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「リッカ!」  怒鳴られてリッカは肩を寄せた。  粗末な部屋で客をとったあとに店主が部屋に怒鳴り込んできたのだ。 「お前を指名する客は殴るのが好きなの忘れたか!お前が泣かないから客が怒って金払わなかったんだぞ」 「あ、あの、でも……前、泣いたらうるさいって言われて……それで……」  しどろもどろに俯いて答えていると、胸倉を掴まれた。  そしておもむろに振り上げられた腕が落ちてくる。  何度も殴られて蹴られたリッカは裏口から路地へと放り出された。 「そこで反省してろ」  言って、店主はバタンと扉を閉めた。  次の瞬間。 「ひえっなに!」  頭上からザアッと何かが落ちてきて、リッカは悲鳴を上げた。  自分の足元を見ると、虫の湧いた汚水で水たまりが出来ている。 「わざわざ洗ってあげたわよ」 「やだあー」  きゃらきゃらとした声は、二階の窓からだった。  娼婦の二人がおかしそうに顔を歪めて笑っている。  ケラケラと笑いながら、窓が閉められた。  ぷるぷると頭を振って水を飛ばすと、とぼとぼと店から離れる。  いつもの表通りとの境目まで来ると、そこで膝を抱えて座り込んだ。  ぶるりと泥水で冷えた体を身震いさせて、じっと表通りを見る。  綺麗な世界をぼんやり眺めていると、見覚えのある姿が横切って行った。  黒髪に上等なスーツ姿。  思わずリッカは立ち上がって、ペタペタと水で出来た足跡を残しながらその姿を追いかけて路地裏を出た。 「あ、あの、待って!」  まさかスーツを引っ張るわけにもいかず、リッカは思い切り声を上げて目当ての人物を呼び止めた。  気づいた男が肩越しに振り返る。  こちらを向いた怪訝そうな瞳はビー玉のような藍色で、リッカは人違いじゃなかったとほっと息を吐いた。 ごそごそと服のポケットから赤いピアスを取り出し手のひらに乗せて差し出すと、男の瞳が見開かれた。 「これは……」  ピアスを形のよい指先が摘まみ上げる。  それを確認すると、リッカはくるりと踵を返して走って逃げた。  走るのは早い方なので、あっという間に路地裏にたどり着く。  ほうと息を吐いて、殴られなくてよかったと思った。  リッカにとって自分以外の人間は冷たくあざ笑うか、暴力を振るうかの二択だからだ。  盗んだわけではないけれど、こんな小汚い自分が持っていたら怪しまれると思ったので、リッカは真っ先に逃げたのだった。
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