ドッペルゲンガー

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僕は幽霊だ。 自分の身体は半透明で、浮いている。 眼下に見える人間へと触れることも出来なければ、それらの人たちが僕に気付くこともない。 向こうは僕が見えていないのだろう。 声をかけても振り向いてくれたことはない。 つまり、僕は死んだのだ。 一般に”幽霊”と呼ばれる存在であると言って間違いないのだろう。 それでも―― 救急車の音、周りのざわめき…… 「大丈夫ですか?」 このような声をかけられたのが、記憶として残る最後の光景。 意識を戻したとき、既に僕は今の僕だった。 半透明で浮遊している僕。 これがアニメや漫画であれば、頭に三角巾でもつけていただろうか? 僕はこの姿に戸惑いながらも、病院に寝かされている自分の姿を眺めることによって少しずつ現状を理解した。 ああ、自分は死んだのだと。 あそこに寝かされている者こそ、自分なのだと。 本来ならば、僕はここで自分の死を一応にも受け入れただろう。 でも、そうはならなかった。 何故なら―― 「じゃあ、行ってきます」 家を出る大学生の姿。 途中でコンビニに寄ると、ボトルのコーヒーを買って、レジの女の子に軽く声をかける。2限目ぎりぎりに間に合って、前から4列目のどこかに座る。 右手でペンを持ち、左手は机の下に潜らせスマホを操作し”昼飯どうする?”なんて友人へとメッセージを送る。 その光景を僕は眺め、ペンを置いて左手の甲を掻きあくびを噛み殺す姿をじっと見つめて親しみを覚える。 あれは僕だ。 僕は死んだ。 でも、あそこには僕が居るのだ。 僕は決して頭の良くないFラン大学に通う、大して特徴もないような一介の学生に過ぎなかった。 だから医療の知識に乏しいばかりか、高校では生物のテストでさえ赤点を逃れるのがやっと。そのような頭からすれば、僕へ施された処置がはたしてどれほど稀有なことなのか? はっきりと言えば分からないのである。 ただ、知っていることを羅刹すれば、 僕は交通事故で死んだ。死因は出血性ショック死。病院に運ばれてからすぐに心肺停止。死亡が確認された。同時刻に脳死の患者がいた。奇跡的にも脳はまだ機能しており脳移植が行われた。脳死した患者に僕の脳を移植した。脳死の患者に脈が戻った。奇跡だという声が漏れたこと。患者が意識を戻したこと。彼が順調に回復をみせて退院したこと……。 意識とは何か? 魂とは何か? 誰しもが一度は、考えたことのあるテーマだろう。 僕だって考えたことがある。 意識は脳がもたらすもの。ゆえに、魂とは脳が作り出すものだ。 そんなことを昔、テレビで誰かが言っていたのを覚えている。 確かにそうなのかもしれない。 脳が人間へと知性を与え性格を形成させるのであれば、脳こそがその人そものもであり、魂と呼ばれるものは脳が作り出すものかもしれない。 それは間違いだった。 そのように、今の僕は思っている。 何故なら僕が見つめるあの大学生こそ、僕の脳を移植された学生であり、彼の習慣から癖まで、僕にとっては身に覚えのあるものばかりだった。 彼は僕だ。 僕の脳を移植された彼は、見た目こそ違えど行動は僕の生き写し。 だから彼はおそらく僕なのであり、僕は死んでいるのにもかかわらず、僕の眼下には生きた僕がいる。 僕は激しい矛盾を感じ続けていた。 果たして人間は、魂をふたつ持てるのだろうか? 仮に、脳を移植された彼が、僕としての意識を持ち、外見が変容したとはいえ、僕として生きているのであれば―― 僕は、いったい何なのであろう? 僕は死んだ僕だ。 死んだ僕の魂が、おそらく僕なのだと思う。 けれど、僕にはあの大学生が…… あの仕草、喋り方、趣味、友人の種類、業種はわずかに違えどバイト先での振舞い方も含めて僕にしか思えない。 似ている、といえばそれだけのことかもしれない。 それでも、僕には彼が、僕であるのだと確証する出来事があった。 彼は同じゼミの女の子にペンを貸すときに、あえて右手から左手にペンを持ち替えてからペンを渡そうとした。 そのときの所作の意味を僕は理解していた。 僕の右掌には大きいホクロがあり、それを見せるのを躊躇ったのだ。 ペンを左手に持ち替えようとしたときに彼はハッとし、暫し…といってもわずか二秒ほど自分の右手を開いて見つめると目をそらし、再び右手にペンを持つとその手で彼女にペンを渡した。 そのときの戸惑いの表情、逸らした視線、情景は物語り、それは雄弁だった。 だから、僕は死んでいても尚、僕は別の体をもって僕として生き続けている。 魂としての存在は僕にあるのだとしたら、では彼の存在は? 脳が意識を象らせ、脳によって人格が作られ、その人足り得る”なにか”が脳によってもたらされるのであれば…… 何処からともなく生じたこの僕は、いったい何なのか。 彼には―― ……生きている僕に、死んでいる僕はどう感じられるのか? あの僕には僕のことが分かるのだろうか? 僕のことが意識できるのであろうか? 僕のことが本当は見えるのだろうか? ……僕には分からない。 ただ、僕に分かっていることはひとつのみ。 僕には、死んでいる僕と、生きている僕がいる。
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