1人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ
第一章 遭遇
新居となるアパートの一室。その扉の前で村田は深い溜め息を吐いた。憔悴しきった顔にはありありと不安の色が浮かんでいた。
無理もない。周りには誰一人として知り合いのいない新天地。
希望に満ち溢れた若者ならば、新生活への期待に胸を躍らせるのかもしれない。しかし、過酷な長時間労働と劣悪な労働環境に神経をすり減らし、半ば逃げるように以前の職場を辞めた三十路過ぎの男にそのような前向きな希望は無い。あるのはただ、新たな職場と新生活への不安だけだった。
とは言え、いつまでも玄関前に立ち尽くしている訳にもいかない。沈痛な面持ちのまま鍵を開け、玄関の扉を開けた。
「……え?」
間の抜けた声が零れ、村田はその場に凍り付いた。
まだ家財道具すら運び込まれていない殺風景な部屋の中。一人の子どもがいた。
真っ赤な着物を着た五歳前後の女の子だ。今どき珍しく鞠を突き、その度に肩のあたりで切り揃えられた黒髪が揺れている。
もちろん村田の子どもではない。
「き、君は?」
一体誰なのか。どうしてこの部屋にいるのか。いや、そもそもどうやって部屋に入ったのか。村田の頭はいくつもの疑問で溢れかえっていた。
声を掛けられた童女は、村田の存在に気付くと逃げるように駆け出し、スゥっと宙に溶けるように消えてしまった。
思いがけない出来事に呆然とする村田。驚きのあまり声も出ない。
霊感などという代物とは無縁の村田にとって、人生で初めての心霊体験だった。
しかし不思議なことに、恐怖は全く感じなかった。
最初のコメントを投稿しよう!