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≪なんで、こんな目に遭うのよ≫
両手を眼前に出し、腕を震わせながらそれを見る。
腕には包帯が巻かれており、手は魔女の時とは違い、肌色のものだ。
時間がない。シュガーレットは境界線の向こう側にいる彼女に声を掛けた。
「どうしたんだ、その腕は」
≪なによ、あんた≫
下から睨付けるその顔は、先ほど見た笑顔とはほど遠い。
憎しみが込められた、なんとも悲しい表情だった。
≪あんたも私に嫉妬? でも残念、いえ、良かったじゃない。もう私は誰の髪も切れないわよ≫
彼女はそう言い、両手のひらを見せる。
傷一つないそれだが、≪ははははっ!≫と笑いながら続けた。
≪同じ店の人に腕切られて、指が全く動かなくなっちゃったんだから!≫
「なっ・・・・・・」
驚きに目を見開く。
「なんで、どうしてそんなことを!」
≪私に髪を切って欲しい人が多くて、嫉妬したのよ。魔性の女は別の店で働けってね≫
彼女は自虐的な笑みを浮かべ、動かなくなった手を見た。
≪きっとあいつらもここまでするつもりじゃなかったでしょうけど、結果もうハサミも握れない。片腕だけならまだ良かったのにさ・・・・・・≫
「片腕なら良いっていうことじゃないだろう! そんな嫉妬で人を傷つけていいわけがない!」
≪あんた・・・・・・私のこと嫉妬してる人じゃないの?≫
「違う」
シュガーレットは首を横に振り言う。
「私はシュガーレット。貴方を救いたいと思っている者だ」
≪私を救いに・・・・・・? あっはははは! バカね、あんた!≫
彼女はカツカツと近寄り、シュガーレットの目の前まで顔を近づけた。
≪私を救うなんて無理よ! この手はもう動かない! どう足掻いたって、誰かの髪の毛を整えてあげることも、綺麗にしてあげることも叶わないんだから!≫
泣きそうなのに、無理矢理笑ってみせる彼女に胸が痛い。
そうだ。もう彼女の動かない手を戻すことは出来ない。魔女になった彼女の腕がどうして刃物だったのか――――再びハサミを握って髪の毛を切ってあげたいという思いからだと、それを理解したところで慰める言葉なんて出てこない。
「それでも・・・・・・」
シュガーレットは手を伸ばす。
足は動かない。けれどどうか、どうか。
「貴方の手はきっと、素敵だったのだろうな」
前には届かなかった手。境界線の向こうに行けなかったが、今回はゆっくりと超えて彼女の手を取った。
ひんやりとしたそれ。ビクリと彼女自身が震える。
「沢山の人を喜ばせて、心地よさや喜びを与えていたのだろう」
レイニーが結んでくれた髪の毛が揺れた。
「そんな手を、これからも大切にして欲しい」
冷たいそれを温めるように、自分の手で包み込む。
少しでも温まりますように。少しでも心に安らぎが訪れますように。
「今まで人に与えてばかりだったんだ。今度はもらう側にもらってもいいんじゃないか?」
それに。
「まだ貴方は、私の頭を撫でることも出来るぞ」
温めていた手を自分の頭に乗せる。
そして流れるように動かしていれば、彼女の腕がゆっくりと自らの意思で動き始めた。
≪ばか、じゃないの・・・・・・≫
表情を歪め、ぽろぽろ涙を零す。
その間も腕を動かし、指は動かなくともその手が頭を撫でていく。
優しい手つきに、シュガーレットは笑みを浮かべた。
「はは、ありがとう」
≪なにが、ありがとうよ≫
睨付けてくるそれは先ほどの憎しみの感情はなく、切なさを含んだもの。
頭を撫でる手をそっと下におろし、強く握りしめた。
「嬉しかったから」
≪・・・・・・ほんとにバカね、あんたは≫
涙を流しながらも、ようやく彼女は笑みを見せた。するとその身体が光り始め、その姿が薄くなっていく。
≪私の名前は、ミア・ニットネア≫
名前を告げ、そして続けた。
≪どうか私を止めてやって≫
「・・・・・・あぁ!」
苦笑しながら言った彼女の言葉に驚き目を見開く。どうやら魔女になってしまったことをどうやら理解しているようだ。
シュガーレットは強く頷き、約束した。
「必ず貴方を浄化する」
≪・・・・・・ありがとう、シュガーレット≫
そのままミア・ニットネアの姿は光と共に消えていく。
握りしめていた手が自分の手とぶつかり、その手を強く握りしめ、祈るように額にぶつけ目を閉じる。
苦しみの中で魔女になってしまった彼女を、どうか、どうか!
