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何しろ長いこときちんとした運動なんてしてない。学校も行ったり行かなかったりだから体育の授業も最近まともに受けてないし。
ご飯は一日二食とか、下手すると一食で済ます日もあるから運動しなくても太りはしてないが。ていうかそれも息が切れやすい理由か。多分カロリー不足してるんだろうな。それもあって、なるべく身体を動かさないよう省エネで生きてきた気がする。ここ数年くらいは。
だけど、頑張れ。目的地に着けばきっといいことがある。わたしは自分にそう言い聞かせて前を向いた。
こんなに東京から近いのに、人里離れてて多分ひと気も少ない。こうやって歩いてきても全然人とすれ違わないし気配もない。もっと下界にはちらほらと人家もあったけど、ここまで登ってくれば道の両脇はずっと何もないただの林だ。
この様子ならバラ園だって、そんなに観光客でごった返してるはずない。平日の昼間だし、グーグルマップにも載ってないんだし。たまたま最寄りの駅で降りて、案内のリーフレットを目にしなければ(しかも、棚には一枚も同じものが置かれてなかった。どうしてか案内所の奥に秘匿されていたらしい)そこにバラ園があることも気がつかないはずだ。
人目につかないでゆっくり休める場所が確実にこの先にある。そう思えばもうひと息、頑張って何とか前へと足を進めるだけの価値はあると思う…。
「…ふゎ。あれかぁ…」
登り坂の行手に小さな看板が置かれてるのが遠くから視界に入って、誰も聞いてないのについ嘆息してしまう。手描きらしい、でもなかなか達者なタッチで描かれた薔薇の絵と『能條バラ園』のレタリングが離れたところからでも見て取れた。
想像したのとは違って、入り口に係員とかは全然いなかった。ただお金を入れるとうぃん、とプラのカードが出てきてそれを指定の場所に差し込むとがこんと門が開く。
出入り口に人が常駐してないのは実に好都合だ。内心でとりあえずほっと安堵する。まあ、このプラカードで入園者数はカウントされてるだろうから退出との帳尻合わせもちゃんとチェックされてる可能性はあるが。
それでも恐るおそるゲートをくぐってからしばらく辺りを見回してみたところ、係員や管理者がその辺にいそうな様子が全く伺えない。門の近くに管理事務所とかもなさそう。元が一般住宅の一部だったってこともあって、公営の公園とかに較べるとそれほど細やかに管理されてはいないみたいだ。
お金持ちのお家が好意で近隣の人たちに庭を開放してるみたいな感覚なのかな。何というか、神経質な感じがしなくて鷹揚だ。
それと。…何より、視界に入るこの光景。
「…わぁ…」
思わず誰も聞いてないのに微かな声を出して感嘆してしまう。…想像以上に、圧倒的。
正直いくら上流階級のお宅の家とはいえ個人の住宅には違いないわけだし。庭の一部に植えられた薔薇を見せてくれる、程度の規模なんだろうと勝手に思い込んでいた。ちょっと歩いたらあっという間に端まで着いて見終わっちゃうって感じなのかなと。
全然そんな広さじゃなかった。
「これは。…すごいなぁ」
人目のない開放感からなのか、普段は出ない独り言が口から自然と漏れた。ぐるりと頭を巡らせて自分を囲んでる薔薇の波を見渡す。
冗談じゃなく文字通り、頭上にも行手にも両脇にも色とりどり、大小取り混ぜた薔薇の花々が咲き乱れていた。
これはアーチというのかな。いやトンネルか。
つるバラが天辺まで絡み合って伸び、華やかに咲き誇っている。手前からだんだんとグラデーション状に色が変化していくのが思わずため息が出るほど美しい。首が痛くなるほど天井を見上げてそこを抜けながら、思いきり空気を吸い込んだ。
…すごい。甘い、むせ返るくらい新鮮な花の香り。
生の薔薇の花ってこういうものだったんだな。何となくビジュアルとしてはありふれたよくある花だし、イメージだけで勝手に知ったつもりになっていた。辺り一面いっぱいの薔薇で囲まれてその空気を全身で味わう機会なんて。生まれてこの方なかったものだから、当然。
せいぜい近所の道を歩いてると他人んちの庭の片隅にちょこっと植えてあったりとか。生垣がつるバラで出来てるお宅も思い返せばあった気がするけど、もちろんこんな規模ではない。
圧倒されるくらいの量の薔薇の海に埋もれる経験なんて掛け値なしに初めてだと思う。近所の大きな公園にはちょっとした薔薇園があった記憶があるけど、季節が合わなくて花が咲いてなければただの立ち入り禁止の藪でしかなく、いつも無関心に遠巻きに通り過ぎるだけだった。
まだだいぶ陽は高いし太陽は相変わらず頭上で燦々と輝いてる。だけど庭園に入ると明らかに体感温度はすうっと下がった。
アスファルトに日光が照りつけている表の道路と違ってここは土の地面だし。広い範囲が全て植物に覆われてるのも涼しく感じられる理由かも。薔薇だけじゃなくてところどころに大きな樹もあって、心地よい日陰を作ってる。木立に瀟洒なベンチが置かれているのを見て確信した。やっぱりここに来て正解だった。
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