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「リッカ!さっさと便所の掃除をしろ!」 「は、はい」  怒鳴られてリッカは薄汚れた白い一枚布の服の裾を翻らせて、パタパタと掃除道具入れの前までくると扉を開けた。 「あ、わあっ」  開けた途端、前回適当に入れていたのかモップやバケツが飛び出してきて、掃除道具ごとリッカは尻餅をついた。 「ったく、どんくせーなテメーは」 「ごめんなさい!」  慌てて道具をかき集めて小さい体で持ち上げると、言われた通りにトイレへと走り込んでいく。  バケツに水を入れながら、リッカは溜息を吐き出した。 「また失敗しちゃった……」  リッカは奴隷だ。  その証拠に首元には黒い革の首輪がつけられている。  少し息苦しいが慣れたものだ。  リッカにとって首輪をしていなかった時期よりしている時期の方が長いのだから。  現在十歳のリッカは、故郷の村で両親から奴隷商人へと売られた。  口減らしだったのかどうなのか、今となってはわからない。  ただ、どんくさいリッカを両親はいつも兄と比べていたし、イライラさせていたから自分が悪かったのだろうと思っている。  奴隷になったあとも、特に見目麗しいわけではないリッカは労働力として扱われたが、要領が悪いせいで毎日怒鳴られていた。  奴隷商も使い勝手が悪いと思ったのだろう。  リッカはその後、場末の娼館に売られたのだ。  ここでは客を取ることはもちろんだが、雑用もすべてリッカがやるように言いつけられている。  そのせいか、娼館の主人だけでなく娼婦の女たちにも馬鹿にされて嫌われていた。  トイレ掃除を終えると、ほんの少しだけ休憩しようとリッカは店のある路地裏から表通りに続く道を歩いて、そっと影からその光景を眺めた。  表通りにはすぐ近くにカフェがあり、行きかう人々はみな綺麗で清潔な格好で歩いている。  石畳をはしゃぎながら通り過ぎていく同い年くらいの子供は、ガリガリのリッカと比べてふくふくとしており赤い林檎のような頬が健康的だ。  リッカはこのキラキラする世界が好きだった。  健康的で笑顔が絶えなくて楽しそうな世界は、リッカのいる場所とは雲泥の差だ。  その場所に行けるなんて思っていないけれども、幸せをお裾分けしてもらっている気分だった。  カフェを出入りする人を眺めていると、身なりのいいスーツを着たビー玉のような藍色の瞳に赤いピアスの男が出てきた。  たまに見かける人は、覚えているため何となく目で追っていたら小太りの男と肩がぶつかり、その拍子にキャッチが外れたのだろう。  赤いピアスがコロンと石畳に落ちた。 「あっ」  男は急いでいたのか小太りの男にお詫びを言うと、ピアスを落としたことに気付かずに行ってしまった。  慌てて路地裏からリッカが飛び出すと、きゃあと驚いた女の声が上がる。  ピアスを拾って顔を上げたが、すでに男の背中はどこにもなかった。  指でつまんだピアスは赤くツヤツヤとしていて光を弾いている。  飴玉のようだと思いながら、リッカはどうしようと下がり眉をますます下げた。  カフェを出入りしているようなので、そこに預けるのが一番だろうか。 「きっと高い物だよね。大事な物かもしれないし」  ちょうど箒とチリトリを持ったウェイトレスが入口から出てきたので、リッカは近づいていくと遠慮がちに声をかけた。 「あの……」  声をかけられたウェイトレスは、リッカを見るとあからさまに眉をひそめた。 「……なに?」  ジロジロと見られて委縮するが、そっと先ほど拾ったピアスを差し出す。 「さっき、藍色の目の男の人が落としていって」 「藍色の目?セルフィルトさんかな」  口の中で呟いたウェイトレスが、リッカの手にあるピアスを見ると軽く目を見張った。  そして、小さくこくりと喉を鳴らすと。 「あたしが渡しといてあげる」  ずいと手のひらを突き出してきた。 その目は爛々と輝き、口元には小さく笑みを浮かべている。 目の色が変わったウェイトレスにリッカはびくりと肩を動かすと。 「や、やっぱりいい」  走って路地裏へと逃げ込んだ。  あの顔は知っている。  欲にくらんだ人の目だ。 「どうしよう……」  小さな石を握りしめて、リッカはとりあえずポケットへとそれを入れた。
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