「――――っ」
顔を上げ、強く目を開ける。そして息を吸って叫んだ。
「レイン! 待たせた!」
瞬間、目の前に魔女の姿のミア・ニットネアがいた。
手のひらと剣がぶつかり合い、ギチギチと押し合う音が響いている。
「あぁっ、そろそろっ、限界だ!」
後ろから聞こえる荒い呼吸に、シュガーレットは「助かった!」と礼を言う。
「魔女に押し返されるまま跳ぶぞ!」
「りょーかい!」
「せーのっ!」と二人で声を揃えて言い、込めていた力を抜く。すると魔女の手が剣越しに押し、二人はそのまま宙に放り出される。
地面に着地する前に身体に刺さっていたレイニーの刀を抜いて迫ってくる魔女にシュガーレットはまた両手で剣の刃を持ち、その腕を上空へ流した。
体勢を崩したシュガーレットだったが、先に着地していたレイニーがその身体を受け止めてくれる。
「悪い」と立ち上がりレイニーの顔を見ると、額から流れる汗が顎にまで伝っていて、かなり頑張ってくれてたことが窺えた。
突然のことだったのに彼は信じて力を尽くしてくれていたのだ。
「問題ねぇよ」
レイニーはニッと笑い、手の甲で顎に伝った汗を拭う。そして「で?」と続けた。
「あの魔女の名前は分かったのか?」
「あぁ」
宙に浮きながらこちらを見下ろす魔女を見る。
「あとは鎮魂の祈りを捧げるだけだ」
「・・・・・・俺の刀は向こうだな」
魔女が抜いて放り投げたレイニーの刀は少し向こうに落ちていた。
このままでは彼が丸腰だ。迫られたらひとたまりもない。
しかしシュガーレットは自分を落ち着かせるように深く呼吸を繰り返し、レイニーに言った。
「レイン、まだカラスになって素早く飛ぶ力はあるか?」
「あぁ」
頷きつつも、「でも」と悔しそうにした。
「最速は無理だな。きっとあの魔女の速さについていくので精一杯だ。多分長くも持たない」
「それでいい。カラスになってあの刀まで飛んでくれ」
「ようするにカラスで視線を追わせた後に刀を取って魔女の相手をすればいいんだな?」
「あぁ。斬りかかってきた彼女を、そのまま刀で受け止めて欲しい。だが、押されて構わない。むしろそのまま押されてくれ」
「・・・・・・足に力は入れなくていいってことか」
それを聞いたレイニーは刀が落ちている所と、先ほどの事故現場を見る。
先ほどまでいた魔女はもう浄化していて、横転している車があるだけだ。だがそれで十分である。
「でもシュガーの剣をまた片手で防いでくるんじゃないか?」
「それでもいい」
シュガーレットは頷き、魔女を見る。
ピシャっと雷雲が光り、石畳に黒い影が映った。それと同時に見えた魔女の表情は泣いているようにも見えたが、彼女のあの笑顔が重なって、強く柄を握りしめた。
「一瞬だけ、彼女の動きを止める」
「止められるのか?」
「正直賭けだが、きっと止められる」
「・・・・・・・・・・・・」
しばらく彼はこちらを見つめ、それから溜息をついた。
まだ流れている汗を拭うように前髪を掻き上げる。
「今度、俺の我儘ひとつ聞けよ」
「・・・・・・分かった」
「その間は何だと言いたいとこだが、言質は取ったからな」
レイニーは笑い、黒い靄を出してカラスの姿に変えた。
「んじゃ、よろしく頼むぞアダムの使い!」
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