな…。 薄々と今の状況はやばい、と察してはいても目の前のことに意識が奪われて先のことまで考える余裕がない。こんなことはいつまでも続けられそうもない、とどす黒い暗雲がいつも胸の奥に立ち込めてる毎日の中でついにとどめがやってきた。 高校生の身だし世間的な知見もほとんどなく、冷静に物事を調べて整理する心の余裕もなかったので、支払いの優先順位なんてもちろん知るよしもない。 家賃はたまに滞りがちだったけど何より電気や水道、ガスが止められたら死活問題だと思ってたからついついそれを優先していた。遅れると一番やばいのが税金と国保、健康保険だなんて全く思いもよらなかった。こんなのわたしが支払う筋合いじゃない気がする、ってどこか納得いかないでいたせいもあるし。 ある日そろそろバイトに行こうか、と身支度をしていると。ドアチャイムがなんだか不吉な感じに慌ただしく鳴らされた。
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