第2章 雨と迷い猫

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「…まあまあ、思ってたよりちっちゃくてほっそいのねぇ。今どきの子って昔よりだいぶ体格いいのものかとばっかり。手脚なんか華奢過ぎて今にも折れそうじゃない。たくさん食べてもっとしっかり大きくならないと。これじゃあ栄養のバランス取れてないでしょ、普段から?」 「それは。…はい」 わたしは素直に頷いた。 バランスなんて気にしてたら食べるもんがなくなる。とにかく少しでも腹保ちのいいもので空腹を紛らわす、それが食事の意味だ。だけどまあ、それが健康によくないことは認める。 この歳で今さら食生活変えても成長期はとっくに過ぎてるし、大きくなるのはもう手遅れじゃないかな。と考えつつそれは口にしないでおいた。 歳の頃四十前後。…か、落ち着きぶりを考慮するともしかしたら後半。と思しきそのご婦人は浮き浮きと言って過言じゃない勢いで、わたしにぐいぐいと話しかけてきた。 「今朝から何も食べてないの?駄目よそんなの、成長期に。女の子は痩せてりゃいいと思ってるかもしれないけど。客観的に言ってあなた、もっと肉付きよくなった方が可愛いよ。そうね頬ももうちょっとふっくらして。腕と肩がむちむちした方が…。全体にふわふわ感が足りないわね。可哀想に、痩せこけて弱った仔猫みたいよ」 貧相な、って言うんでしょう。わかります。 『サワノさん』の勢いに苦笑気味だったカヤノさんが横から口を挟んだ。 「まあ、ダイエットのし過ぎで痩せたわけじゃないようだから。ちゃんと毎食食べるようになればだいぶ様子も変わるでしょ。…あなた、えーと名前何ていうんだっけ。わたし、聞いてた?」 「いえあの。すみません、奈月眞珂といいます」 そういえばここに来てから一回も名乗ってない。別に知られても平気だよな、問題はないとは思うけど。とちらと迷いが浮かんできたがそこは割り切った。これから結局警察を呼ばれることになるかどうかはまだわからないが。それなら尚更名前を知られるのは避けられない。 「奈月さん、…眞珂ちゃん。食べられないものとか苦手なものとかある?見た感じ昨日もあまり食べてないでしょ。いきなり消化の悪いもの大量にお腹に詰め込むとよくないだろうから…。雑炊とかうどんかな。あり合わせでいいんだけど。お願いできます?澤野さん」 サワノさんは何故か楽しげに大きく頷いて請け合った。 「大丈夫、ちゃっちゃと作りますよ。眞珂ちゃんどっちがいい?それともサンドイッチとかリゾットとか。洋風にする?」 オーダー取ってくれるのか。なんか、庭に不法に入り込んだ浮浪児のくせに。こんなにちゃんと扱ってもらえるのは恐縮だ。 わたしは慣れてないまともな人間としての扱いに申し訳なくて身を縮めながら何とか答えた。 「すいません、一番手のかからないもので。…雑炊とか。面倒ですか?」 「全然。ちょちょいのちょいよ。目つぶっててもできちゃう。そんなんでいいの?ほんとはもっと凝ったものもいろいろ作れるんだけどなぁ」 残念そうに嘆くサワノさんは、放っといたらフレンチのフルコースでも作り出しかねない勢いだ。わたしは慌てて口を挟んだ。 「ほんとにいいんです、実はあの。今日食べてないのは事実だけど。…なんか、お腹空いてるかどうか自分でもよくわかんなくて。意外とたくさんは食べられないかもしれないから」 これは遠慮で言ってるんじゃない。経験から言ってある程度空腹が限界を通り越すと、一度に食べられる量がぐんと落ちる。 胃腸もすっからかんのところにいきなり大量の食物を摂取されるとどうやら受け付けなくなるのか、すごくお腹空いてるはずなのに食べるのに四苦八苦してやっと飲み込む。みたいなことになったりする。そうやってまた更にどんどん食が細くなっていくんだけど。悪循環だ。 側でわたしの台詞を聞いてたカヤノさんが神妙な表情で訳知り顔に頷いた。 「それは身体と脳の防衛反応でしょ。食べ物を摂れないことが続くと、それに適応しようと胃を小さくして食欲を落として対応する、ってとこなんじゃないかな。きっといつ次に食べ物にありつけるかわからないから、少しの量でも間に合うように身体が代謝を落としてるんだと思うよ」 なるほど。 「でも緊急措置としては意味があるんだろうけど。長くそんな状態が続くといずれは健康に問題が発生しそうだね。身体が栄養不足に慣れるより先に、充分に食べられる環境を早く作らないとね」 うん。まあ言うは易し、なんですけど…。わたしも好きで食べなかったわけじゃないから。 カヤノさんの隣で心から同意した顔つきで深々と頷きつつ、サワノさんはわたしの方へと両腕を差し出してまた賑やかな口調で喋りはじめた。 「そうね、腹ぺこな顔してるからってあれもこれも一気に詰め込み過ぎたら駄目。やっぱり少しずつ量を増やしてだんだん胃を大きくしていくべきだよね。じゃあ、とにかくまずは具をたっぷり入れたお腹に優しい雑炊でいきましょう」 一瞬身振りの意図が飲み込めず当惑したが、それが洗濯物を受け取りたい、という意味だった一拍置いて気づく。 わたしは慌てふためいて胸に抱えてた昨日から着たきりの雨に濡れた服(下着を除いて)を一瞬素直に前に出してからまたためらい、思わずちょっと引っ込めた。
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