空豆ご飯は妻の愛

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「私が知っていた萩富久須美はそんな人間に見えなかった。あいつの手のひらの上で転がされていたなんて……あれは、仮面だったというのか。騙された私がいけなかったのか」  中尾が自分を責めるうちに、曜子への怒りへと転化された。 「だけど、妻だって悪いんだ。佐野圭人なんかと関わったから。バカな女だった」  そんな中尾を見ていた広瀬は、真琴に向かって、「おぼろ昆布ととろろ昆布、ある?」と急に注文した。 「ありますけど、どのお料理に使いましょうか」 「分かりやすく、冷奴でいいや」 「湯豆腐の方が温まりますよ」 「そっちは時間が掛かるから、冷奴でいい」 「分かりました」  1分ほどで、おぼろ昆布が掛かった冷奴と、とろろ昆布が掛かった冷奴が並んで出てきた。 「これでいいですか?」 「上出来だ。さすが、真琴さん」  箸を付けないで、中尾の前に動かした。 「これ、違いが分かりますか?」  中尾は冷奴を見比べるが、形状が違うことしか分からない。 「どちらも昆布ですよね。何が違うんですか?」 「食べてみてください」  広瀬に言われた中尾は、椅子に座ってそれぞれに箸をつけた。  おぼろ昆布は、ぱりぱりしたまま口の中で溶けていき、とろろ昆布は、唾液と混ざることで繊維がほどけてトロけていく。 「嚙んだ時の食感が違う。同じ昆布なのに、どうしてこんなに違うんだろう?」  首を盛んに傾げた。 「おぼろ昆布ととろろ昆布は、加工の仕方が違うんです。おぼろ昆布は、一枚の昆布の表面を薄く剥がしたもの。とろろ昆布は、何枚もの昆布を重ねて圧縮し、断面を薄切りにしたもの。同じ昆布でも加工方法を変えただけでここまで別物になる。このことを知った時、物事を画一的に見てはいけないんだと学びました」  広瀬は、昆布を使って人間の二面性について説明した。 「萩富久須美があなたに見せた顔と奥さんに見せた顔。それが違っていたことに何も不思議はない。相手が変われば態度も変わるものです。あなただって、外の顔と内の顔を無意識に使い分けているでしょう。奥さんが佐野圭人の悪い面に気付かなかったことも、仕方がなかったと思いませんか? 自分だって、萩富久須美について全て知ることは出来なかったでしょう? 思い込みが邪魔して、見抜けない人は見抜けないんです。自分が悪かったとか、奥さんが悪かったとか、誰かに責任を被せることに意味はない」 「そうですね……。その通りです……。妻に悪いことをした……」  己の過ちに気付いた中尾は、静かに箸を置いた。 「私は、萩富久須美に佐野圭人のことで洗脳されていた。それで、妻を疑って冷たく当たった。離婚まで考えてしまいました。なんてバカだったんだ……」  後悔と自責と懺悔の念に中尾が苦しんでいる。 「妻は、こんなバカな私でも愛してくれていたんでしょうか?」 「愛していましたよ。空豆ご飯を作って待っていてくれたのが、何よりの証拠でしょう」  広瀬が優しい目で慰めた。 「ウ……、ウウ……」  中尾は肩を震わせて嗚咽した。熱い涙を流した。  泣いているのを誤魔化そうと、冷奴を大口で放り込む。 「旨い……。曜子……。君の料理をもっと食べたかった……。一緒に旨いメシをたくさん食べたかった……。この店にも連れてきてあげたかった……」  広瀬も、満里奈も、真琴も、食べながら泣く中尾を優しく見守った。
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